東大阪でそろばん教室を運営しているの先生のブログ 関西珠算瓢箪山教場・石切教場

子供たちから教えられたこと、感じたことを想いのままに綴ります。

先生・教師の立場

2013-02-17 09:58:16 | 日記
 先日、そろばん授業が始まるまでの一時間「ちちんぷいぷい」という番組を見ていました

 そこで、桜ノ宮高校の話題に絡めてこんな話題を扱っていました。ずばり「教師の待遇」

 私は教育大学出身で、教員免許も所持しています。公立校に勤務する先輩・後輩・同輩もいますので、多少なりとも勤務の実態は知っています。「先生って定時で終われて気楽な商売やなあ」という世間の誤解を少しでも解いてくれたとうれしく見ていました。

 たとえば、先生の定時の勤務時間は8:00~17:00です(もちろん所定勤務時間は1日あたり8時間です)。ほらもうこの時点でおかしいでしょ?。だってクラブ活動は冬場で18:00ごろまで。夏場で18:30ごろまでやってますもんね。毎日のクラブ指導ですでに勤務超過です(もちろん残業手当は基本0です)。
 土曜日・日曜日のクラブ指導は4時間を超えて初めて手当がでます。大阪府の場合満額で1日3700円です。電車を使って引率しようが、昼間をまたいで昼食をとろうが、すべてこの手当に含まれます。教育委員会をして「先生方のボランティア精神でクラブ活動は支えられています」というんですから。
 そして、授業の準備や通知表の作成。教育委員会からの調査の回答や保護者対応。生徒の進路相談や悩み相談などは、この合間を縫って行います。つまり、そこらへんのブラック企業よりもブラックな職場です・唯一の救いは「公務員」であるために、自分から問題を起こさない限りリストラの心配があまりないということですが、この超過勤務と引き換えにするには…ですね。

 さて、「ちちんぷいぷい」で問題視していたのは、「休日や時間外に善意のボランティアで行っているクラブ活動中に体罰をしてしまった場合も懲戒の対象になるのか?」というもので、文部科学省の回答は「クラブ活動は教育課程の一環なので、たとえ時間外であっても、問題行動が起こればすべて懲戒の対象になります」というものです。もちろん私は知っていましたが、番組のパネラーさんたちの反応は、「手当も雀の涙で、何かあったら先生の責任ってちょっとおかしいですよね」というものでした。うん、普通の感覚ですよね。

 でもね、ほとんどの先生方は、おかしいとは思ってないんですよ。子供たちのためになることならと思って、粉骨砕身頑張っておられるんです。保護者の皆様方にもぜひこんな目線で先生を見ていただきたいものです。

 私は、好きでこの仕事をしています。市井のお教室ではましてや懇談などする必要はないのかもしれませんが、やっぱり「先生」と呼ばれる立場である以上「先生」の立場を全うするのが本来位の姿だと思っています。

 先生という仕事は、先生の自己犠牲の上になりたっている。だからこそほとんどの先生は指導の仕方は違えども「子供のためになってと願って」叱っているという事実はみなさんに知ってほしいのです。

 もちろん「体罰」を美化するわけでも、容認するわけでもないです。しかしながら、ここまで先生に過酷な労働を強いておきながら、本気で生徒を叱った末に多少の行き過ぎがあったときに「懲戒免職」となるのであれば、先生方が「じゃあ、何もしないで適当に流しておいたほうがいいよね」となることを危惧します。

 今回の事件で先生をかばうつもりはありません。報道を信じるならば先生の行き過ぎは間違いありません。でも叱りすぎてしまった時・先生がミスをしてしまうことを世間が許さない風潮が強くなりすぎるのならば、教育委員会が「筋をきちんと通したけれども少しばかり行き過ぎてしまった先生を守る」という視点を忘れて、自分の保身に汲汲として世間の顔色を窺った処分を続けるならば、先生は必ず当たり障りのない教育に終始して、子供たちの学力や生活力は必ず下がっていくでしょう。

 先生も人間です。たまにはミスをします。その時に、先生も「叱られる」ことは必要ですが、必要以上に先生を攻め立てる必要があるとも思えません。

 桜ノ宮高校の先生にブレーキをかけなかった責任ある立場の方々の処分は未だ聞こえてきません。先生の頑張り損のそしりは拭えません。もちろん懲戒免職となった先生は、何度か自分自身でもブレーキをかけるチャンスはあったはずですが、それを見失った以上厳しい処分は仕方ないと思います。

 でも全体として考えたとき何か「違うよな」という感覚があるので今回はこうした形で書きました。

 そして、こんな大人たちのせいで、自分自身を処す選択をしてしまった彼に、大人として申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 バスケ部のキャプテンを務めきった生徒さんのご冥福を心からお祈りいたします。
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桜ノ宮高校の事件について思うこと 教師の仕事って?

2013-02-15 00:20:27 | 日記
 まず始めに。
 この一件は高校の先生に非があることは間違いありませんが、100%の責任を先生に負わせるのはどうなの?と思っています。その観点からの考え方をまとめるのに非常に時間がかかりました。

 体罰を肯定するわけではありません。でも「責任を取るのは、教師一人なのか?」という観点なんです。

 たとえば、報道されている情報で知る限り、今回の事件以前に「体罰がある」との公益通報を教育委員会は受けていたそうですね。にも関わらず、その時点では簡単な調査で「おとがめなし」だったわけです。
 
 ところが、今日(2月14日)の報道でこの先生は「懲戒免職処分」となりました。その処分理由には「体罰に相当の常習性が認められるから」というものがありました。

えっ!!矛盾していませんか?


 公益通報は一昨年のものです。その時点で「問題なし」と判断しているにも関わらず、今日の免職理由では「体罰に常習性がある」です。常習性って1年程度で成立するんですか?

 もちろん、この先生にも非はあります。しかしながら、事実が分かった時点で、責任ある立場の人間がきちんと対応していれば、少なくとも今回の悲劇は未然に防げたはずなんです。この先生を免職にするなら、以前に問題が発覚した時点できちんと対応できなかった管理職や、教育委員を含めてそれ相応の対場に応じた処分(あるいは自身によって身を処してもいいですが)があるのではないでしょうか?

 というのも、今の時期は、毎年恒例の「そろばんボランティア指導出前授業」で、小学校をお邪魔します。
 先日5年ぶりに訪れた小学校がありました。以前訪問した時は残念ながら小学校はいい状態ではありませんでした。あいさつはできない。授業中に集中できない。まさしく「学校崩壊」寸前の状況だったと記憶しています。
 しかしながら、今年訪れた際にはまず朝一番、校門に週番担当の児童が立っています。そして元気よく「おはようございます!」。これには面喰いました。そして職員室に訪れるまで、出会う生徒がみんなごあいさつをしてくれます。そしてその眼には元気がみなぎっています。
 出迎えてくださった校長先生に、以前のこと、今日の印象を正直にお話しました。すると、いろいろとお話をしてくだいました。その中で印象に残っている会話をいくつかご紹介します。

 「学校はね。子供たちを無条件で受け入れる場でないといけない。そこに君がいる。そのことだけでOKやと。君の全てを校長先生は、そして学校は受け入れるから。そのメッセージを子供たちに全力で伝えること。まずは教師の大事な役目ですね。」
 「毎日必ず校内を巡回しています。それは子供たちの顔を見るため。子供たちが生き生きとしているかを確認するため。先生方には不評ですが、子供を本位に考えたらあたりまえのことですわ。」
 「給食の配膳員の方に校長室で何かこの学校に問題がないか聞いたんですわ。そしたら、きちんと並ぶことができない・エプロンを着ない・手を洗わない・配膳員の指示を無視するなど無茶苦茶やということが分かりました。まずは並んで整列するところから指導しなおしました。校内を回って、みなさんのお話を聞いて見えてくるもんがあるんですわ。校長は椅子に座ってたらあかんのですわ」
 「今日は授業が終わったら、前任校の生徒で気になる子がまた不登校気味やいうことで、ちょっと顔見せにいきますわ。お前のことはちゃんと見てるでというメッセージを伝えたいんですわ。なんの力にもならんかもわからんけど」

 そして、この校長先生と桜ノ宮高校の事件のお話になりました。校長先生は目を真っ赤にして
 「僕はね、悔しいんですわ。たとえその先生を恨みぬいてでも生きてほしかった。そばにお前がいてるだけでOKや!。と言うてくれる大人におってほしかった。自分で自分の命を絶つという決断をさせてしまったことが、何よりも悔しくて仕方ないんですわ。教育の失敗ですわ」
 この意見に対しては私はこう校長先生に伝えたんです。
 「僕は、高校生の彼への教育が正しかったからこそ、残念な結果になったんだと思います。彼は親御さんや、小学・中学時代の先生に、人のせいにすることはいけないことやという価値観を正しく教えられてきたんじゃないですか。だからこそ親に相談し、友達に相談し、自分の問題点を洗い出して、改善し解決しようとし続けたんではないでしょうか。そしてその解決策が見いだせなかったからこそ、この結末を選択してしまったんではないでしょうか。私は彼に携わった先生方が自分のせいだと責任を感じすぎておられないか(つまり、この先生の責任にして、問題の本質に目をつぶった責任ある立場の方々では絶対に感じることのできない現場の先生だからこそ感じる責任です)と心配します」と。

 校長先生は「そうか。教育は間違ってなかったっていう考え方もあるんですね。救われました」と仰ってくださいました。
 私は「そうでないと、彼に関わって指導したすべての先生の想いを否定しうることになりますもん。それは同じ教師を目指した者として、今現在子供たちの指導に立場は違えど携わる者としてつらいです」と伝えました。

 毎日子供たちのことに粉骨砕身、精一杯を超えて想いをぶつける先生という責任ある立場の方がいる反面、自分の対面しか考えない責任ある立場の方がいる。確か大津の事件の時も同じことを書いた記憶がありますが…。

 私は、先日の校長先生のようになれたらと思いながら今日のブログを書きました。

 最近、高校入試が近く、また、ボランティア指導など忙しさにかまけて更新を怠っていました。また頑張っていきますのでお付き合いくださいね。

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