東大阪でそろばん教室を運営しているの先生のブログ 関西珠算瓢箪山教場・石切教場

子供たちから教えられたこと、感じたことを想いのままに綴ります。

向こう側

2023-09-11 23:00:00 | 日記
にあるものは、見ようとしないとなかなか見えないものですよね。子どもたちにとって「勉強の向こう側」とか「努力の向こう側」にあるものは見えないものです。そして生きてきた年数が短いので経験値もありませんから「こんな景色かな?」とかもわかるものではありません。

私たち指導者は、その向こう側の景色を見せるために努力を強いるのです。ただただ苦行を強いたところでできるものではありませんから、スモールステップにしてみたり、小さなことを誉めてみたり。という指導の上の努力をするわけです。

そろばんという習い事は、努力が結果に結びつくという経験を比較的早めに体感できます。そして努力しないことにはその結果を得ることが難しいということもまた、経験できる場合が多くあります。

私が子どもたちに指導するうえでそろばんを選んだのは、技量をものすごく鍛えたいとか、有段者をたくさん育てたいとか、日本一の選手を輩出したいとか。そんなことではありません。そろばんは確実に子どもたちの能力を伸ばします。しかしながら「競技大会や十段・名人」というのは誰でも結果をだせるものではありません。そして、競技大会に至っては「優勝者は1人」という厳然たる事実があります。
ところが、検定試験は「受験者全員合格」ということが可能です。子どもたちに「努力の向こう側」をまず見てもらうには検定試験が最適だとすら思っています。

底力を伸ばして、努力の向こう側にあるものをみてほしい。そろばんに力を入れているのは、そして競技大会ではなく検定試験の指導に力を入れているのはこんな理由があるからです。
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最大公約数

2023-09-09 12:56:35 | 日記
子どもたちを指導する時には、どうすれば伸びるか?ということを第一に考えます。そしてそのためには大きくは2つの方向性があると考えています。

1つは個別最適化。それぞれの生徒の個に応じて指導する。いわゆる「個別指導」ってやり方ですね。

もう1つは「最大公約数」。つまり「できるだけたくさんの生徒に共通して伸びてもらうための方策」を考えるってやり方です。いわゆる「集団指導」になりますね。

「個別指導」はどうしても費用がかさみます。単純に人件費の問題です。「集団指導」は費用を抑えることはできますが、どうしても目が届かない場合を避けることが難しいです。

両方をバランスよくするために「集団指導」の人数をある程度小さくして、指導の中に「個別指導」を盛り込む。これが現在の私のとっているスタイルです。

そろばん指導でも、塾指導でも。自分が目の届く人数にすることで、ある程度自分の考える指導を実現しているとも言えます。

そんな中で、ここ数年の社会情勢の変化や生活を一変させた災厄もあり、「自分の指導が子どもたちにとってより良いものになっているか」ということをこれまで以上に考えるようになりました。

卒業生の嬉しい報告はどんどん続いていますし、今も繋がる高3生は進路を続々と決めて進んでいます。私が指導できる教科に限れば数名の高3生は現在進行形で関わっています。

小学校未就学児〜高3生まで指導するからこそ見えるものがあるのは事実ですが、だからこそ最大公約数に寄りすぎていないかな?と自問自答する日々でもあります。

最大公約数と個別最適化。相反する2つをなんとか同時に存在させるためには?答えは出ないかもしれませんが、自分なりの答えをそろそろ見つけないとな〜。と思う授業前のブレインストーミングでした。
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読むという行為

2023-09-02 16:30:00 | 日記
お勉強の指導をしていると、学年に関係なく「読む」という行為について口うるさくなります。
「読めない言葉の意味が分かるわけないでしょう」「音読して詰まるなら、その言葉の意味が分からないということです」

ここから「わからない言葉は辞書で調べなさい」となります。すると子どもたちは、たいてい辞書の意味を丸写しします。

ここから私は「で、簡単に言うと?」攻撃を繰り返します。「次から作文を書くときに調べた言葉を正しく使いこなせたら、その言葉の意味がわかったということですよ」と。

自分の語彙に言葉の意味を落とし込むこと。これができるようにならないと、中学以降「定義と定理」や「字義」といった共通事項についての理解が曖昧なままになるからです。その状態でどれだけ教科書を読もうが授業を聞こうが、理解が進むとは思えません。

読み込んで意味を理解する。これができれば教科書や参考書を読んで理解することもできてきますし、問題の解答解説を読んで理解することも生徒に応じてできるようになります。

「読む」という行為はすべての学びの根幹です。そして「読む」という行為は文字だけにとどまりません。「数字」も「意味を持つ言葉」として理解できれば、世界が格段に広がります。

数字を「読む」とはどういうことか。たとえば「50分で進む距離」は「時速の値より小さくなる」とか、「90%量は元の量よりちょっと小さい」とか。こうした「数字が表す物量の意味」を読み取ることだと思います。

そろばんを通して数の感覚と理解をすることで、文字も数字も「読む」ことができるようになる。

これが、私の考える「読む」という行為を学ぶことの基本なんです。
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