東大阪でそろばん教室を運営しているの先生のブログ 関西珠算瓢箪山教場・石切教場

子供たちから教えられたこと、感じたことを想いのままに綴ります。

読み・書き・そろばん

2015-01-30 00:33:05 | そろばんに関する中身
 間違いなく学習の基礎・基本は「読み・書き・そろばん(計算)」です。これに文句のある方はいないでしょう。

 では、この基礎・基本はいつ身に付くのでしょうか?

 私の答えは「一生身につかない」。ちょっと語弊がありますが。正確には

 「一生満足のいく能力が身に付くわけがない。完璧な能力などありえない。」という意味です。もっといえば、「能力の向上をあきらめた時点で、その瞬間の能力がその人の能力のピークになる」でしょうね。

 たとえば、そろばん・あんざんでともに1級に合格したとします。かたや習い始めて2年かからずに合格。そしてスパッと辞めてしまったとします。かたや7~8年かけて同様に合格したとします。さて、30歳の頃この能力を比べるとどうなっているでしょうか?・答えは簡単です。後者の方があきらかに高い能力を示します。

 運動ならばみなさん当たり前に納得するんですよ。プロのアスリートでも、毎日の訓練を怠ると途端に技術は低下します。体力も落ちます。そんなこと、スポーツしない素人でも自明の理です。ところが、ことそろばんに関しては「1級に合格したら、その計算能力はずっと保てる」と想っている人たちのなんと多いことか…。

 そんなことあるわけないんですよ。練習しなきゃ計算能力はあっと言う間に落ちます。ただし、体の中まで染み込んだ能力はそう簡単には消えません。これはかけた年数に応じて深く染み込みます。そして、中学・高校の頃、精神的にも肉体的にも飛躍的に成長するときにこの能力を染み込ませると、暗算能力は少なくとも一般的な社会生活を送る上では問題ないレベルになってきます。

 だから、「できる限り続ける」が正解です。「○級合格したから辞めます」というのは本当にもったいないお話です。ただし、教室を辞めても、家庭で毎日暗算の練習をやり続けるならば、それはそれでOKです。指導を受けないと、能力の伸びは難しいかもしれませんが、能力の維持は可能です。

 私の教室では、「読み・書き・そろばん(計算)」をきちんと身に付けてほしいので、漢字指導はもちろん、暗誦指導や辞書引きなど、基礎・基本を伸ばすための学習イベントを授業の随所に組み込んでいます。もちろんすべてこなすのは「めんどくさい」と思います。でも、このめんどくさいことを頑張りぬく「基礎・基本」の力をつけるからこそ、いつまでも「基礎・基本」が大切であるということが身に染みてわかるはずです。

 めんどくさいことをこなさないことには、絶対に基礎・基本は育ちませんから!。これだけは絶対に間違いありません。

 基礎・基本を謳う学習塾のチラシが目に付き始めました。私が教室で指導するときに絶対に注意し続けていること。それは「やり直し」です。そりばんの授業であれば、全部丸にするまで次のページには進みません。漢字の指導であれば、満点を取るまで。そう「間違いがなくなる」まできちんとやり直してもらいます。

 勉強というのは「理解できないところを、理解できるまで一つ一つつぶしていく作業」であると思います。このときに「赤で答えを書いて終わり」なんていうふざけたやり直しは絶対に許しません。「計算の答えを赤で書いて、あなたは計算ができるようになるんですか?。完全に赤いインクの無駄遣いです!」と叱ります。もちろん、子供たちの学年と理解度に応じてこの表現は変わります。

 ところが、世の中にはこの「赤で書くだけ」のやり直しをさせることを、さも基礎・基本を徹底しています!と謳う塾がたくさんあります。このブログをお読みの皆様には、ぜひ「赤で書くだけ」「やり直しのふりをするだけ」の学習塾をぜひ見抜いていただきたいものです。

 「赤で書くだけ」「やり直しのふりをするだけ」の一例を挙げておきます。

 「6を何倍すれば3になりますか?」

解答1回目:6÷3=2      答え2倍   ×   ←×か…。よし反対にしてみよっ
解答2回目:3÷6=0.5  答え0.5倍   ○   ←よし、〇や!

これが、「基礎・基本の徹底指導」のふり


「理解できるまでつぶす作業」をする指導の一例です。
ここで、解答1回目と2回目のあいだに「文章をそのまま式にしてごらん」
6×□=3   ←  じゃあ、□はどうやって計算するの?。 かけざんの式の□はどうやれば分かるかな?
□=3÷6   ←  よし、じゃあもう一問

 「4は8の何倍ですか?」
聞き方を変えてできればOK。できなければもう一度かけざんの立式に戻ってやり直し。

ここまでするのが「基礎・基本の徹底指導」


だと私は考えています。そろばん教室であっても、こうしたことを意識して指導しています。基礎・基本をいつまでも大事にする人間に育ってほしいから!

 2月1日より、新年度生一般募集開始です。このブログをここまで読んでお問い合わせくださった方は「基礎・基本の徹底」を合言葉としてお申しでくだされば、入学時諸費用(¥3000+税)を免除させていただきます。
 
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本来は、進学先なんて書きたくないんですけどね

2015-01-23 12:49:56 | 日記
 右のカテゴリーの欄に(PCでの閲覧には出ています)、「そろばん学習者の進学先」があります。

 そろばん教室をスタートして、今年が15年目です。まだまだですが、卒業生がいろいろと報告に来てくれます。私自身は「進学先がどこだったか」には実はあまり興味がありません。本当に重視しているのは

その生徒の希望が叶った進路であったか


ということなんですね。

 たとえば、私はこっそりと中学生のお勉強も見ています。小学校高学年にこちらへ来て、九九もあやしいし、家庭学習の習慣なんて微塵もない。忘れ物も平気、宿題だってさぼり放題。姿勢も悪く、あいさつひとつまともにできない。なんてお子さんをたくさん(トータルで30名以上はいましたよ)お預かりしてきました。

 2・3年かけて上記のことが改善される時点でもう中学生です(改善されない生徒は結局中学生までにやめてしまいます。だってその方が楽なんですもん。「こどもがめんどくさいと言っているので、今月で辞めます」っていう感じの辞め方を幾度経験したことか)。

 それから、危機感を持ち始めるのですが、時すでに遅しです。ここから小学時代の穴を埋めながら中学生の学習をできるようにするなんて、恐らく無理だと思います。だから私はあわてず、基礎を少しずつ固めることに全力を注ぎます。

 そうなんです。この時点で「高校に合格させればそれで終わり」なんてことは微塵も考えていないわけです。ということは目先の点数をあげてしまうわけではなくて、「その生徒が何をしたいのか・何が嫌なのか」「夢や希望があるのか」そして「どんな人生を歩みたいのか」を3年かけて引き出していきます。その結果「学歴が必要な進路」であれば鍛えますし、さらにトップレベルの学習が必要となるまで伸びて、私で役不足と判断すれば、ノウハウ豊富な大手への転籍をお勧めします。(天王寺・高津合格者はこのいきさつの生徒です。八尾・夕陽丘・清水谷は複数の生徒が進んでいますし、真ん中あたりの高校へ進んでも、結果的に本人希望の進路へ進んでくれればうれしいことですし、進路指導は間違いではなかったと胸を張って言えますよ)

 だから、私の学習指導は「やりたいことが見つかったときに、それに立ち向かえる力をつける」ということが大前提なんです。そのあたりのお話は「夏休みチャレンジ」に詳しいのでそちらもご参照ください。

 したがって、「○○高校・大学合格」をこのブログに掲げることは、実は私の考え方からは少し外れているんです。ところが、結果を出せていないものにこれを言う資格はないだろうということで、あえて掲げることにしたいきさつがあります。

 そして、天王寺・高津・夕陽丘・八尾・清水谷高校合格の生徒は、遅くとも小学校卒業までに、「本人のやる気が伴えばそのレベルに受かりますよ。よく話し合いをしてください」。と、保護者の方々との懇談の中で、本人と保護者の方々に伝えていました。例外はありません。小学校卒業時点までにこのお話をして、本人のやる気が伴った生徒は、例外なく私が宣言したレベルか、より上のレベルの学校に進んでいます。

しかし、これは子供が頑張った結果です


大人が頑張った結果ではありません。このことをわからずに「○○高校△△名合格!」とかやってる塾はこどものことを真剣に見ていませんよ。合格させればそれで終わりですから。

 そして広告やホームページで、高校合格実績を声高く訴える塾ほど、成果至上主義になっていることを理解したうえで、いろいろな塾の広告やホームページを見てください。こどものことを真剣に考えているか否かが見えてきます。

 私の教室でも、そろばんを通してしっかりと基礎・基本を身に付けたい生徒のみなさまを募集しています。2月より一般募集開始です。優先入学受付期間が終了いたしましたら、このブログでもお知らせいたします。うるさい先生ですが、よろしければお問い合わせくださいね。お待ちしています。
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「個(個性)を重んじる」ということは、「なんでもあり」ではありません!

2015-01-19 23:57:33 | 日記
 「うちの子はきつくいわれると固まるので…」←だからうちの子をみんなの前で叱るんじゃない。
 
 「うちでは叱ったことがないんです」←だから悪いことをしても叱るな!。っていうかあんたの指導がわるいんじゃないの?

 「うちではこどもの自由にさせていますから」←だから集団行動ができないからっていちいち叱るんじゃないわよ。

 ともに大学で学んだ同級生や後輩には、公立の教職に進んだ者が複数います。そして懇談会でこのような台詞が出てくる保護者の方が少なくないと言います。矢印の後はその後に含まれる保護者の真意です。そして実際に口に出す方もいるんだそうです。

 で、ひとつ聞きたいんですが、お子さんが大きく育ち自分の力で社会へ出るときにこの理屈は通用するんですか?

あっ するわけないでしょうが! (←金八先生風に)

 たとえば、なんでも口にして自分から聞きに来ることができる生徒もいれば、先生が気づいてくれるのをじっと待っている生徒もいます。とにかく○つけに何回も来て「じゃあ先生といっしょにしようか?」と言う言葉を待つ生徒もいます。他の生徒への指導を聞き耳立てて、それで理解してしまう生徒もいます。

 この生徒それぞれの特性を把握して、一番生徒が凹まないように指導することが「個性を重んじる」指導なんですね。この時のゴールとして目指すことは全員同じです。そう「これは身に付けなければいけない」というゴール設定は全員一緒(ここ大事!)なんですが、そのゴールへの導き方が違うこと。これこそが「個性を重んじる指導」なんです!

 これに「一斉授業は個性が育たない、画一的な詰め込みは個性が育たない。教える中身は一人一人違うべき」なんて言う人がいますが(時には教育評論家なんて立場の人がこんなことを言います。私に言わせればこんな人はど素人以下です)、個性は育てるもんじゃないんです。もともと生まれながらに持っているんです。その個性を「尊重」しながら「基礎・基本」を徹底的に叩き込むことが「個性を重んじる」指導なんです。どんなに個性が違っても、「基礎・基本」の部分は全員一緒じゃないとだめなんです(たとえば、漢字の書き順・四則計算の方法・英語の発音・地名・元素の名前など)。

 こどもの好き勝手にやらせて育つのは「個性」なんかじゃないんです。社会ではその個性のようなものを「わがまま」と言います。最初に挙げた保護者の皆様は「わがまま」という「個性」を育て上げておられるわけです。

 ところが、この「基礎・基本」。姿勢や鉛筆の持ち方に始まり、あいさつをきちんとすること。さぼらずにコツコツやること。人のお話は目を見て聞くこと。小学校から中学校へと進むにあたって最低限のことを指導しているつもりなんですが、きちんと身に付けてくれるのは半数といったところでしょうか。中学校へ上がってからこうしたことの大切さに気付く生徒もいれば、中学校へ進んだときに周りの基礎・基本の出来ないメンバーに流されてしまい、できていたことが出来なくなってしまう場合もあります。

 私は本気で指導しているんですが、なかなか身に付ききってくれません。私の教室に来てくれた生徒には、「個性を重んじる」をしている自信はあるのですが、「基礎・基本」を叩き込むことが完全にできていないと感じています。

 それでも、今日訪ねてきた新成人が、授業の様子を見て「懐かしい」といいながら、「先生!めっちゃ一生懸命教えてんな~。みんなすごいまじめやんか!」と言ってくれたことで、伝わっている生徒もやはりいるんだなあとも感じました。

 人間の人生はピラミッドによくたとえられます。1段目はこの世に生を受けたその瞬間から、ご両親が一生懸命積み上げていただきました。残念ながらその一段目に「わがまま」を積み上げてしまった場合は、どうか積みなおしてください。私は本来2段目からをご一緒に積み上げる覚悟ですが、1段目がきちんと積めていなかった場合、心を鬼にして積みなおそうと思います。

 ただし、個性をつぶしてまで積みなおす気持ちはありません。個性を尊重しながら積みなおしたいと想います。そしてそのために必要な懇談は何度でも行います。そして3段目・4段目を積むときは、個性に応じて新しい出会いを求めることも忘れないでください。

 石切教場の皆様には3段目に最適の教室がありますので、よろしければご紹介いたします。瓢箪山教場は形よく積む自信はありますが、高く高く積むには限界がありますので、それはそれでご相談いただければ誠心誠意お話させていただきます。

私は絶対にあきらめませんからね
 

おっ!久しぶりに出た!
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今日は珠算優良生徒表彰式典でした

2015-01-19 00:31:21 | そろばんに関する中身
 今日は私の教室が加盟している「東大阪珠算協会」の主催で「珠算優良生徒表彰式典」が挙行されました。

 当教室からは総勢15名が教室からの推薦で表彰を受けました。そしてもう一人、日本商工会議所珠算能力検定試験1級満点合格特別表彰(長い!)の栄を受けました。

 私自身は、1級挑戦10回目でやっと1級に合格。その後1級満点合格に9回挑戦しましたが、成し遂げることができませんでした。今は伝票算もなくない、みとりざんも桁ぞろいの問題となって、私の受験した当時よりは幾分簡単になっているとはいえ、やはり1級満点は簡単なことではありません。

 その快挙を、教室開設15年になる今年度に達成してくれました。

 この彼はやはり1級満点を果たすだけあってオールラウンダーです。定期考査はほぼ学年トップ。クラブ活動も手を抜かず!。文武両道どころかそれ以上の力を見せつけてくれます。

 そして、今教室では1級合格、またはそれに近い生徒はやはり学業は学年平均を大きく超えてきていますし、クラブ活動も全員運動部で両立しています。

 今日は裏方でひたすら仕事をしていましたが、やはり1級合格後の表彰となる「日本珠算連盟表彰」を受ける生徒は、礼儀も正しく姿勢も正しく、見ていて気持ちのいいものでした。

 そろばんだけでなく、学習も同時に指導する立場から見て(一応修士免許状:理科所持してます)、そろばん1級合格にはやはり大きな力があるとはっきりと断言できます。

 今回表彰を受けた生徒の中で、1級合格を成し遂げていない人は、とにかく1級合格に全力を注いでください。そしてできれば満点合格にチャレンジしてください。このチャレンジは脳みそをひとつもふたつも上のステージへと連れて行きます。

 今回の満点合格達成の生徒もそのことを証明しています。

 さあ、みんなでガンバロウ!
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あれから20年が経ちました。命を守るためにぜひ勉強してください。

2015-01-17 00:28:58 | 日記
 平成7年1月17日。兵庫県南部地震(いわゆる阪神大震災)が発生しました。約7千名が帰らぬ人となったあの日から、今日で丸20年が経過しました。私は震災当時、地震の原因となる活断層の活動が概ねでも予測できないかと言う研究をしていました。
 その自分にとって、自分自身がいかに無力でなにもできない存在であるかを痛感しました。良く知る後輩が一人犠牲となってしまいました。その後研究に没頭しましたが、結論としては「予測は不可能」というものでした。

 そして平成平成23年3月11日、東北地方太平洋沖地震(いわゆる東日本大震災)が発生しました。阪神大震災以降、毎年1月17日には追悼行事が行われ、この震災をきっかけに震度の階級が改正され、防災士という資格も生まれました。

 海に囲まれ、火山国である日本は、諸外国に比べて人一倍自然災害には関心があるはずなのに、そして東北地方の方々は、三陸沖地震やチリ沖地震による津波をたくさん経験していたにも関わらず、津波に対して備えなかったことによって多数の犠牲者が出てしまいました。

 それを象徴する判決が最近ありました。自動車学校の生徒さんで犠牲となった遺族の方々が、慰謝料を訴えた裁判です。結果は原告勝訴、自動車学校側は19億円余りの支払いを命じられました。

 この時の自動車学校側の主張は「大津波は予期できなかった」。

 ちょっと待ってください。大阪にいた私ですら、船の揺れに似た長周期振動を感じました。実際に東北地方でこの地震に遭遇した方は、人生で経験のない揺れだったはずです。少なくとも津波が来ることは予見できたはずです。なのに、この主張。通じるわけがありません。

 今の日本の教育、特に高校では残念ながら「地学」分野の授業が大幅に軽視されています。大阪府の高校では「地学」の授業そのものが開講されていない場合も多くなっています。

 その弊害は、自然災害発生時に、多数の無知による被災者・犠牲者の発生という、とてつもない人的被害となって返ってきます。ではどうすればいいのか。簡単です「勉強」してください。自分の生活を、そして命を守るために。

 昨日も私は子供たちに地震の心構えを、災害発生時にどうするかをお話しました。と同時に勉強の大切さも改めてお話しました。ちょっとお話はそれますが、勉強の意味を合わせて教えました。それは、将来いい仕事をするためでも、学歴を高くするためでもありません。

 「自分が勉強できるかできない(苦手)かを知るために勉強をするんだ」ということです。

 勉強をすることで、本当に自分に必要な勉強が見えてきます。それは自分のしたいことを見つけたときに、何を勉強していかなければならないのかが分かるという意味合いを含んでいます。

 そして勉強することで、自分自身が見ることのできる世界が広がり、自分に必要な知識を吸収できる人間になるのです。そして自分が学んだ知識を骨肉として身に付けることで、無知による損害を防ぐことができます。それはわが命を含みます。

 スマホやラインをいじったって、知識の浅い子供同士、何も得るものはありません。悩みごとの相談はお互いの顔を見ながら話せばいいんです。ゲームをするひまがあれば、本を読み、大人と話をすればいいんです。運動で汗を流すのもいいでしょう。

 自分にないものを持つ対象から、自分にない知識をひきだして糧にしてください。そして、言い訳しないで自分で物事が判断でき、自分の身を自分で守る音の出来る・判断できる大人になってください。そのために今、必要な勉強はもちろん、自分に必要のないと想える勉強も、そう思わずに進んでできる人間になってください。

 兵庫県南部地震の犠牲にあってしまわれたすべての方に哀悼の意を表します。そして地震予知はできなかったけれども、これからも一人でも次の犠牲者をださないために、頑張って子供たちにあの日の経験を伝えていくことを誓います。
 
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