子供たちの能力に大きな変化はありません。しかしながら今年1年間で感じたこと。それは残念ながら「中学校の先生に、先生としての能力の低い先生が増えている」ということです。批判を承知で今回は書きたいと思います。ただし、先生方の中には敬服する、私なんかが絶対に太刀打ちできないくらい素晴らしい先生もおられることは、最初に断っておきます。
まず、「自分の担当教科の知識がよろしくない」
私はそろばんの先生を主としていますが、中学・高校理科専修免許(大学院卒の免許)を所持しています。だからというわけではないですが、こと理科の指導に関してはちょっとばかり自信があります。もともと理科・社会が大好きで、国語は得意、数学はそろばんのおかげで高校卒業(文系)レベルまで特に苦労は感じませんでした。英語だけは信じられないくらい悪かったですが…。
で、特に試験問題がひどいわけです。「教科書にはこう書いてあるから×」「授業中にこう指導したから×」と、自分の指導と教科書がごちゃまぜなわけです。教科書どおりにいけば、先生の模範解答は×。先生の指導通りにいけば教科書にはうそが書いてあることになる。その自己矛盾に指摘されるまで気が付いていないわけです。そして指摘されたときに生徒に反した答えには唖然としました。「そんなん入試にはでえへんわ!」。
子供を導く「自分の教師としてのビジョン」がない
昨日叱ったことで、今日は叱らず、昨日叱らなかったことで、今日は叱る。叱った後「じゃあどうすればいいんですか?」「自分で考えろ!」と、生徒が訪ねたことに逆切れで返す…。
生徒たちに「こうなってほしいから、このように叱りました」ときちんと自分の指導のビジョンを、保護者に語れるんでしょうか?甚だ疑問です。
生徒と保護者の前で態度が違いすぎる
これ、一番あかんやつです。子供たちは教師のことを怖いくらい見ています。あきらかに態度や言っていることが違うと、途端に生徒たちは教師を信用しなくなります。さっきの中身とダブりますが、自分の指導している中身・ビジョンに自信があれば、言葉遣いを除けば、態度や言動を変える必要はないはずです。
というわけで、私はこうした指摘をされないように、子供たちに信用してもらえる先生でいるために、肝に銘じて来年も頑張ります。
まず、「自分の担当教科の知識がよろしくない」
私はそろばんの先生を主としていますが、中学・高校理科専修免許(大学院卒の免許)を所持しています。だからというわけではないですが、こと理科の指導に関してはちょっとばかり自信があります。もともと理科・社会が大好きで、国語は得意、数学はそろばんのおかげで高校卒業(文系)レベルまで特に苦労は感じませんでした。英語だけは信じられないくらい悪かったですが…。
で、特に試験問題がひどいわけです。「教科書にはこう書いてあるから×」「授業中にこう指導したから×」と、自分の指導と教科書がごちゃまぜなわけです。教科書どおりにいけば、先生の模範解答は×。先生の指導通りにいけば教科書にはうそが書いてあることになる。その自己矛盾に指摘されるまで気が付いていないわけです。そして指摘されたときに生徒に反した答えには唖然としました。「そんなん入試にはでえへんわ!」。
入試に出なかったら、どう教えてもええんかい!
子供を導く「自分の教師としてのビジョン」がない
昨日叱ったことで、今日は叱らず、昨日叱らなかったことで、今日は叱る。叱った後「じゃあどうすればいいんですか?」「自分で考えろ!」と、生徒が訪ねたことに逆切れで返す…。
生徒たちに「こうなってほしいから、このように叱りました」ときちんと自分の指導のビジョンを、保護者に語れるんでしょうか?甚だ疑問です。
いきあたりばったりで考えるな!いつも目の前の生徒のことを真剣に想え!
生徒と保護者の前で態度が違いすぎる
これ、一番あかんやつです。子供たちは教師のことを怖いくらい見ています。あきらかに態度や言っていることが違うと、途端に生徒たちは教師を信用しなくなります。さっきの中身とダブりますが、自分の指導している中身・ビジョンに自信があれば、言葉遣いを除けば、態度や言動を変える必要はないはずです。
保護者に見られて困ることは、生徒にもしたらあかん!
というわけで、私はこうした指摘をされないように、子供たちに信用してもらえる先生でいるために、肝に銘じて来年も頑張ります。