東大阪でそろばん教室を運営しているの先生のブログ 関西珠算瓢箪山教場・石切教場

子供たちから教えられたこと、感じたことを想いのままに綴ります。

奇跡を奇跡ではないと体現した生徒

2017-10-30 14:56:45 | 日記
 今から約18年前・平成11年の12月、私は師匠の師匠が体を壊されてしまったことをきっかけに瓢箪山の教室を引き継ぐ形で教室を開きました。

 開設当初は生徒が9名。お月謝の収入が家賃すら下回る状態での開業でした。そして小学生は2名だけ。あとは中学生以上でいつ辞めるか分からないと言う非常に厳しい状態でした。

 そんな中、1年生の少年が夏前に入学しました。彼は入学当初はたしざんがまだ理解できていない状態でした。生徒が少なかったとはいえ、さすがにつきっきりで教えたわけではありませんが、手をかけたかといえば今現在の生徒たちと比べたときに、そこまでの違いはないと思います。

 そしてそろばんの学習を通してゆっくりと数への理解を深めた彼は、翌年の授業参観で実施された百ます計算で、1番にできて100点を取ったのです。(私はずいぶん後から聞きました)

 私は当の本人からは「100点取ってん!」としか聞いていなかったので「よくがんばったねえ!」と褒めただけでした。そしてそのときの生徒総数は10名(中学生以上が2名辞めて、新入生が3名でした)。そして2月のある日に奇跡が始まりました。

 その当時の授業日は月・水・金の3日間(後の日は塾講師の雇われ講師をしてました)だったのですが、授業日のたびに入学希望者が教室を訪ねて来てくださいます。多い日は1日で3名なんて日もありました。大半はその少年の同級生でしたが、近隣にお住まいの方のご入学もありました。そして2・3月の入学者は驚愕の22名。本当にびっくりしました。赤字が黒字に変わったあの日の感謝は今でも忘れません。

 そしてこのご縁の大半は、最初に入学してくれた少年が、算数で見せた驚異的な伸びのおかげでした。当の本人はできることが増えていくことを楽しんでいましたし、指導する私は順調な伸びを喜んでいました。

 そしてその時期の入学者の中に彼の好敵手がいました。今まで私が教えた500名以上の生徒の中でも3本の指に入るくらいの天才肌の少年でした。2人は普段から仲がよく、かつお互いを意識してました。

 そんな2人に転機が訪れます。私は増えていく生徒を指導しながら、「どうしてこんなに指示や指導が一回で通らないのか?」と疑問に思っていたのです。そしてそろばんの本に「自由落書き」の場所がありまして、そこに自分の好きなことを書いていいのですが、そこへ漢字を書いてきた生徒の字の雑さに愕然としたのです。そこで私は「寺子屋」を意識しました。漢字の指導を授業に取り入れることに決めました。

 数ヵ月後、とりあえずできた漢字の本で、お試し授業をしてみました。最初に入学した彼は悪戦苦闘。例文を読めるようになることができません。ところが好敵手の彼はほんの1・2分で覚えて読んでしまいました。最初に入学した彼は30分たっても読むことができず号泣しました。

 そこから彼は変わったのです。何事もできるまであきらめなくなりました。できないままを悔しいと感じ、ひたすらに努力を重ねました。そして6年生の懇談のときにお母さんにこう言いました「たぶん、本気で努力すれば天王寺は厳しいが、高津には届くと思います。1度進学塾の門を叩いてはいかがですか?」と。そして好敵手の彼のお母さんには「彼は見通しが甘いところがあるから、サボるひまのない環境を与えてください。そうすれば天王寺に届くと思います」と。

 そしてその2名は当時の進学塾の門を叩きました。その後2名は私が6年生のときにお話をさせて頂いたとおりの高校へと合格しました。その合格はひとえに当人のたゆまぬ努力のおかげだと思います。

 そして彼らの紹介でお預かりした同級生の大半を塾指導で私がお預かりし、そのお預かりした生徒はほぼ希望の進路に進みました。私を先生として鍛えてくれた、そして地域の皆様に知っていただくきっかけを作ってくれた生徒が、この時期に入学してくれた生徒の皆さんです。

 そして、最初に入学してくれた彼は、お預かりした当初は果たして高校へ行くだけの学力がつくのだろうか?と半信半疑でした。

 この彼は私に先入観でこどもを判断することは、教育者たるもの絶対にしてはいけないということを、そのたゆまぬ努力と結果で、私に骨の髄まで叩き込んでくれました。今の私があるのは、彼の影響が大きいと言っても過言ではありません。

 そんな彼はこの春、無事に関西の名門大学を卒業し、日本でも屈指の有名企業にエンジニアとして採用されることになりました。お盆には一緒に飲みにいきましたし、いろんなお話をしました。私の自慢の生徒ですし、私の恩人の1人でもあります。

 彼は奇跡と言うものは起きるものではない、起こすものであるという事実を体現し私に見せてくれました。

 さて、いよいよお勉強でお預かりしている3年生は入試に向けての自分との戦いが本格化します。ぜひとも最初に入学した彼のように、自分自身のたゆまぬ努力をもって、自分自身の希望の進路を勝ち取って欲しいと思います。

 そう「奇跡は起きる」ものではありません。自分の努力で「奇跡を起こす」のですよ!
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福井県の事件について思うこと

2017-10-27 00:26:25 | 日記
 今回もまた、自分の人生を絶つ決断を決断をした少年がいます。インターネット上では「その少年の精神が弱すぎる」とか、「そのくらいのことで人生を絶つのは大げさ」とかいう無責任な論調もありました。
 また、原因を「大きな声での叱責」に求めた、著名な教育評論家の意見もありました。
 「生徒指導で一番大事なのは生徒を理解する、生徒の話をよく聞くこと。しっかり受け止めて心の叫びをつかまえることができれば、生徒は先生に信頼を寄せ始めます」 「でかい声を出すってことは、自分の思いとかをぶつけるってことなんです。恐怖ですよ」

 問題はそこじゃないんですよ。中学生の未熟な気持ちを理解できていない教育者があまりにも多いということなんですよ。もっといえば、どんな生徒でも信頼を勝ち取ることのできる教育者なんか絶対にいないんです。そこが一番大きな問題点なんですよ。

 「でかい声を出して叱責」されることで、自分の弱点に気づき克服していく生徒もいるでしょう。「生徒の話をしっかり聞く」ことで、その先生に信頼を寄せ、自分の思いを打ち明けてくれる生徒もいるでしょう。指導力が皆無な先生でも、できない自分を重ねて親近感を覚え、「なぜあの先生に?」と思われても、みんなから信用されない先生こそを慕う生徒もいたりします。学習指導が素晴らしい先生にあこがれて、その先生に傾倒していく生徒もいるでしょう。クラブ活動に燃えてその活動を通して顧問の先生と信頼関係を築く生徒もいるでしょう。

 さて、上記のような役割を1人でこなせる先生っていますか? いないでしょうね。だから、「生徒指導で一番大事なのは生徒を理解する、生徒の話をよく聞くこと。しっかり受け止めて心の叫びをつかまえることができれば、生徒は先生に信頼を寄せ始めます」なんて妄言が出てくるわけですよ。
 それぞれの生徒に対して、信頼できる先生が学校現場に1人いればそれでいいんです。そして「どの生徒が誰を一番信頼しているか」を先生同士が把握しておけば一番いいんですよ。それを「俺がこいつを指導する!」とかわけの分からない先生がいるからこんな悲劇が起こるんですよ。

 私自身も含めた全ての先生は思い上がりを辞めるべきです。自分でできることなんかほんの少ししかないんです。でもその中で自分のできることを全力でする姿を見せ続けるから「2番手・3番手」に信頼できる先生になっていくんです。子供たちから信頼されるなんて本当に難しいことなんですよ。私は私の教え子たちに信用されていると思いますよ。少しくらいはね。でもそのために一人ひとりと信頼関係を築くために、何年かかっていると思います?

 今までの最長記録は9年ですよ。9年。ほとんどの生徒は本気で叱ることができるまでに3年以上かかっています。で、中学校の先生は子供たちとどれくらいの期間向き合いますか。長くて3年ですよね。そんな短期間で子供たちと信頼関係を築けると思うほうがおかしいんですよ。
 みなさんもご自信の経験を思い返していただければそうではないですか? そんなに簡単に先生のことを信用しましたか?

 今回の事件は、大阪市立桜ノ宮高校のバスケ部の主将が抱いたしんどさと重なる部分が多いように感じます。指導する先生方の傲慢さが今回の結果を招いたんだと思います。
 子供たちに自分の想いを伝えることは本当に難しいんですよ。この担任の先生は「なんでお前は俺の言うことが分からないんだ!」と思っていたんでしょうね。

当たり前じゃ!


 あなたは自分の指導に対して「違うかも?」という意識を持っていましたか? 複数の先生に自分の指導方針を客観的に見てどう思うかの助言をもらい、おかしければ修正すると言う当たり前の手順を踏みましたか? あなたの「正しい」と思っていることは本当に客観的に正しいことですか?

 私は子供たちを叱責するときにはいつもこのことを意識しています。そろばんで幼稚園児~大学生までを教えている経験。中学校で一年間非常勤講師をした経験。奈良教育大学の学部生の授業を5年間行った経験。高校の教育実習で先生と言う立場から、自分が教えて頂いた先生の授業を見せていただいた経験。そろばんボランティアでのべ100クラス以上の小学3・4年生を教えた経験。これまで200名以上の保護者の皆様と懇談をさせていただいた経験。をもとにして、常に「正しい」という基準を修正し続けているつもりです。

 先生という立場の人間は、矜持を持つことは大切だけれども、それ以上に常に自分の価値観を修正し続ける謙虚さが必要なんです。今書いたことは自分への戒めとしてもきちんと胸にとどめておきたいと思います。

 最後になりましたが、自分の人生を絶つ決断をしなければならないほど苦しんだあなたに、何もできなかったことを大人としてお詫びします。残された皆様に心からのお悔やみを申し上げます。そして心からご冥福をお祈りいたします。
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自分の思う結果がテストででない原因のひとつ

2017-10-20 11:02:53 | 学習・塾に関する中身
 が、「丸暗記」だと思います。

 たとえば、中3の数学で「解の公式」を学びます。このとき、一般的な二次方程式からこの解の公式を導けるまできちんと学習するか、結果だけを丸暗記するかで、その生徒のおおよその学力は分かります。

 各教科ごとに「理解すべき部分」があります。結果を丸暗記するのではなくて「何故そうなるのか?」これがすごく大事です。「理解すべき部分」を中学生で自分から見つけ出すことは難しいですね。私たち指導者のように、全ての学習を終えた後で振り返る「俯瞰」ができて初めて「理解すべき部分」の重要性も含めての指導ができるようになります。だから中学生が自ら「理解すべき部分」を押さえてお勉強を進めるのは至難の業であると断言できます。
 
 しかしながら、実は中学生の日々のお勉強の中で「理解すべき部分」に多少は気づいているはずなんですよ。それは「なんでこの答えになるのか」となんとなくは理解しているけど納得はできていない状態のときなんです。ここで「丸暗記」を選択するのか、納得するまで質問を繰り返し説明をしてもらうのかで、その生徒の学力は転換点を迎えるといっても過言ではありません。

 でも、試験前になるとそのように疑問点を解決していく時間を十分にとることが難しくなる生徒が多くなります。なぜか?提出物をきちんとできていない場合、提出物をこなすだけで精一杯になってしまうからです。
 このことに気づき、普段からコツコツと努力を積み上げて、「腑に落ちない」部分を「腑に落ちる」ようにできるようになった生徒は、学力は上昇を続けていくようになるのです。

 ほとんどの塾さんでは試験前に大量の課題を出してしまうようで…。いったい自分の弱点補強はいつするのでしょうか? もちろん、塾さんの課題をこなしていくことで、同時に疑問点が解決されていくという素晴らしい教材を作成される神のような指導者の下で学べば、こんな心配は杞憂に終わります。
 私はそんな指導者も教材も見たことがありません。

 お勉強と言うのは「分からないことを分かるようにしていくこと(暗記できていないものを覚えきることを含む)」です。そのための方法論は子供たちの数だけあっていいですが、「分からない、腑に落ちないことをそのままにしておく」ことで学力が伸びることはないと断言できます。

 偉そうに言いながら、まだまだ私の生徒たちにはこの部分ができていない生徒が多数いますが、少しでもできるように持っていくこと。これができるようになることが「そろばんメソッド」です!(←これ、カタカナ言葉は使ってるし、メソッドとか言ってるし、誰かに怒られるやつですね)

 おふざけやめてちゃんと言いますね。このように、「腑に落ちない」部分を「腑に落ちる」ようにできるようになってくれるまで成長すれば、後は私は手助けをするだけで済みますし、生徒たちは自分の目標に向かって問題なく進めるようになるというわけです。

 教える仕事を始めて足掛け20年になります。手を変え品を変え、伝え方は変わっても、子供たちに伝えたいことは全く変わっていません。やらされるお勉強ではなく、自分からやるお勉強、主体的なお勉強をできるようになって欲しいと思います。
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第三回定期考査

2017-10-19 16:04:37 | 学習・塾に関する中身
 縄手北・枚岡中学は終了です。そして縄手中学は明日まで。というわけで、概ね第三回の定期考査は終了です(縄手中学は明日までですけど、もう私が手を出すことはありません。あっ、質問には答えますよ)

 今のところ、それぞれの個人の努力に応じた結果になったと思います。全員の結果は私の予想の範囲から外れた生徒は1人しかいませんでした。その1人はおおきく成績を伸ばしてきました。私の予想を五教科合計で40点上回っていました。

 その1人は本当に黙々とお勉強をします。運動部を精一杯頑張って、疲れていてもお勉強をサボることなく取り組み続けています。普段からコツコツとしっかりと積み上げています。しかしながらその生徒は自分に自信がありません。「どうせ…」という意識が抜けきりません。そして自分でお勉強をしていても、分からないことが多くてこちらから見ていると「よく手を止めずにお勉強しているなあ」と感心するほどです。

 そして今回も本当に試験直前まではいつもと同じ状態でした。だから私はいつもどおりの結果を出すものだと思っていました。そして結果を聞くときにもその生徒はいつもと同じ顔をしています。まあ予想の範疇なんだろうと思っていました。が聞いてみると予想よりもずいぶん高い点数です。そしてその生徒の答案を精査すると、本当によく書けています。答えが書いていない部分はほとんどなく、記述形式の問題でも答えが書けています。そしてその答えも主述の呼応がきちんと成立していて、問いに対応している答え方になっています。当たり前のことですが、この生徒は論理的な思考がまだまだ未熟でした。でも今回の答案は本当に別人のようによく書けていました。

 それでも当の本人は「全然あかんかった…」ですと。もっとできたはずだと言います。よく頑張ったのにその歩みを止めようとはしません。この生徒はもう心配ないでしょう。志望校へは確実に届くはずです。

 2・3年生はともにそろばん教室生の平均が学年平均を大きく上回りました。そして1年生はかなり学年平均が悪かったにも関わらず、前回よりもそろばん教室生平均をあげてくれました。全体としてはまあまあの出来です。

 努力がきちんとできる生徒も少しずつ増えてきています。ただ、指導者側は全く手応えを感じていません。まだまだ努力不足・勉強不足、そして試験に対しての意識が低いと感じています。次回以降この部分をきちんと修正していくことができるように指導していくことがどうやら私の課題のようです。

 ま、頑張ります!
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模擬試験

2017-10-15 00:25:46 | 学習・塾に関する中身
 秋休みを利用して、お勉強組は懇談会を実施しました(予定があわずに秋休み後にする方もありますので、まだ全員が終了しているわけではありません)

 3年生は進路についてを主に、残りの学年は普段の取り組みと、進路についてを主にお話しました。そこでよく出てくるのが「偏差値」です。偏差値については最近触れましたので、詳しくはその記事に譲るとして、偏差値という指標はきちんとその意味を理解していればなかなかに便利な基準です。
 大阪ではやはり五木の模擬試験が一番重要視されますよね。ほとんどの塾で受験が必須になっているのではないでしょうか?

 さて、私の教室では某教材会社の模擬試験を年に2回(夏休み・冬休み)と、11月の五木の模擬試験のみを必須としています。後は受験は自由です。(1月の五木の模擬試験は、提供してくれる私立さんに限り自分の受験希望校で模擬試験の受験ができますので、お勧めはしています)

 さあ、この記事。賛否両輪ではなく否否単論(私の造語です)になりそうですね。指標としての絶対的な量が足りないと言う指摘を受けそうです。そうですね。たぶん足りないんでしょうね。でも私はこれまでに進路指導で困ったことはありません。なぜなら、生徒全員のお勉強を私一人が全教科担当しているからです。だから、3回も模擬試験の結果があれば十分です。(今年は学年トップが在籍しているので、今までの経験則を当てはめることができない進路指導になりますが、私なりに準備はしています)
 で、模擬試験を受験すると言うことは、その分時間を確保せねばなりません。また費用も決して安いものではありません。どうしてそんなに受験を強制するんでしょうか? その模擬試験に使う時間を、自分の弱点補強に当てれば、もう一伸びできそうな気がします。

 もちろん、場慣れという点からは意味がありますし、試験そのものの数をこなして時間配分などを体に叩き込むなど、上位校受験者には必要な側面もあるでしょうね。でも、私は今回の五木の模擬試験は受験を強制する気はありません。なぜか?それは
 枚岡神社の秋祭りの日と重なっているからです。

 中三が秋祭り? この時期にそんなこと言うてる奴はあかんやつや! とか聞こえてきそうですね。でも私はこのように考えています。

 年に1度、楽しみにしている行事を我慢してまで模擬試験を受けなきゃ得ることのできない情報や資料なんて、意味がありますか? この資料がなければ進路指導できないんですか? 試験から得られる数字を根拠にしない進路指導など意味がないと考える指導者は本当にちゃんちゃらおかしい!
 だってね、子供たちの普段のお勉強への取り組みを、そして定期試験の問題を見てその答え方をきちんと精査すれば、どれくらい理解が進んだかは把握できます。模擬試験を重視している指導者の下でお子様が学んでいる保護者の皆様は、1度お子様に「塾の先生って定期試験の答案を確認してる?」と聞いてみてください。(でも、学校の試験よりもよっぽど優れた塾内試験を課している指導者の場合は、これはあてはまりません。ただし、そういう指導者は必ず子供の答案をデータ化して持っているはずです。数字の変わりに答案の答え方が根拠に出てくるはずですよ)
 模擬試験の結果出てきた数字よりも、子供たちと日々向き合って感じ取る感覚のほうが大事だと私は思っています

 だから、年末年始も大晦日と正月三が日はきっちりと休みます。新年を家族と平穏に迎えることができない。お正月すら家族と行動を共にせずにお勉強しなきゃ受からないような高校なら、自分の能力を超えていますから、やめておいた方がいいとすら思います。

 今回の進路懇談は、夏の模擬試験の結果と普段の取り組み、そして定期試験の結果を持って行いましたが、別に情報が不足しているとは思いませんでした。そして、何よりも大事なのは子供たちの「その高校に行きたいという意思確認」だったというわけです。

 模擬試験の数字ばかりを重要視しすぎると、目の前にいる子供たちの頑張りを、いますぐには数字に出ないけれども三ヵ月後には必ず数字にでるであろう子供たちの機微を見逃すことになるでしょうね。

 私は、これもでもこれからも、子供たちと共に歩んできたその空気を、その感覚を何よりも大切に、そして模擬試験の結果や数字は参考資料として接するという考え方をこれからも変えずに行きます!
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