東大阪でそろばん教室を運営しているの先生のブログ 関西珠算瓢箪山教場・石切教場

子供たちから教えられたこと、感じたことを想いのままに綴ります。

悔やしいと思うためには、悔しいと思える努力が必要です。

2014-10-13 09:13:58 | 日記
 このブログを読んでいただいている方はおいくつなんでしょうか? 社会人と言う前提でこのブログを書いています。

 「悔しい」という気持ちになったことはありますか? 「悔しい」という気持ちを持ったことがあるならば、それは健全な努力をしてきたということだと思います。「悔しい」という気持ちの裏には「もっとやっておけばよかった」というものと「あれだけやったのになぜ結果が出ない!」という二つの場合があると思います。

 前者の場合は、試験勉強はもちろんのこと、そろばんの検定試験の練習や、ダンス・ピアノなどの発表会などでの不本意な結果についてが当てはまると思います。

 後者の場合は、クラブ活動の試合で、勝てると思った相手に負けたとき(文科系ならコンクールで不本意な評価を受けたとき)などが当てはまるでしょう。

 「悔しい」想いをしたときは涙をこぼすことになるでしょう。あんなに頑張ったのに!と。

そう、
「悔しい」と言う気持ちになるためには
「悔しい」と思うに足る努力が必要です
「悔しい」と想える努力をした者だけが
「悔しい」と言わないために前進します
「悔しい」と二度と言わないと誓うから
「悔しい」と思えない結果に出会えます


 今私が指導している生徒の中には、まだまだ「悔しい」と言うに足る努力ができていないものが多数います。ただ、中学生は今回の定期試験でようやく「悔しい」と感じた生徒が出てきました。とてもいいことです。自分に足りなかった部分と真摯に向き合って、次回以降の上向きを期待します。というか、「悔しい」ときちんと思うことができたならば、次回以降結果は少しずつ出るはずです。

 そろばんの生徒の中には「悔しい」と思うことができる舞台にすら立っていない生徒がまだまだいます。「努力は結果を裏切らない」私がよく使う言葉の裏には「努力をすれば悔しいと思う」とう意味があります。「悔しい」と感じることが、本当の意味での努力と向き合うスタートラインに立つことだと思います。

 「こんなに頑張ったのに!」と言うことができたとき、私と生徒の二人三脚が本当の意味で始まります。まずは「悔しい」というための努力を始めましょう。そしてご家庭では、不本意な結果が出たときには「で、悔しいの?」と聞いてあげてください。
 「悔しい」を払拭する努力ができる生徒になってほしいと思いますし、これを目標の一つとして指導をしています。
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国語はすべての礎(いしずえ)ですよね。「英語?」小学校で授業の必要ありますか?

2014-10-11 00:02:00 | 学習・塾に関する中身
 最近の小学校では「英語科」が正規の授業になっています。私からすれば「?????」です。なぜ「日本語」がきちんとできてないうちから「英語」を教える必要があるのか? 不思議で不思議で仕方ありません。

 日本語を理解するためにはただ「話せる」だけではいけません。言葉のつながり、品詞の区別、活用形、主語述語のねじれがないか、時制は…。言葉の規則をしっかりと理解しなければ意味のある文章を紡ぐことは難しいものです。

 中学生を指導するときに、そこまでの国語がきちんと理解できているかどうかを見極める一つの山場が、2年生の後半に出てきます。社会科歴史分野においてのお話です。

 江戸時代は黒船来航をきっかけに終焉を迎えます。開国後日本は欧米列強各国と不平等な条約を結ぶことになります。

問題 日本にとって「不平等」な条約を結んだとありますが、どのような点が日本にとって不平等でしたか?。二点説明しなさい。

答え ・関税自主権がない(放棄させられたも可)
   ・治外法権を認める(領事裁判権を認める、認めさせられたも可)

 よくある間違いは「治外法権」「関税自主権」だけを書く間違いなんです。これは関税・自主・権、治・外・法(領事・裁判)のそれぞれの語句の意味を適切に理解していなければ、どうして不正解になるのかの根本が理解できません。
 普段の学習から、日本語にこだわり、語句の意味を調べて自分のものにしていく。この積み重ねが後々にこうした理解力の差となって現れます。5教科の合計点が、学校平均を下回る生徒は、ほぼ例外なくここの言葉の意味を理解することに苦労します。そして平均点を上回る生徒は、一度説明すれば概ね理解します。

 数学であれば、証明の単元を学習するときにこのつまずきが見えます。理科であれば肺胞の仕組みを学習するときに。国語の軽視はすべての教科で影響がでます。「日本人なんだから、国語なんてある程度で来て当たり前」なんて考え方、大間違いです。もしこの考え方が正しいなら、おそらく日本全国の中学校で国語の平均点は80点を超えてくるはずです。

 「日本人なんだから、国語なんてある程度で来て当たり前」という考え方が成り立つとすれば、「子供の成長に携わるすべての大人」が、「正しい日本語をきちんと」使いこなし、「間違った使い方をしたときはその場で正しく訂正」し、「正しくない日本語が使用される場には触れさせない{たとえばテレビやゲーム・スマホなど}」という環境が子供たちに完璧に保障されていることでしょう。さて、この日本国内にそんなところありますかね?
 近いところはあるでしょう。都会の喧騒から離れた自然豊かな環境ならばね。だから全国学力調査の上位常連はすべて、都会からは遠く離れていますよね。

 そしてもう一つ。国語の授業・テストにおいて「聞き取り」が行われていることを聞いたことがありません。私の不勉強で実施している学校があるならば失礼極まりないですが、私の知る範囲ではありません。そして今国語科で行われているテストを、聞き取りテストに変更すれば、恐らく成績は下がるでしょう。日本語では聞き取りテストを重視しないのに、なぜ英語では中学でいきなり「リスニングテスト」を行うのか? 意味不明ですし、矛盾はなはだしいと思います。そして、国語の授業で正しい日本語を指導し、集中して聞き取ることを教え、論理的な文章を構成する力がつけば、英語はある程度理解できるようになるはずです。だから今の教育は、子供たちを言葉の迷宮に送り込んでいるようなものだと思います。

 今の子供たちに必要なことは「正しい日本語」を「正しい知識を持った大人」が「正しい指導方法で伝える」ことだと思います。私はそろばんの指導者ですから、この国語の言葉の一つに「数字」を込めることにこだわります。数字は記号ではなく、意味を持った文字であり言葉です。この数字の持つ言葉としての意味(たとえば、各位に書くことができる数字は一つであり、その数字が同時に位を表す:十進位記数法)も同時に教えます。
 日々のご挨拶から、単語で話すことの訂正、漢字を書くこと、古文・銘文の暗誦、意味を調べること、子供たちが興味を持ったことについてできる限り丁寧に説明する(この2日間は月食前後のお月様はどうして赤く見えるのか? について少しお話しました)こと…。

 「子供たちが少しでも日本語をきちんと使えるように」この意識を持って日々の指導に当たっていますが、今回の試験結果を見るに少し自信を無くしかけています…。中2!頑張ってください! 日々伝えていることをそろそろ理解してください! いつまでも甘ちゃんではだめ!
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