東大阪でそろばん教室を運営しているの先生のブログ 関西珠算瓢箪山教場・石切教場

子供たちから教えられたこと、感じたことを想いのままに綴ります。

夏期講習いついて思うこと

2021-06-30 15:13:24 | 学習・塾に関する中身
 私のこそっとおこなっている学習塾でも、夏期講習は実施します。とはいえ「〇〇講座」のようなものはなく、通常授業の時間帯を延ばして、復習課題を頑張ってもらうだけです。

 もともと、学習塾の方は5教科を指導しています。私からすると「普段は英語と数学。国語・理科・社会はオプション」のような指導はとても効率が悪いと思っているからです。

 これ、当然ながら学力の凸凹が大きくなることが多くなります。普通の塾であれば宿題を出しますよね。その宿題をこなしていれば英語と数学の学習量は多くなるでしょう。でもそこにエネルギーの大半を振ってしまえば国語・理科・社会の勉強量は必然的に「塾に通わない生徒よりも」少なくなってしまう可能性があります。よく講座制の塾さんの講師の方が「取ってない授業の成績が悪いと言われても知らん」と嘆いているのをSNS上で見るのですが、そりゃそうですよね。学びの量・質ともに差が大きい状態で、全教科が同じように一番いい教科に合う成績で揃うなら、こんなに楽なことはありません。1教科に特化して教えればいいわけですから。

 5教科を一人で教えることのデメリットも当然あります。専門性がどうしても低くなってしまうんです。特に私立入試の問題研究は「自分の生徒が受ける高校・その難易度近辺の高校」にどうしても偏ります(時間もしんどいですし、問題収集の手間も考えると無理ゲーですね)。なので、自分が専門として学んできた教科以外はどうしても手薄になってしまうことを避けにくいのです。そして、他者の目が入らないので、知識のアップデートを怠っていると教える中身が間違いであっても指摘されないという問題点もあります。

 私自身はデメリットをできるだけなくしすように努めてはいますが、こればっかりは「自分で気付けない」だけに、正直完璧ですとは言えません。これが苦しいところです。

 それでも、一人で5教科を教えることで、個人個人の弱点の把握ができますし、教科を横断するタイプの授業ができちゃいます。(たとえば、国語で奥の細道を扱えば、五街道についてや気候風土に触れることができます)

 さらに人件費がいりませんので、費用をかなり抑えることも可能です。これが実は一番のメリットかもしれません(さらに広告宣伝費を極端に低くできますから、その分も費用は抑えることができるといえます)

 というわけで、私自身は「全員に5教科を普段から指導する」という選択肢しかないわけです。そしてこのスタンスが故に、特別講座もしなくていいので夏期講習の費用は(多分)まあまあお安くできているはずです。

 この時期、夏の風物詩のように「夏期講習の費用が高い」というお話を聞きますが、高くても中身がしっかり伴っていればいいでしょうし、高すぎておかしいと思われれば、地元にもっと目を向ければ、良心的なお値段で頑張っている教室を見つけることができるかもしれません。
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子供たちの可能性

2021-06-10 10:49:48 | 日記
は無限です。綺麗事ではなく事実です。過去の生徒で1番すごくこのことを体現してくれた生徒は、小3時点で既習の漢字の読み書きが5割できておらず、意思疎通すら日本語では危ういという状態でした(単語で会話するというイメージですかね)。ライバルの凄さに一念発起して、当時受験できる学区で2番手の高校に合格し、関関同立のどれかの理工系に進み、今では某シンクタンクに勤務しています。

私にその能力が見えるのは「ずば抜けている」生徒の場合です。語彙力や頭の回転が速いといった「素質」の部分は小1時点て垣間見えることが多いです。そしてこの「ずば抜けている」と感じる感覚はほぼ間違いないんです。

ところが逆の場合、つまり「ずば抜けていない」生徒がその後も伸びないかと言われると「分かりません」なんですよね。後伸びする生徒もたくさん見てきましたから。だから「子供たちを色眼鏡で見る」ほど、子供たちを教える中でバカバカしくやっちゃいけないことは無いとも思います。

子供たちがグンと伸びる瞬間を見るのはいつも嬉しいものです。こういう感覚を持たずに、ある年齢時点での様子でその子供の能力を決めてかかる指導者には残念な感覚しかないですね。

どの年齢時点であっても「いつ伸びるんだろう?」とワクワクしながら教えることができる。これこそ指導者冥利だと思っているわけです。
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どうして検定試験指導がメインなのか

2021-06-02 15:47:54 | そろばんに関する中身
 最近は「そろばん教室の選び方」という言葉を聞くことやネット記事を見ることが多くなってきました。暗算指導をしていない教室や、競技大会に参加しない教室はやめておきましょう。なんて文言もまた見るようになりました。私はこうした考え方に賛同できる部分もあればその逆もあります。特に競技大会についてはあまり積極的ではありません。
 というわけで、私のそろばん教室におけるそろばん指導の考え方と、どうして競技大会へ積極的に参加しないかを書いてみたいと思います。

指導の想い①「全員にヒーローを経験してほしい」

 競技大会というものは「参加者で一番」を決めるものです。当然一番は参加部門の中で一人だけ(同点優勝はあるにはありますが、まあ普通はね)です。つまり一人しかヒーローになれないのです。これに対して検定試験は「合格」すればヒーローです。「受験者全員合格」もありえます。これは競技大会とは性格を異にする部分です。全員にヒーローになってほしいから、全員がヒーローになることができる検定試験指導をメインにしています

指導の想い②「数字を丁寧に扱ってほしい」

 競技大会は規定時間内に1問でも多く正解することを目指します。数字はお世辞にもきれいとは言えない答案が多くなります(私は競技大会の裏方も、演技委員:MCも幾度も経験しています)。大会によっては「その選手の数字を採点する専門の先生」がいる場合もあったりします。普段から「速ければいい」という価値観が身についてしまうことに対して、私は懐疑的です。
 これに対して検定試験は「採点基準」が明確です。2通りに読むことができる数字は原則として×になります。この×はきちんと生徒に説明できます。もちろん個人の習癖によるものは「全体を通して観察し、受験者の不利にならないように採点する」という基準があります。個性は尊重しつつ「中学・高校・大学と進んでも不利を被ることのない数字」をできるだけ速く書くことができるようになってほしい。この考え方に検定試験は最適なんです。

指導の想い③「そろばんだけができる人にはなってほしくない」

 最近は「ブラック部活」なんて言葉を聞く機会も増えました。部活の拘束時間があまりにも長いために勉強する時間を取れないとも。そろばんの練習も行き過ぎると同じようなことが起こります。競技大会での上位入賞を目指すとなると、それなりに練習時間(すなわちそろばんの拘束時間)が長くなります。この時間でできるでろう遊びやほかの習い事、あるいは「ただボーっとする時間」も無くなってしまうのです。これが果たして子供の成長にとって良いことばかりなのか?とも考えるのです。何事もバランスが大切だと思うのです。そろばんも勉強も遊びも。さらにはほかの習い事も。たくさんの経験を積んでほしいのです。

 という想いがあるので、競技大会へ「積極的には参加しない」のです。もちろん案内はしますし、希望者は参加してもらいます。挑戦の機会を奪うことはしていませんし、上位入賞を目指したい生徒にはきちんと説明したうえで課題を渡しています。

 こんな考え方で指導している「競技大会に積極的な参加をしない」教室もあるということを知っていただければ幸いです。
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