東大阪でそろばん教室を運営しているの先生のブログ 関西珠算瓢箪山教場・石切教場

子供たちから教えられたこと、感じたことを想いのままに綴ります。

今年度の入試を終えて

2020-03-21 09:09:35 | 日記
 今年度は公立入試で2名の生徒が涙を飲みました。

 この学年は1年生のときに全くといっていいほどお勉強をしませんでした。何度叱ってもお話をしても動きませんでした。2年生のときに「もうこの学年の塾辞めよう」と生徒たちと本気でけんかしました。それからは形だけはするようになりました。このころのお勉強の基準は「先生に叱られるかどうか」。それでもやらないよりはマシでした。とはいえ放っておくわけにはいきません。お勉強のやり方、姿勢、受験に向けて何度も何度もお話をしました。

 中3の夏休み前にもう一度雷を落としました。それからゆっくりとお勉強に向き合うようになりました。真剣に進路を考えだしたときに気付くのです。「あ、これは無理やわ」と。いかに自分たちのお勉強が甘いものであったのか、いかにサボっていたのかに。

 目の色が変わったのはその頃でした。もちろんもっと早くに気付くことができるように指導できなかった私の未熟さが一因です。そこは否定しませんし批判も甘んじて受けます。それでも「あれだけ目の前のことから逃げ続けた生徒たちが、できない自分と真正面から向き合っている」という成長を感じもしました。

 私立受験の過去問を始めるころには「できないこと・分からないことを、できるまで・分かるまで潰していく」というお勉強をするようになっていきました。ところが、そういうお勉強をすると、やらねばいけないことが途方もない量であることに気付くのです。そりゃそうです、そこを今まで逃げてきたんだから。だから私は自分に負ける前にアドバイスをしました。
 「今から復習しても無理だと思う分野・単元はいまはやめておきなさい。少し復習すれば・覚えなおせば大丈夫という分野・単元を確実にしなさい。そこができてから難しい・苦手の分野・単元に向かいなさい」と。そういうお勉強を意識してできるようになっていくと面白いように点数が伸びていきます。「確実に取るべきところ」を「確実に取れるようになる」だけで、点数は随分上向くものです。それを体得してからはさらに伸びていきました。

 結果的に1年生の状態では到底受験できないはずの私立高校に全員合格できました。さて、公立です。公立高校は内申点の比重が大変大きく、さらに1年・2年の内心が2割ずつ加算されます。目標とする高校に内申点が届いてるのは受験者5名中1人だけという状態でした。
 それでも4名がが第一志望を譲りませんでした。1名は悩んだ挙句上げた志望校を元に戻しました。リスクを説明しても「下げて後悔するなら、受けて後悔した方がはるかにマシ!」そう言われればやるしかありません。
 伸びていく手ごたえはもちろんありましたが、それでもかなり苦しいと感じていました。

 受験当日、私は入試応援というやつが好きではなく(自分が来られるとかえって緊張すると思うので)、朝にラインでメッセージを送りました(毎年こうしています)。そこには「先生は君たちと過ごした3年間に自信がありますよ」と。

 結果的には2名が涙を飲みました。そのうちの1人は「絶対に3年後にリベンジしますよ!期待してください!」と。もう1人は「先生の責任ではなくて自分の責任です。自分を責めないでください」と。そして2人とも「叱ってくれて見捨てないで最後まで向き合ってくれてありがとうございました」と書いてくれました。

 入試の結果そのものは悔しいものであったけれども、この入試を通してしてくれた成長は素晴らしいものでした。生徒と過ごした3年間に自信があるとメッセージを送ったこと、間違いではなかったと思っています。

 合格したメンバーも含めて、もう少しかかわりは続きそうです。教え子の今後を見守ることができそうでホッとしています。これが私の仕事のいちばん幸せな部分です。不合格くらいで人生が決まるわけではありません。

あなたの値打ち=これまでの人生+これからの人生

 ですからね。後者を大きくすればあなたの値打ちはまだまだいくらでも大きくなります。さあ前を向いて進もうぜ!
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いよいよ明日

2020-03-18 10:26:19 | 日記
 が、大阪府公立高校一般入学者選抜の合格発表となっております。

 例年以上に「お勉強とはかくあるべき」を伝えることに苦労した学年でした。お勉強の仕方一つにしても「出すもの出せばいいんでしょ」「解答スペースが埋まっていればいいんでしょ」「過去問やって丸暗記すればいいんでしょ」「一番楽して点取る方法教えてよ」…。

 2年生のころには「もう、この学年の塾辞めよう!」と本気で生徒とやりあったりもしました。そんな中でゆっくりとこちらのお話の意図を理解し始めた時にはもうすでに3年生の夏休み。サボったツケは内申点に出ていました。本気で受験を考えた時に手遅れに近い状態だと理解したメンバーはようやくお勉強に向かい始めました。
 ある日、現2年生に同じように説教をしている様子を隣の部屋で聞いていた3年生。ひとしきりお話をして「よく考えなさい」と2年生を休憩にしました。そして3年生に「なんか質問とかある?」と聞きに行きました。すると「せんせー、2年ではまだわからんって。私らの時はせんせー今以上に本気で怒ってくれたやん。でも分かったん最近やもん。ほんまにアホやったなーと思うもん」と、大きな声で話し始めたのです。「もっとちゃんとやっといたら、今こんなに不安にならんですんだのになあ~」とか、「なんでせんせーに文句ばっかりゆうてたんやろうな~」とか。私は「まあ、今ちょっとでもわかって本気で向かってるならいいんじゃない?」と返しておきました。
 授業終了後のことです。3年生が「せんせー、わざとみんなに聞こえるように大きい声でゆうといた。2年生気いついたらええねんけどなー」ですって。ちょっとうるっときましたよ。

 これは日常のほんの一コマです。入試はこちらの予想を遥かに超えて、生徒たちを鍛えます。言い続けたことが、多少なりとも届きつつある。そう感じていました。
 で、入試当日(私は自分がされるとかえって緊張するからという理由から、入試応援というやつをしたことがありません)にラインにメッセージだけを送りました。
 「先生は君たちと過ごした3年間に自信があります。いつも通りで入試を楽しんでおいで」と。

 紆余曲折ありましたが、明日の今頃には受験にに挑んだ5名の結果が分かっていることでしょう。できれば挑戦した全員が笑顔で報告に来てほしい。先生であれば当たり前の感覚でいます。ダメだった時に受け止める覚悟はできている。口では言えますがその「覚悟」が何なのかは、20年以上教える仕事をしていても未だに分かりません。
 ただひとつ言えることは「入試の結果はあくまで結果であって、それ以上でもそれ以下でもない」ということです。どんな結果であっても、共に過ごした3年間の価値を否定されることはありません。何があろうとも自慢の教え子です。それだけは間違いなく言い切れます。

「先生は君たちと過ごした3年間に自信があります。先生の生徒でいてくれてありがとう」 サクラサケ!
 
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9年

2020-03-11 14:46:00 | 日記
 あの悪夢の日から9年。自分には何ができただろうか。

 そろばんの先生であり、中学生をメインとした塾の先生であり。その立場から子供たちには事あるごとに伝え続けてきた。地震って?津波って?理科を勉強するときに、自然災害に関する単元はあくまで1単元。そこまで多く時間が割かれるわけではない。
 高校へ進めば自然災害に関する事柄は「地学」になる。ところが、今の高校でそもそも「地学」の授業を開講しているところは少ない。それはセンター試験「地学」の受験者数を見ても明らかだ。

 私は、英語やプログラミングといったことを、国語や算数を差し置いて小学生から学ぶ必要性をあまり感じない。であるならば、地学(自然災害に限らず、天気や天体観測)や自然科学こそ小学生のうちから親しむべきではないのか?
 少年H(だと記憶している)の一節に子供たちが手漕ぎの船で沖へ流されてしまう。それをその子供たちの親父が海に飛び込んで助けるというシーンで「お前たち、海を嫌いになったらだめだぞ」と諭すシーンがあった。

 地震は怖い。津波は、土砂崩れは怖い。だから海辺には、山のふもとには住まないでおこう。そんなことをすれば、日本は死んでしまう。日本は島国。狭いなかで自然と共存しながら生きていかねばならない。だからこそ、国語や算数で読み解く力を、理科の学習を通して最低限の自然への知識を、身に付けるべきだ。

 とはいえ、社会から求められているものを無視して教えるわけにはいかない。だから指導の合間をぬってこうしたことを伝え続けている。正直、もっと時間が欲しい。でもそれは子供たちの学びの時間を奪うことでもある。常に葛藤は続く。

 それでも、私は伝え続けることをあきらめたくはない。たくさんの人々に天から見守っていただいていることを、伝え続けなければならないと思う。それが残された私たちの責務の一つであると思うから。

 自分には何ができるのか?自分に問い続けていたい。
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前夜

2020-03-10 22:44:32 | 学習・塾に関する中身
先ほど今日の授業が全て終了しました。

中3は午後からの自習を終えて晩御飯の前に帰宅しました。私は前日の夜はのんびり過ごして欲しい派なので、前日は授業はしません。今年度はコロナウイルスによる休校とい前代未聞の出来事でしたので、前日も夕方までは教室を開けました。

今日は早く寝て明日に備えて欲しいと思います。順当な受験も挑戦の受験も。でも、いつも通りの平常心で、いつも通りにできたなら大丈夫。そう信じています。

さー、全力で入試を楽しんでおいでね‼️
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読む力

2020-03-09 11:19:18 | 日記
 最近、子供たちの「読む力」が低下している。

 Twitterでよく見かけるようになりました。塾を営んでおられる先生方は同調される方が多いように感じます。例えば「問題文が何を問うているのか理解できない」、「問題文を読み落とす(間違いを選べなのに、合っているものを選べと思い込んでいるなど)」、「そもそも問題文を読めていない」などなど。

 では、何が原因なんでしょうか?もちろん、こういうときにその原因を一義的に求めることはナンセンスです。でもかなり大きな原因があることは否めません。それは「動画サイト」ですね。いわゆるYouTube・ニコニコ動画などが該当します。もちろんこうしたサイトが悪いわけではありません。ただ「子供たちの視聴数を稼ぐ」ために、インパクト重視、分かりやすさ重視が過ぎるため、子供たちの語彙力が育たないという一面もあるでしょう。
 さらには「テレビだとタイムテーブルがあり、楽しくない時間帯もあるが、YouTubeは自分の好みで時間制限もなく好きなものを好きなだけ見ることができる」ということも影響があるかもしれません。

 さて、「読む力」を育てるために必要なことはなんでしょうか?それは「読む力」を育てることです。ふざけてはいません。この通りです。つまり「読むことが当たり前という環境を作る」しかないと思うのです。もっと言えば「読むことが楽しいと思える環境を作る」ということになると思います。
 そろばんの授業で、低学年に読み聞かせをするのも、待合室に本をたくさん置いておくことも、「読むこと」が当たり前に日常にあってほしいからなんです。「読むこと」が日常になれば、書くこともできるようになります。これは間違いありません。だから私は、漢字指導を通して辞書の使い方を教えることもします。都道府県を漢字で書くことにも挑戦させますし、古文・銘文の暗誦にも挑戦してもらいます。こうして世の中の言葉に興味を持ってもらい、歳時記や世の中の出来事に合わせてお話をたまにすることもします。すべては「読むことから書くことへ」と昇華させていきたいからこそなのです。

 読書をすれば読む力が伸びる。だから読書をさせるべきだ。口で言うのは簡単です。無理やり読ませて読んでくれるのであれば、そんなに簡単なことはありません。子供たちはそんなに簡単に大人の思う通りには動いてくれません。「読むことを直接お勉強と結びつける」から、子供たちは反発するのかもしれません。

 だから私は「読むことは楽しいよ」って動機づけをすることにずっと腐心しています。まずは大人が楽しいってところを見せないと、絶対に子供たちは楽しいなんて思いませんから。
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