雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

天上天下唯我独尊

2014-01-14 00:03:36 | 凄い
漫画「スラムダンク」で、主人公の一人、
天才!流川楓(るかわかえで)は周りの皆から、
確か、こう言われていました。



「天上天下唯我独尊=てんじょうてんげゆいがどくそん」



B型のこと!?



......いやいや、
そもそもこの言葉の語源は仏教の伝説にあって。
開祖「釈迦(しゃか)=釈尊(しゃくそん)=仏陀(ぶっだ)」
が生まれた直後に右手で天を指し、
左手で地を指して言い放ったという有名な言葉。



とてもキワドイ言葉だと思います。。



最初にこの言葉を聞いた時は



「えっ!?
本当にこんなワガママで傍若無人、
自分勝手で自己中!みたいな言葉を
慈愛の象徴でもあるようなお釈迦様が言っちゃうわけ!?」



......などとも思いましたし。
少し信じられないような気持ちもありました。
しかし、その後、自分なりの人生を歩んで、
それなりの経験をして。
それなりの機微も味わって。
それで思うのは、確かにこの言葉は凄いな......と。
釈迦が言ったというのは本当のことかもしれないな......と、
そんな感じ。
更には、この言葉の意味を「文字通り」に捉えてしまい、
全く理解出来ていなかった自分という人間の
浅はかさや未熟さも思いました。
今は、この言葉にはとても深くて
様々な「意」が込めらているのだろうな、と、
そんなふうに思っています。



今、映画でも大ヒットしているようですが......
最早、言わずと知れた百田尚樹さんのベストセラー小説
「永遠の0=永遠のゼロ」
巻かれている宣伝帯を見るとかなり前のものになりますが、
最初にコレを読んだ時は確かカフェに居て、
人目を気にしながらも......
僕ちゃん号泣。。。・°°・(>_<)・°°・。ビエェェーーン
映画で泣けるようなコトは時たまありますが、
本でココまで泣けるなんて......どの本以来のことだろうか?
......とても強い印象が残っている作品です。

この小説に込められている様々なコトやメッセージを考えると、
映画の様な2時間という制作制限がある作品には
全てを盛り込めるようなイメージが
僕にはちょっと持つことが出来なくて。
実際、マスコミに関してのとても重要なくだりも
カットされていたりするようですし。
なので、なんとなく、映画の方は未だ見ていない状態で。
今は少し寝かしていたりします。
それでもこの本のことを少しでも多くの人に知ってもらえる
キッカケが増えるということはとても素晴らしいことに思えますし、
そんな映画がヒットしているということも、
この作品のファンとしてはとても嬉しくもあります。



「天上天下唯我独尊」



釈迦が残したと伝わるこの言葉の意味を問われた時、
僕はこの「永遠の0」という本を読むことをつい勧めてしまいます。
この本の主題とは少しズレることなのかもしれませんが、
それでもこの本が一番分かりやすく、
この言葉の真意を伝えることが出来るような気がしていて。
特に「戦場」を生きた主人公の
宮部久蔵(みやべきゅうぞう)の生き方というのが、
この言葉の一つの答えなのではないのかな......と、
そんなふうに思っていたりします。
取材を重ねた事実を元に創造された物語上の人物だとは思いますが、
ソレも含めてそんなふうに思います。

釈尊にまつわるこの言葉が生まれた経緯のお話しというのは、
古来より伝わる「伝説」ですから、
それをそのまま真実と捉えてしまうことは
少々迂闊なことなのかもしれません。
生まれてすぐに立ち上がって
言葉を話す赤ちゃんもチト恐いですし。。(゜ω゜)

ただ、この話しの中で僕がとても大事に思うことは、
仏教における開祖が生まれた瞬間の話だということ。
それはキリスト教であればキリストが生まれた瞬間でもあり、
その宗教や教義にとって最も大事な瞬間や出来事の一つでもあるわけで。
その大事な瞬間に重ね合わせて伝えられて来たコトという部分には、
僕は途轍も無い重みを感じますし、
とても大事な教義や奥義とリンクする言葉なのではないのかな?
とも思えます。

そこに含まれている意味というのは
「最も大切なことなのだ」
と言っている様にも思えるのです。

釈迦が生まれた当時のインドはカースト制という完全差別社会でした。
生まれながらにしてその身分は決まっていて、
それが変わることは生涯ありえないという世界。
そんな中で生まれた言葉......



......天にも地にも我一人。
我ありて初めて宇宙あり。



自分という人間はこの宇宙でたった一人の貴重なる存在。
だから自分が一番大切。
だからまったく同じ重みであなたも大切。
互いに大切。
一人一人の存在がとても大切なのだ、ということ。
自分の存在の重みを理解し、自分のことを心底愛せる人しか、
同じ重みを持って他人を愛することなど出来るはずがない。



「唯我独尊」



......そこに含まれる「我」と言う文字。
その「我」は故に「我=ワレ」であってワレでなく。
それでも中心は「我」であって。
ワレは同時に他者でもあるということ。
ワレが特別な「我」であれば、
同時に他者も特別な「我」であるということ。
そんな諸々の関係性の中で見つけなければいけない人生という名の「道」。
釈迦の言う「天上天下唯我独尊」とは、
そんな見つけるべき「道ソノモノ」のことの様にも思える時もあります。
「永遠の0」の主人公「宮部久蔵」はそんな難しい、
見出しづらい「細道」を周りから、組織から、
国や時代から何と言われようと、
何と罵られようと歩き抜いた名も知られぬ市井の人。
「唯我独尊」そのものの人。
著者の百田さんも、もしかしたらそんな方なのかもしれません。



自分の命を護れない人が何の命を護れようか?
もし、愛する人がいるならば何を持って護るというのだ。
命を捨てて......など、そんな簡単に言うことなど出来ようか?
命の真価は、
そんなコトが分からない人に見出せるようなものではないハズだ。



命をかけるのが戦争。
命を捨てるのが戦争。



ソレは理(ことわり)。



しかし、
自らの国の兵の命を大切に出来ないような国が、
勝てる戦(いくさ)などあるのだろうか?
それも理(ことわり)ではないのか?



「天上天下唯我独尊」



キワドイ言葉だと思います。
ただ、故に、
タブンそこには見出さなければいけない真実があるように思います。
それすらも読み取る者に委ねられるという言葉。
いつだって本物の言葉は、
そんな表裏、両面を含んでいるようにも思います。
だからこの言葉は、
確かに偉大なる魂を持つ人が言った言葉なのではないのかな......
とも思います。
もしくは、そんな「人達」が創造し、
語り継いで来た言葉なのではないかと思います。
ちゃんと噛み締め、
理解を間違わず、深め、
我がものにしなければいけない言葉なのだと思います。


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