黄昏オーディオ

ちょっとだけオーディオ。

耳が考えるわけあらへんがな

2010-04-02 01:05:27 | 書籍・読書
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図書館に予約を入れている本は現在15冊。しかしながら、なかなか順番が回ってきません。連続で順番が一気に回ってきて困ることもありましたが、今週はぜんぜん順番が回ってきません。困ったものです。
仕方無しに、書庫を閲覧しながら何か読む本ないか無いなというわで、音楽コーナーから選んだのは「考える耳」。おおきこだま師匠だと、耳が考える?そんなわけないやろ~。耳が考えとったらホンマ寝れまへんでぇ~と突っ込みいれそうなタイトルです。
新聞連載記事を本にしたもので、一つ一つがコンパクトにまとまっていて明快な語り口です。時事問題を音楽と対比させながら考察していく構成で、一般的な音楽批評とは違いユニークです。

古楽のゆくえ 改革志向の落とし穴
なんていうのも面白い視点ですね。古楽が改革?そしてその落とし穴??

音楽の歴史にも「改革」まがいのことは多い。近年では古楽器や古楽演奏の台頭もその例だ。最近まで慣れ親しまれてきたモーツァルトやベートーベンの「モダン」演奏は、実は十九世紀のロマン主義的趣味によって歪められたものだった、そこに混入している「不純」な要素を取り去り、作曲当時の「本来」の姿にもどしてやろう…。「古楽」の隆盛を支えたのは、さういう「改革」への志向だったと言って良い。
…中略…
だが実は話はさほど単純ではない。後世に由来する「不純」な要素とされていたものの中には、ベートーヴェン時代をこえてバッハ時代にまでさかのぼるような古い演奏習慣がかなり含まれていることが明らかになってきたのだ。
…中略…
古楽による「改革」は、バッハやモーツァルトの音楽の十九世紀には見えなくなっていた側面に鮮やかな光をあてた面を持つことは確かだが、それはあくまでもことの一面に過ぎない。演奏習慣は長い間の修練や試行錯誤の蓄積によって形作られ伝承される「文化」である限り、その一部が大きく変わるということはあっても、全てが一挙に捨てられるなどありえない。「古楽」と「モダン」の二分法で片付けられるほど、ことは単純ではないのである。

時の小泉首相の改革路線に対して書かれたものですが、今に置き換えてもさほど変わりはありません。世の中何かと対立構造を作っりたがりますが、実は全体つながっているというところなんでしょうね。
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