陽だまりのねごと

♪~思いつきひらめき直感~ただのねこのねごとでございますにゃごにゃご~♪

やすらかに お眠りください

2009-12-11 00:29:24 | Weblog
「僕の胸でおやすみ」山田パンダ


去年5月、黒川温泉に一緒に行った友達から喪中はがきが届いた。
親介護年齢だから、亡くなった方は当然そ方面だろうと思った。
11月下旬、ほんのちょっと前に亡くなったのはご主人だった。
二人は大学の同級生おない年。56歳。
いったい何があったの?

私が夫を失くしてまだ1年経たない時に、
夫と二人で行くはずだった沖縄を一人で訪ねた時のこと。
転勤族のこの夫妻がたまたま沖縄赴任中。
宿をとるという私をどうしてもと誘ってもらい夫妻のマンションに泊めていただいた。
ちょっと酔ったダンナ様はフォークギターを抱いて歌い出した。
なんの歌だったけか?
けっして上手くはなかったけど、奥さんと友達でもダンナ様とは初対面。
彼女がいなければ喪失感真っただ中の私がひとり行く気にはならなかったと思う。
言葉でなくあったかさに随分慰められた。

人の良い、本当に人の良いご夫婦。
何年かに1度は私が赴任先を追っては出かけてしまう。
空白の時間が嘘のみたいに楽しい飾らない時間を過ごさせてくれる人。
彼女を知っている共通の知人が言った。

  純粋培養の人

神様は意地悪だと思う。辛いのは私にだけで充分。
8つ違いの夫が亡くなった時は55歳だった。
50の坂を越えられない働き盛りが多いような気もする。
なにごとも永遠に続くとは限らない現実。

できれば、
彼女がいっぱい私にしてくれた事へのお返しが出来たらと思うのだけど、
かける言葉も見つからない。
飛んで行きたくて社宅を出ただろうハガキの住所から地図を調べた。
家電のナンバーが記されてなかったから、携帯にかけたが出ない。

山田パンダ風な歌い方だったような?
お会いしたのはあの1回だけだった?
後は彼女が語る夫像のイメージ。
彼女は家族は一緒に居るべきだと一緒に移転して行った。
夫は単身赴任させない主義だった。
ゆく先々で自分をスキルアップさせ、家庭を壊さない程度の仕事に就いていた。
転勤の度にすべてぶち壊しと嘆いていたけど、
すべての中心が夫ではなかったか?

私は当初はどの慰めも余計悲しくなったし、どうしようもない喪失感に嵌り込んでいた。
「がんばって」のひとことが一番残酷だった。
私はおどけて、
   『失恋と失業を一辺にしたの』と言っていたっけ。

遠方から飛んできた先に寡婦になった友が居た。
今の私みたいに逡巡して居ても経ってもいられなかったに違いない。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿