雨が降っている。
晴れても春霞。
一日中降るのでもなし、降っていないかと安心するとまた落ちてくる。
止んだようなので傘はよそうかと思って外出すると、突風と共に横殴り雨。強風で傘が役立たない時もある。
ここのところお陽さまにっこりを見ない。
雨の落ちない空もすかっと晴れず重たい雲が覆っている。
雲が冷気を和らげるのか、もうそこまで春が来ているのか、真冬ほどの寒さはない。
かといって、いっそコートを脱ぐと肌寒い。
まったく中途半端。
土曜は野暮用で出かけた先で、
ぶらりと中原中也記念館へ立ち寄った。
大抵、誰かと一緒に入館。
ここはひとりでゆっくり気ままが似合いそうな気がずっとしていた。
企画展は確認しないで入った。
母親のフクさんについての展示があった。
生の声や映像も見れた。一人ヘッドホンで聞きたい個所を選択してその世界に浸る。
中也のことを近所にはずっと『肝いり息子』と言っており、誰も有名な詩人だと知らなかったとか。
純粋な山口弁イントネーションがやんわりとやさしい。
享年101歳。
中原中也はというとたった30歳の生涯。
結婚までしても経済自立のない息子に仕送りを続けた母だ。
今でいうとパラサイト。
確かに『肝いり息子』か?
偉業を成す人の影にはまた支える尋常ならぬ人が居るもの。
母子の歳の落差にもなぜか気が沈む。
蔵書の詩集も木の椅子に座ってめくってみた。
ところが最初に手にしたのが、去年の中也賞。
芥川賞作家でもある辺見庸さんの初の詩集。
これがまた暗い。
題からして『生首』
途中で投げ出した。
好奇心から手にしたけれど失敗。
のんびりするつもりが妙に気が沈んだ。
中也記念館駐車場の出入り管理の小屋に人が居ない。
ここの人の人件費を止めなければいけないほど入館者が減ったのか?
数十台はおけるスペースに見れば自分のを入れて2台。
入館者は結構見たが、これまでになく閑散とし過ぎだろう。
日曜日はウォーキング例会。
朝から細かい雨が降っている。
大雨でなければ行こうと連れと約束があった。
ゴアテックスの合羽を上下着こんで出た。
船、もしくはバス、マイカーと最寄駅から1時間以上かかる僻地。
雨でも人は集まってきていた。
今日は史跡を案内してくれる人とゆっくり歩くグループとウォーキングするグループに分かれた。
たまにはゆっくり歩いてみようと、説明聞きつつ歩く方へ入った。
この狭い港に茶屋が出来て栄えていた時の話など止まって聞く時間が長い。
ガイド買って出た観光協会の人はウォーキング速度でなく、普通の歩きペースで先頭を行く。
歩きだしたら雨は止んできた。
例年なら咲いているという海を望む丘の河津桜がまだ蕾。
かろうじて咲いている桜を探す。
海は瀬戸にしては波が立ち、空も海も冴えない灰色。
人集まる場所にはかつて遊郭もあったという。
集められた遊女に思いを馳せる。
あの小さな墓は遊女のものかもしれないと聞く。
いつものスピードがないので体がいつまで経っても温まらないまま終了。
毎度のハイペースウォーキングの方へ加わるべきだったか?
ウォーキングはスポーツと歴史探訪ではないと知る。
港にて散会。
三々五々、人消えてわずかな釣り客のと一緒に駐車してあった自分の車を探す。
一緒に歩いた人たちの乗った船が消えて、かもめのジョナサンも一羽。
再来週、23キロの予定あり。
ちゃんと歩いてなくて大丈夫か?
会から配布された資料に30キロコースを見つけた。気になる。来月だ。
だんだん長く歩きたい欲が出てくる。
さて、仕事の月曜日。
今朝の雨粒は大きそうな音がするので、ウォーキングは中止。
介護保険の4月改正について、どの事業所もスカッと返事をくれない。
調整役は動くに動けず、利用者さんに説明もむつかしい。
なんやかやでするべき事が4月にずれ込んで来月の休日はちゃんと休めるのか?という不安がある。
仕事の進捗状況が曖昧で、毎度埋まってゆく休み計画も入れるに入れられず、スカッとしない。
お天気同様に気分が落ち込む。
そう言えば、カーネーションの主役、糸子役が夏木マリに今週は変っている。
変化がイマイチ嫌いになってきた。
これも私自身がだんだん高齢者バージョンに突入してきている所為か?
まぁ~時計かわりのテレビスイッチをオンして、朝の支度に入ろう。
雨が降っても晴れても、自分の勝手な気分にも関係なく仕事が待つ。
これは案外、いいことか?
桜満開、春爛漫になったら気持ちもパァ~っと晴れる?
落ちる気分は一過性だろう?
たぶん…
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晴れても春霞。
一日中降るのでもなし、降っていないかと安心するとまた落ちてくる。
止んだようなので傘はよそうかと思って外出すると、突風と共に横殴り雨。強風で傘が役立たない時もある。
ここのところお陽さまにっこりを見ない。
雨の落ちない空もすかっと晴れず重たい雲が覆っている。
雲が冷気を和らげるのか、もうそこまで春が来ているのか、真冬ほどの寒さはない。
かといって、いっそコートを脱ぐと肌寒い。
まったく中途半端。
土曜は野暮用で出かけた先で、
ぶらりと中原中也記念館へ立ち寄った。
大抵、誰かと一緒に入館。
ここはひとりでゆっくり気ままが似合いそうな気がずっとしていた。
企画展は確認しないで入った。
母親のフクさんについての展示があった。
生の声や映像も見れた。一人ヘッドホンで聞きたい個所を選択してその世界に浸る。
中也のことを近所にはずっと『肝いり息子』と言っており、誰も有名な詩人だと知らなかったとか。
純粋な山口弁イントネーションがやんわりとやさしい。
享年101歳。
中原中也はというとたった30歳の生涯。
結婚までしても経済自立のない息子に仕送りを続けた母だ。
今でいうとパラサイト。
確かに『肝いり息子』か?
偉業を成す人の影にはまた支える尋常ならぬ人が居るもの。
母子の歳の落差にもなぜか気が沈む。
蔵書の詩集も木の椅子に座ってめくってみた。
ところが最初に手にしたのが、去年の中也賞。
芥川賞作家でもある辺見庸さんの初の詩集。
これがまた暗い。
題からして『生首』
途中で投げ出した。
好奇心から手にしたけれど失敗。
のんびりするつもりが妙に気が沈んだ。
中也記念館駐車場の出入り管理の小屋に人が居ない。
ここの人の人件費を止めなければいけないほど入館者が減ったのか?
数十台はおけるスペースに見れば自分のを入れて2台。
入館者は結構見たが、これまでになく閑散とし過ぎだろう。
日曜日はウォーキング例会。
朝から細かい雨が降っている。
大雨でなければ行こうと連れと約束があった。
ゴアテックスの合羽を上下着こんで出た。
船、もしくはバス、マイカーと最寄駅から1時間以上かかる僻地。
雨でも人は集まってきていた。
今日は史跡を案内してくれる人とゆっくり歩くグループとウォーキングするグループに分かれた。
たまにはゆっくり歩いてみようと、説明聞きつつ歩く方へ入った。
この狭い港に茶屋が出来て栄えていた時の話など止まって聞く時間が長い。
ガイド買って出た観光協会の人はウォーキング速度でなく、普通の歩きペースで先頭を行く。
歩きだしたら雨は止んできた。
例年なら咲いているという海を望む丘の河津桜がまだ蕾。
かろうじて咲いている桜を探す。
海は瀬戸にしては波が立ち、空も海も冴えない灰色。
人集まる場所にはかつて遊郭もあったという。
集められた遊女に思いを馳せる。
あの小さな墓は遊女のものかもしれないと聞く。
いつものスピードがないので体がいつまで経っても温まらないまま終了。
毎度のハイペースウォーキングの方へ加わるべきだったか?
ウォーキングはスポーツと歴史探訪ではないと知る。
港にて散会。
三々五々、人消えてわずかな釣り客のと一緒に駐車してあった自分の車を探す。
一緒に歩いた人たちの乗った船が消えて、かもめのジョナサンも一羽。
再来週、23キロの予定あり。
ちゃんと歩いてなくて大丈夫か?
会から配布された資料に30キロコースを見つけた。気になる。来月だ。
だんだん長く歩きたい欲が出てくる。
さて、仕事の月曜日。
今朝の雨粒は大きそうな音がするので、ウォーキングは中止。
介護保険の4月改正について、どの事業所もスカッと返事をくれない。
調整役は動くに動けず、利用者さんに説明もむつかしい。
なんやかやでするべき事が4月にずれ込んで来月の休日はちゃんと休めるのか?という不安がある。
仕事の進捗状況が曖昧で、毎度埋まってゆく休み計画も入れるに入れられず、スカッとしない。
お天気同様に気分が落ち込む。
そう言えば、カーネーションの主役、糸子役が夏木マリに今週は変っている。
変化がイマイチ嫌いになってきた。
これも私自身がだんだん高齢者バージョンに突入してきている所為か?
まぁ~時計かわりのテレビスイッチをオンして、朝の支度に入ろう。
雨が降っても晴れても、自分の勝手な気分にも関係なく仕事が待つ。
これは案外、いいことか?
桜満開、春爛漫になったら気持ちもパァ~っと晴れる?
落ちる気分は一過性だろう?
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