ランニングおやじの野望!

50歳を目前に突然走り始めた鈍足おやじランナーのトレーニング雑記です。

静岡ハーフ撃沈…

2011-03-06 20:39:26 | レース

ゴール前、ライバルの追走をかわして必死で逃げるNo.84ハギ。(応援にきてくれた実姉撮影)

1時間35分58秒。延岡フルの中間点タイム(1時間34分18秒)よりも1分半以上遅れてしまった。

「第36回 静岡駿府マラソン」ハーフの部に7年連続で参加。前回までの6回のうち3回、自己記録が出ている相性の良い大会である。
10時5分スタート。本日ここに立てたことを深く感謝する。

 21'38"ー22'20"ー23'28"ー23'33"ー4'58"
  [前半46'24"/後半49'34"]

東京マラソン5時間ペースセッター後はほとんど走れず、木曜と土曜にジョグしたのみ。その際、ペースが全然上げられず愕然とし、静岡のハーフでは到底、自己記録をめざせる状態でないことを自覚せざるを得なかった。
で、無難に最初から5km23分ペースで行けばイーブンで押せるのではと安全策を考えていたのだが、直前に変更。

2005年に再会して以来、今回で駿府ハーフ7度目となる高校同期のO村との「宿命の対決」(笑)。
前回はワシが勝ち、通算3勝3敗。今年も勝利してぜひとも勝ち越したい。
高校の校内マラソン(12km)優勝者でもあるO村はもともと中距離を得意とするスピードランナー。
一方、体育の1500m走で7分さえ切れなかった鈍足高校生だったワシにとって、O村は遥か雲上の存在であった。
それから30年を経て再会した時、彼は長年走り続けて記録は低下するばかり、モチベーションも下がり気味でハーフで当然切れていた1時間30分が切れなくなり始めた頃だった。そこに、ようやくハーフ1時間35分を切れるようになって燃えているワシが現れたのであった。

これまでの勝負は、スピードにまさるO村が先行しそのまま逃げ切るか、後半失速したところを追い抜くかのパターンがほとんど。だが、今回は先週の東京マラソンの疲労が抜けていないO村(強運の男でもあり、5回のうち4回当選)はゆっくり入ると言う。
そう言われると、よし俺は目一杯とばして行こう、と誓ってしまったへそ曲がりであった。
案の定、後半に大失速。15kmあたりでついに抜かれてしまう。見る見るうちに背中が遠くなる。

今までならここで勝負あった、なのだが今回ワシは粘った。
いったん100m以上の差が開いたもののあきらめず徐々に詰めていく。
ラスト、駿府城の内堀周回約1.6kmに入る直前で追いついた。そのまま必死に逃げる。逃げる。
約40秒差でゴール。初の再逆転勝利。よっしゃー!!
タイムはともかく、勝負には勝って気を良くしたオヤジであった。

来週はこれも春の恒例レースとなった「大山登山マラソン」(神奈川県伊勢原市)。距離は10km足らずだが、終盤に1610段の石段上りが待っている。
で、きょうのハーフのゴール後、以前にも書いた「百段」へ移動してリハーサル。静岡浅間神社の参道にある急峻な石段で、はるか昔の中学時代に卓球部のシゴキで何往復も走らされた思い出の場所。
地元では通称「百段」と呼ぶが実際は104段ある。ここを11往復。上り36~33秒、下りは1分15秒前後かけ注意して降りる。トータル20分くらいで汗だくになる。
ジョグで静岡駅に戻る途中、プールに寄り500mだけ泳いでほぐす。


宿命の対決といえば、前日の土曜はいま話題の実写版映画『あしたのジョー』を妻と観に行った。
これは、矢吹丈でもなく力石徹でもなく、まさに丹下段平の映画である。
見よ、3次元の世界に丹下のおっちゃんが生きて動いて「立て、立つんだ、ジョー~~~!!」と魂の叫びをあげている。
その異様な存在感に圧倒された。それもそのはず、おっちゃん役の香川照之は筋金入りどころではないボクシング命の男なのだった。

「私こそは30年もボクシングのみを見続けてきたマニアなのだ。むしろ私は人生でそれだけを見て来たのだ。俳優業は後から来た副業なのだ。」(『慢性拳闘症』香川照之著/講談社)

そう公言して憚らないこのヒトは、撮影の出番のない休日にも現場に顔を出し、専門的アドバイスを泡を飛ばして発射し続け、映画に必要不可欠と彼が信じる狂気を映画の神様に捧げたのだそう。
映画は死闘の末にジョーを倒しながら命を落とした力石の死後、行方をくらましていたジョーが再び泪橋を渡ってドヤ街に戻ってくるところで終わる。
はたして「PART2」は製作されるのか? あしたは、どっちだ!?

★オヤジの心を癒す昭和の歌 (79)

もちろん今回の実写版でもオープニングにメロディーが鳴り響いたこの歌。

 ♪ あしたのジョー (尾藤イサオ/1970)

※ところで、この土曜日に延岡西日本マラソン事務局から記録証が送られてきた封書の中に、写真が3枚同封されていた。説明文によると、大会運営をサポートしているNATS(のべおかアスリートタウンサポーターズ) が撮影してくださったものだそう。出走250名規模の大会だからこそできる、ありがたい配慮に感謝。
なお、次回は50回記念大会として2012年2月12日(日)開催。2008年から開始した九州地区での生中継を拡大し、BSで全国中継放送する予定とのこと。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする