新年2戦目も10km、43分22秒。
先週の牛久10kmは長シャツ長タイのジョグスタイルだったが今回は刀水ユニフォームのランシャツ・ランパンで気合を入れた。にもかかわらず30秒しか縮められずガックリ……。
「第22回 白岡町新春マラソン大会」(埼玉)に3年連続・3回目の参加。
2年前の初参加時は42分43秒、昨年は42分22秒。今年もせめて43分は切りたかったのだが。去年よりもちょうど1分遅かった。
5kmの部が終わった後、午前10時40分約650人がエントリーした10kmの部スタート。何はともあれ本日ここに立てたことを深く感謝する。
前半21分51秒ー後半21分31秒 (ラスト1km4分6秒)
スピード不足の原因・課題はピッチが遅くなっていることと体重にあるようだ。
前日の土曜も同じ場所で刀水AC練習会。翌日の大会準備が進められゆく中でペース走を中心に。
1.1kmコース×15周をkm4分半組と5分組に分かれて。現状では4分半ペースだとほとんどレースそのものになってしまいそうなのでワシは5分組で。
1周5分30秒±3秒の範囲で予定通り15周後、給水だけ取ってすぐ明日の刺激に1kmを1本。4分6秒。本日のラスト1kmと同じだった。
来週1月20日(金)には退職。タイムはともかく、こうして練習会やレースを走れるありがたみと幸せを改めて痛感するオヤジであった。
★オヤジの心を癒す昭和の歌 (121)
1969年、ラジオからはこの歌もよく流れていた。
♪ 真夜中のギター (千賀かほる/1969)
※余談 本日10kmスタート直前、すでに終了した5kmの部女子入賞者の呼び出しアナウンスが。「……ミナミ サオリさん」 えっ? ワシを含め一部のおじさんたちは一瞬どよめいた。(笑)
あとでプログラムを見たら、字も同じそのお名前が記載されていたのでまた驚いた。地元の方らしい。どんな方なのか一目見たかったようなそうでもないような。
というわけで記念に(?) この曲も。 ♪ 早春の港 (南 沙織/1973)
今年最初のレースは10km、43分54秒。
「第36回 牛久シティマラソン」(茨城) に初参加。JR常磐線「牛久」の次の「ひたち野うしく」駅下車。会場の牛久運動公園まで20分ほどコース下見を兼ねて歩く。
部門は10kmが最長で、5km・3km・2kmの他に1.5kmジョギング、4kmウォーキングなどがあり、小中高生や家族での参加が多いようだ。
9時15分、約2000人がエントリーした10kmがスタート。本日ここに立てたことを深く感謝する。
一昨日の練習会の状態からしてさほど走れる感じではないため、低温予想もありロングシャツにロンタイのジョグスタイル。年末の月例川崎での10km47分台よりはマシなタイムだけを目標に。
最初の1kmを5分くらいで入った。あとはタイム見ず。
が、序盤2kmあたりでワシを抜いていったピカチュウのかぶり物ランナーがなかなかいいペースで加速していく。ピカチュウには負けたくない気持ちに火が付いてしまう。
抜きつ抜かれつラスト1km勝負。一昨日の練習会で指導を受けた「大きく速い動き」を意識して最後の400m全速。なんとか振り切ってゴール先着。よし。
途中タイムは一切見なかったが、あと1km表示地点でラップボタンを押した。あとで見たら39分50秒。ゴールタイムが43分54秒だったから最後の1kmは4分4秒。壬生練習会でのトラック1000m4分7秒よりも速かった。
まだまだスピード不足ながら徐々によくなってはきている感触。
ゲストの谷口浩美氏(「こけちゃいました」の名言で有名) のトークで、和式トイレを例にとって日常生活そのものをトレーニングとする大切さを強調していた。とくに「不足を意識する」という言葉が印象に残った。
朝の気温は低かったが日射しとともに穏やかな日和となり、大会の雰囲気も温かくレース後はシャワーとジャグジーも混まずに使えて大満足のオヤジであった。感謝。
★オヤジの心を癒す昭和の歌 (120)
ひき続き由紀さおりさんの世界的ヒットアルバム『1969』所収のカヴァー曲から。
♪ いいじゃないの幸せならば (佐良直美/1969)
3時間25分54秒。今年2月に延岡でマークした自己記録(3時間22分20秒)には3分半ほど及ばなかったが、それでもセカンドベスト。
「第24回 大田原マラソン大会」に通算7回目の参加。今回も昨年に続き過去最多、3600人余のエントリー。2004年に初参加し制限時間すれすれ3時間59分15秒でゴールした時は総合順位647番/完走685名中だったことを思えば隔世の感がある。
10時スタート。すし詰め状態で号砲を待つ。本日ここに立てたことを深く深く感謝する。
以前は競技場を1周半してからロードに出たと記憶しているが、参加者急増してからは半周してそのまま出る。場内、出口で何度も渋滞。
(10km毎ラップ) 48'22”ー46'57”ー47'32”ー51'27”ー11'36”
前半1時間40分25秒/後半1時間45分29秒
大幅自己新を望める状態ではないものの、初参加した年以来の前泊で心身リラックスできており天候も曇天無風で気温低めで絶好(日中は日が差しやや気温は上がったが)の条件。延岡での自己記録を1秒でも更新、を目標に10km48分を目安に後半上げていくレースプランだったのだが実際は後半5分落ち。
結果的には10kmラップの第2と第3が逆になってしまったのが響いてか、30km過ぎからkm5分ペースも維持できなくなり胸算用はご破算となった。
とはいえ、ちょうど1ヵ月前の高島平20kmで大撃沈してゴールすらできなかったことを思えば、あれから1月でよくここまで来たと感慨も湧く。
30kmからの苦しい走りの中、以前だったらkm6分、7分超まで大撃沈したところ。そうならなかったのは少しは進歩したかも。
なにより、刀水ACの仲間からの熱烈応援は本当にありがたく、力をもらえた。感謝あるのみ。
ともすれば、つらく暗い後ろ向きの想念にとらわれそうになる時、一昨日の夜に思いがけず観させていただいたフラガール東京特別公演(中野サンプラザ) の感動の舞台が脳裡に浮かび、オヤジは元気が出た。
とりわけ、2006年の映画『フラガール』のテーマソングでもあった♪フラガール~虹を~とともに終盤一段と盛り上がった舞台を思い浮かべると、あの凄まじいほどの骨盤回転がよみがえり、一生懸命スイングウエストして前に進んでいったオヤジであった。
⇒ ♪ フラガール~虹を~
震災後復興に向けた新しい応援ソングも胸にしみる。
⇒ ♪ 息吹 (AERIAL)
43分29秒。これが今の精一杯だった。
「第34回 足利尊氏公マラソン大会」(栃木) 10kmの部に初参加。
メイン種目のハーフが9時スタートして10分後に10kmがスタート。何はともあれ本日ここに立てたことを深く感謝する。
距離表示わからず「あと3km」表示地点で初めてタイム見る。31分6秒。
あとは全力出し切るつもりでひたすら前のランナーを追う。もうタイムも見ない。
ラストの競技場1周は苦しかったが最後まで目一杯走りきることはできた。
タイムは不本意ながら、それでもきょうここでレースを走れてよかった。
帰路、シャトルバスの車窓から見える名跡・足利学校の由緒ある佇まいに僅かながら旅情を味わえたオヤジであった。プールに寄り、ゆっくり1.5kmほど泳いでクールダウン。
土曜、国立競技場とその周辺コースで開催された「第4回 セントラルスポーツ スポーツウォーキング大会」に初参加。
5kmコースを約200名が速歩する。上位十数名の方々は完全に競歩で全然次元の違う歩き。
自分のフツウのウォーキングがとてつもなく遅く感じられ、いやになってイライラしてくる。5km36分8秒はワシとしては上出来なのだが。競歩の身体操法も真剣に研究しなければなるまい。
★オヤジの心を癒す昭和の歌 (112)
wiendylanさんのコメントに触発され、久々にこの歌も聴いてみた。
♪ されど私の人生 (斉藤哲夫/1971)
(1時間36分44秒、自己計測) 制限時間90分なので公式にはDNF「記録なし」。
前回のハーフ第1回よりも5分近く遅れたが、これが現時点の精一杯だった。
「第6回 湘南国際マラソン」ハーフの部に参加。約1万8000人がエントリーしたフルがメイン種目で、新設のハーフは2回目。制限時間が厳しいため定員500名に達せず434人がエントリー。
8時50分、フルの部スタートより10分前にハーフが先にスタート。本日ここに立てたことを深く感謝する。
22'30"ー22'04"ー23'22"ー(20km地点わからずゴールまで 28'47")
10日前の高島平20kmよりは粘れたもののkm4分半ペースさえキープできず。90分(km4分15秒)は遥かに遠かった。これが今の実力。
今回の現実的な目標は10.1km関門(46分)を通過し折り返して、何としても復路に入ることだった。
5km地点でかなりきわどいペースと知り無理を承知で若干ペースアップ。10分後にスタートしたフルのトップランナーに追いつかれる直前に関門通過し折返すことができた。
苦しい後半となったがこのあたりのペースで走っているランナーは皆同じく苦しい走り。ワシも落ちているのに徐々に前のランナーの背中が大きくなり抜かせていただく繰り返しでなんとかゴールにたどりついた。
今回は90分を過ぎたランナーにもフィニッシャーメダルを首にかけてもらえて、それなりにうれしいオヤジであった。
なお、この大会では今回から「レース中にトイレ以外の場所での排泄行為は失格」と明記された。スタート前、ワシも含めてトイレに並ぶ男たちの顔はいつも以上に真剣そのものだったのは言うまでもない。
帰宅して午後は公園のサイクリングコース2.1km×10周。ほぼハーフの距離を汗もほとんどかかずに1時間足らずで走れてしまうロードバイクの威力を実感する。
これからはトレ^-ニング時間の確保がさらに難しくなりそうなので、おのずから走行距離にこだわらないトレーニングを模索し実践する必要がある。
[11/6追記] 公式HPに掲載された速報版記録発表によると、ハーフの完走者は男子99名、女子7名。前回の男子73名、女子わずか3名よりは増えたものの依然として壁は厚い。
2回の参加で湘南ハーフ挑戦は終えるつもりだったが、完走したい気持ちが再燃してきた。
★オヤジの心を癒す昭和の歌 (110)
湘南とくればサザン。きょうの会場でもずっと流れていたのはサザンの曲?
♪ いとしのエリー (サザンオールスターズ/1979)
17.5km関門、1時間23分で今年の高島平は終わった。
前日の雨が上がり蒸し暑い中、「第36回 高島平・日刊スポーツ・ロードレース大会」20kmの部に6回目の参加。5km周回コースを4周する。
9時50分スタート。ここに立てたことを深く感謝する。
2005年に初参加以来、これまでの5回はいずれも制限時間90分ぎりぎりながらゴールできており、今回もなんとかなるのではと甘い気持ちもあったけれど全然ダメだった。
22'32"ー24'28"ー23'55"ー(12分 関門閉鎖)
1周目、自分としてはかなり頑張ったつもりが結局リミットペース22分30秒も切れず。イーブンで行ける見込みはなく完全に気落ちしてしまい、おまけに右わき腹が痛み出し(ランニングで腹痛なんて何年ぶりだろう) あっという間に最後尾近くまで後退。
2周目の4km地点手前で早くも学生選手トップに周回抜きされ、ゴールは絶望的。
もうやめようと何度も思ったけれど、刀水ACの仲間たちの熱烈叱咤声援に背中を押され、次第に「このまま終わっていいのか!」とこみ上げてくるものがあり、わずかながらペースを徐々に上げ、とにかく19km関門までは行こうとした4周目の中間点で監察車が背後から追い抜き、「はい、ここまでです」と制止。あっけなく終わってしまった。
2005年に念願かない初出場した仙台国際ハーフマラソンで15km関門止めとなって以来2度目。
あのクヤシサとやりきれなさ、やるせない思いは2度と味わいたくはなかったのに。
帰宅して本日仙台で開催された「第29回 杜の都 全日本大学女子駅伝」を録画で観戦。まさかのリタイアなど思いがけないアクシデント相次ぎ、鍛え抜いた選手であっても予測不能な事態が起こる怖さを改めて思い知る。その心中はいかばかりか。
週初めに自分にとっては「災難」のような大きな出来事があり、心崩れたままでは、今までどおりの走りはできなかった。ナサケナイがそれがワシの現実であり走力だった。
ともあれ、関門で止められるまで自分からは投げ出さなかったことだけはせめても良しとしよう。
★オヤジの心を癒す昭和の歌 (107)
哀しい時には悲しい歌を。
♪ 悲しくてやりきれない (ザ・フォーク・クルセダーズ/1968)
日曜午前中、職域健康保険組合の皇居1周レースに参加。
おかげさまで左ハムストリングの肉離れと右ひざは大事に至らず。なんとか練習再開したもののスピード練習ほとんどできていない状態なのでたぶんダメだろうと思ってはいたがそのとおりの結果となった。
21分27秒。2006年に初参加した時の20分25秒が皇居1周の自己記録で、今回も更新ならず。せめて21分は切りたかったのだが。
参加者増加には驚いた。プログラム冒頭の大会委員長あいさつ文に「今年は史上最大の579人参加」とあり、実際の出走も500人は超えていたようだ。とくに女性ランナー激増で5年前の4~5倍にあたる150名くらい。ひっそりとしたレースだったのが昨今のランニングブームそのままのにぎやかな大会風景となった。
それにしても真夏に戻ったような暑い日だった。報道によると荒川で開催されたタートルマラソンでは熱中症で23人が緊急搬送されたそう。
2003年のこの大会がワシの初ハーフだった。当時は9月開催、その日も35℃に迫る猛暑でふらふらになり2時間7分かかってようやくゴールした後、救護のお世話にはならなかったものの橋下の日陰で1時間ほど倒れこんでいたのを思い出す。
来週は20km90分制限の高島平ロードレース。これまで出走した5回はすれすれながらすべて完走できたものの今回はまったく自信なし。逃げ出したくなっている弱気なオヤジである。
★オヤジの心を癒す昭和の歌 (106)
小田和正さんのヴォーカルが冴えるこの歌。60代半ばの現在も全然衰えを知らない高音の伸びがすばらしい。
♪ 秋の気配 (オフコース/1977)
「第18回 奥武蔵ウルトラマラソン」に初参加。77km、8時間36分34秒。
(今回はただひたすら完走目標だったからラップは一切とらず。ゴールタイムも即発行の記録証で知った)
朝7時スタート。自宅から会場(埼玉・毛呂山町)まで2時間以上かかるため当日朝出発では間に合わず前泊。
スタート直前、大震災で亡くなられた方々や別のレース中に飲酒運転トラックによる交通事故で落命された方、この大会にエントリー後に急死された方へ全員で黙祷。静寂のなかセミの声だけが耳にしみてくる。きょうここに立てたことを深く深く感謝する。
ほとんど平坦なところがないと言っても過言ではない起伏たっぷりのコース。路面はすべて舗装されているのでトレイルランでないけれど、雰囲気は近いものがある。
そもそも坂道をニガテとするワシには過酷なレースであった。が、この半年余りしつこく通い詰めている足柄峠走の効果もあってか、なんとかゴールできた。
途中24ヵ所もある豪華エイドのおかげでもある。多種多彩な給水と果物、そして氷と水かけがありがたかった。
抜いたり抜かれたり何度も出会った刀水仲間Mさんから序盤に適切なアドバイスをもらえたのも大きかった。
助言に従って前半は頑張らず急坂は歩きを入れたのがよかったようで後半、自分でも意外なほどしっかり走りきることができた。Mさんありがとう。
70km地点を過ぎた午後3時頃、にわか雨が降ったりやんだり。天候も走りも大崩れはないうちにゴール。
更衣室になっている体育館のシャワーを行列してようやく浴び、駅へのバスに乗り込んだのが夕方5時少し前。と、途端に雷鳴とともにすさまじい豪雨。
ぎりぎり10時間切り (制限は12時間以内) めざして続々とゴールに駆け込んでくるランナーの姿がかすんで見えないくらいの激しい風雨となった。
その後2時間余り、最終ランナーまで大会運営スタッフの皆さまはそれぞれの持ち場で豪雨にめげず奮闘されたとのこと。ほんとうに頭が下がる。
ともあれ、これで5月の「つくば100kmウォーク」、7月の「所沢3種耐久」、本日の「奥武蔵ウルトラ」と続いた 『ど根性養成シリーズ』は完了。「なでしこ」には及びもつかないけれど最後まであきらめない気持ちは多少なりとも強化された、ならよいのだが。
これからは秋の大田原フルと来年2月の本命レース延岡フルめざして普通に練習していく予定のオヤジである。
★オヤジの心を癒す昭和の歌 (99)
都電100周年なんだそう。今は都電荒川線のみ存続し、ワシもたまに荒川方面に行く時に乗車する程度だが、路面電車は独特の風情を感じさせる。その駅の一つ「面影橋」にちなむこの歌。
♪ 面影橋 (NSP/1979)
今朝の河北新報に記事あり。
「仙台国際ハーフマラソン 来年、1万人規模で開催」
今年5/8の第21回大会は震災により中止となったが、来年の5月13日に1万人規模に拡大し新コースで第22回を開催することが決まった。
登録の部1500名(男子1000名制限時間1時間40分 女子500名1時間50分)と一般の部8500名2時間30分。他に車いすハーフ100名、新設の5kmの部2000名と2kmの部500名。
前回までゴールだった仙台市役所前が折返し地点(7.8km)となり、仙台市陸上競技場がスタート・ゴール。
新コースはワシが期待し思い描いていたルートとはいささか異なるものの(ことに後半)、第15回にちょうど50歳でようやく念願かなって初参加以来、毎年の最大目標大会として出場させていただいてきたオヤジとしては、何はともあれ再開を喜びたい。
なお、参加料は検討中とのこと。
⇒ 仙台国際ハーフマラソン公式HP
★オヤジの心を癒す昭和の歌 (97)
今は昔、初めて仙台の学生下宿で迎えた夏に隣の部屋からよく聞こえてきた真理ちゃんの歌声。
♪ 恋する夏の日 (天地真理/1973)
※と、ここまで書いてアップした後、記者発表資料をよーく再読して、ん?? !!!
なんと今までの先着順ではなく。 抽選 に変更とのこと……ガーン……ガーン…ガーン…
申込開始は10月3日(月)から。当選を祈るのみのオヤジであった。
「第2回 3種目耐久レース in 所沢」に参加。
土曜 [5km] 22分48秒 [フル] 4時間41分43秒
日曜 [8時間走] 3.246km×19周 (61km)
暑くて全然走れず。最初の5kmは4分半ペースを保てなかった。
所沢の航空記念公園内の周回コース3.246kmをひたすら回る。
1周するたびに頭から水をかぶり多種多彩な補給食をありがたくかっ食らい、また出発。
周回を重ねる毎に滞在時間も長引く傾向に。
フルは走行ペース自体はサブ4ペースをキープしたものの、毎回エイドに4~5分寄っていくからそれだけでもう4、50分のロス。
きょうは一段と日射し強烈で、どんなにゆるいペースでも8時間走り続けるのはムリと考え、当初から計画的にウォーキングを入れるプランで。
午前8時スタート、午後4時まで。終了時間の15分前になると次の周回には入れないルール。
3周ラン+1周ウォーク ×5セットで20周めざしたけれど、最後は時間切れで20周目に入れず19周で終わってしまった。
ただ、2日間とも「エイド以外では歩かない・立ち止まらない」(計画ウォーク周を除き) と自分で決めたオキテだけは破らずに済んだオヤジであった。
帰路、東京体育館プールに寄り、2日間の苦闘を水に流してほぐす。
来月に予定していた奥武蔵ウルトラマラソン77kmはとても走りきれそうにない。たぶん参加取りやめかな。
[7/13追記] 所沢耐久レースを主催されたスポーツエイド・ジャパンのHPに記録と当日の写真がアップされていた。これらを見ると、苦しかったのは自分だけではなかったと改めて感じる。
3種耐久の年代別「55歳以上男子」の部では、出走26名中4位。プールにすぐ行きたくて記録証をいただかずに帰ってしまい合計順位は知らなかった。おそらく10番前後と思っていたので、いささか意外であった。(入賞は3位まで)
とにかくエイド給食の多彩さとボランティアスタッフのコスチューム(おやじ好み)、延々と夏空に舞い上がるキャンディーズメドレー、そして長時間にわたる膨大な写真撮影など非常に励みとなった。感謝あるのみ。
同じ主催者による奥武蔵77kmも3km毎に豪華エイドがあるそうなので、行けるところまで行ってみようかと早くも気が変わり始めた節操なしオヤジである。
★オヤジの心を癒す昭和の歌 (94)
ぐるぐる回り続けていた間、昔懐かしい歌が次々脳裡に鳴り響いた。一番懐かしかったのはこの歌。
♪ どこまでも行こう (山崎 唯/1966)