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昭和のプロレス:ベルトの看取り人

2023-08-18 06:29:59 | 日記
馬場から王座を奪取

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」ではリングを盛り上げた脇役達を
振り返っていますが、たまには毛色の違った話を。
今週登場する脇役は主役レスラーが巻いた「インターとPWFのベルト」
主役と脇役の不思議な因縁を振り返ります。
 登場する主役はボボ・ブラジル。
言わずと知れた昭和プロレスを代表する黒人の実力者です。
195cm127kgの巨漢が初めて日本にやってきたのは1957年8月の
日本プロレスでした。
 14日は一騎打ち、翌15日にはタッグマッチで力道山と2連戦を敢行。
これが大きな話題になって大映が「頭突きと空手チョップ」の題名の映画
にする程の盛り上がりをみせました。

 再来日は11年後の68年6月。
25日にジャイアント馬場が持つ日本マットの最高峰、インター王座に挑戦。
2対1で勝利してテーズ、力道山、馬場に次ぐ第4代王者に就く偉業を
達成しています。
 ベルトは27日の再戦で失ってしまいますが、馬場から王座を奪ったのは
ブラジルと後のキニスキーのふたりだけ。
インター王座の歴史にその名を刻み込みました。
 その後も来日を重ね70年72年とインター王座に挑戦をします。
その年の12月1日には、馬場の日プロ脱退により空位になった王座の決定戦
を大木と行っています。
 見事勝利して新王者になりますが4日の再戦で大木に敗北。
その後まもなくして日プロは崩壊してしまうので、力道山から続いたインター
王座の歴史は実質的にこの頃が終末期。
いうなればブラジルはベルトの最期を看取った存在でした。

20代と27代王者

 73年には馬場が興した全日本プロレスに登場。
馬場は「世界の強豪と10戦を行い、勝ち越したら力道山家寄贈のベルト
を巻く」と宣言しており、その最終戦の相手となったのがブラジルでした。
2月27日の対戦は2対1でブラジルが敗退し馬場が初代PWF王者の
ベルトを巻いています。
 力道山家が所有していたこのベルト、元々はロスを本拠地にしたWWA
のベルトのレプリカです。
<1962年3月28日に力がブラッシーからWWA王座を奪取。
31日に帰国した力は千代田区の記章会社にコピーの作製を依頼。
5月に完成したベルトが11月のインター防衛戦から使用され始めた。
オリジナルは5月にWWAに返却されている。>(日本プロレス70年史 より)

 この時のコピーが初代PWFベルト。
ブラジルはインターの消滅に立会いPWFの誕生にも絡んだ稀有な存在でしたが、
大元のWWAのベルトにも関係します。
 66年9月2日に20代王者になりますがその後に転落。
68年1月12日に27代に返り咲きますが、NWA加盟のためにWWAベルト
はこの時をもって封印されています。
 ブラジルはこのベルトの終焉にも立ち会っていたのでした。

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