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昭和のプロレス:転落の第一歩

2023-11-10 06:29:19 | 日記
キャリアアップ

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」では主役を盛り立てた脇役達を
振り返っています。
今週は「喧嘩番長、ディック・スレーター」です。
 全日本プロレスに何度も登場し、一時は外人勢のトップも間近と思わせる
活躍をしながら、やがて員数合わせに凋落してしまった不運なレスラー。
 初来日は1974年のサマーアクションシリーズ第2弾。
8月9日の開幕戦では30分1本勝負で若手のクツワダと対戦。
日本デビュー戦を体固めで勝利しました。
 シリーズ中には日本組大関格の鶴田とデストロイヤーとそれぞれ2回の
シングル戦を行いますが、いずれも敗退しています。

 再来日は3年後の77年のエキサイトシリーズ。
2月19日の開幕戦ではいきなり鶴田とのシングル戦が組まれ、時間切れの
引き分け。
 その後もほぼ毎日メインのタッグマッチに起用されました。
最終戦では馬場と初のシングル対決を行いますが10分38秒に敗退。
2度目の来日では外人勢の3番手のポジションを確保しました。
 5度目の来日となった80年3月の第8回チャンピオンカーニバルでは
鶴田と決勝戦を闘い、惜しくも準優勝。
ここまで日本でのキャリアは順調に上がって行きました。

大舞台はインタータッグ

 翌年の2月6日に突然悲劇に襲われました。
アメリカでのサーキット中に乗っていた自動車がスリップして横転。
強度のむち打ち症で入院を余儀なくされました。
 10日後にマットに復帰しましたが吐き気に悩まされ、平衡感覚を失い
歩行中に転倒し再び病院に逆戻り。
その後に再起を果たしますが、以後は長い試合ができなくなってしまいました。
(ジャスト日本のプロレス考家日誌 より)

 体調不良のままその年の7月、サマーアクションシリーズに7回目の
来日を果たしました。
ここで予定されていた大舞台はビル・ロビンソンと組んで馬場・鶴田に
挑戦する7月30日のインタータッグ戦。
 とは言えこれまでロビンソンとの絡みは77年の来日で2回タッグを組み、
前年の最強タッグの公式戦で両者リングアウトの引き分けをしたくらい。
唐突感を拭えないファンの戸惑いを察したのか、開幕戦でタイトルマッチの
前哨戦が組まれました。
 この試合はスレーターが馬場を押さえ込み先勝。
更にふたりのタッグが6回組まれ、いよいよ本番の期待が高まりました。

 しかしここで異変が突発。
体調を崩したスレーターが22日の試合を欠場し、そのまま途中帰国して
しまったのです。
 残されたロビンソンは急遽天龍をパートナーにタイトルに挑戦。
これが天龍の出世試合になったのですが、一方のスレーターにとっては転落
の第一歩となってしまいました。

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