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昭和のプロレス:力道山のボクシング

2022-04-22 06:29:09 | 日記
5傑と2強

 力道山は言わずと知れた昭和を代表するプロレスラー。
マット界に転じる前は大相撲の世界で頭角を現し、プロレスで大成した後は
別の格闘技にも食指を伸ばしました。
意外ですが力道山はボクシングとも縁がありました。

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」では主役を盛り上げた脇役達を振り
返っています。
今週は「動くアルプス、プリモ・カルネラ」の登場です。

 195cm148kgのカルネラは元ボクシングの世界チャンピオン。
引退後にプロレスに転向し1955年の7月11日に日本にやってきました。
 その際「ボクシング時代にリング上でアーニー・シャープを撲殺した」と
大きく報道されたので日本中がビックリ。
 15日に力道山と東富士が組んでカルネラとマネージャーを兼任していた
クルス・カンプとの前哨戦が行われ、17日には力道山との一騎打ち。
 残念ながら試合結果は2対0のストレート負け。
前評判の割には盛り上がりに欠けた内容となってしまいました。

 力道山曰くマット界の実力者5傑とは「テーズ、ゴッチ、ミラー、ハットン、
オコーナー」
これは広く伝わっている話ですが、実の息子には意外な本心を打ち明けていたと
いいます。
 <戦って真底強いと感じたのはふたりだけ。
それはルッター・レンジとプリモ・カルネラ。
「あのふたりは本当にタフで強かった」としみじみ語った。>
(渕正信オフィシャルブログ より)
 ファンには余り伝わらなかったけれど、カルネラの強さは戦った相手には
しっかりと刻み込まれていたのでした。

世界スーパーライト級王者

 さて力道山とボクシングの関係です。
カルネラが来日する直前の7月8日、中央区でプロレスセンターの落成式が
行われました。
 これは1階に道場2階には事務所、合宿所や映画館などを併設した5階建て
のビルで、一時はプロレスの中心地とまで言われました。
しかしそれも61年に渋谷のリキスポーツパレスが完成するまでの話。
 こちらは更にスケールアップし、総工費30億円をかけプロレスの常設会場
まで備え力道山の代名詞にもなった建造物でした。
 7月30日には美空ひばりなど多数の著名人を招いて落成式が行われました。
前途洋々の力道山はもはやプロレス界だけに収まる器ではありません。
 その半年後の12月25日にはリキパレス内にボクシングジムを開設し、
ヘビー級ボクサーの育成にも乗り出したのでした。
そして生まれたのが世界スーパーライト級チャンピオンの藤猛でした。

 元ボクシング世界チャンピオンのカルネラが来日した直前に完成したビルの
2代目、その中に開設したボクシングジム。
そこから輩出した世界チャンピオン。
 力道山とボクシングの意外ながら、あまりに薄い因縁のお話でした。

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