ひきこもり死 「8050問題」の“最終局面” どう命を守るのか
前回の記事書いたあと、上のリンク先、読んで、
この間のNHKスペシャル「あるひきこもりの死」で、最初に出てきた、つたにうもれた家でゴミに埋もれて亡くなった男性の話は、
2年前のことだったと初めて知った。
それに、
交通事故で足を切断し、ひきこもった別の男性のケースも、首都圏のニュースより、
NHKスペシャルより、このリンク先の方がはるかに詳しく書かれている。
ガンにもなったひきこもりの我が息子を、高齢の親が家で介護する大変さ。
玄関に息子を寝せて、玄関のたたきとの段差を利用してトイレをさせていたなんて。
息子を寝室から抱き上げてトイレに運ぶ事が老親には大変で、考えた末の玄関に寝せていたのだろう。
この記事を読んではじめて知った。
NHKスペシャルの1時間の枠では、いくつかのケースを全て詳しく放送するのは、無理だったんだろうな。
それにしても、気になる。
交通事故後にひきこもりになったケース。
NHK NEWS WEBから一部引用する。
『治さんは30年近くひきこもった末、晩年はがんを患っていた。
だが、医療を受けることを頑なに拒否。
千枝子さんは、何度もタクシーで病院の前まで連れて行ったが、現地へ着くと治さんは車から1歩も降りようとしなかった。
そのたびに、運転手に謝りながら自宅へ引き返したという。
』
これほどまでに医療を嫌うには、相当な医療不信、人間不信があったのではないか?と思う。
その医療不信、人間不信とは、たとえば、私が体験したように、
いくら医師に症状を訴えても、
わかってもらえず、精神的なものにされて相手にされない絶望感かもしれない。
ひきこもるには、わけがある。
人の支援や医療を拒むにはわけがある。
それを、本人が、言葉や文字で発信できないから、
まわりは何が理由かわからないだけ。
でも、私にはなんとなく、当事者たちの気持ちが伝わってくる。
嫌なわけが。
私も、以前は、どんなに苦しくても地元の医師は二度と頼るまい!と思っていた。
主治医以外の医師は頼るまいと。
それほど、医療に絶望してたから。
今は、神経症扱いされながらも、わからない医師はいくら説明してもわからないんだからしかたがない、と割り切って、あきらめつつ、最低限だけ、適当に利用している。