小沢一郎に対する個人的な見方を披露する前にもう1つ2つほど前置きをおきたい。
前回は「民主主義」について述べたが、今回は「民主党」について私見を述べる。
まず、リンク先のブログを読んで頂きたい。
一部引用しながら感想を述べ、最後に持論を述べたい。
自民党麻生政権のゾンビと化した民主党鳩山政権(極東ブログ)
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/12/post-2252.html
鳩山氏の志は今年の総選挙時も変化がなく、「国債というものをどんどん発行して、最後に国民の皆さんに負担を求める。こんなバカな政治をやめたいんです。みなさん」(参照)と熱弁していた。しかしもうお馴染みの鳩山ブーメランのとおり、その「バカな政治」とやらを彼自身が推進することになった。悪口ではない。鳩山首相は素直に反省している。
私は、鳩山政権の方針転換は"既定路線"だと考えているので、自民党系の人々や一部知識人の方々が怒っているのはノリツッコミにも思える。
初めからダメなのわかっていて、結果ダメだったからツッコミいれてるのと同じような姿に見える。
古典的なコントと同じではないか。
ここは極東ブログの主張に賛同する。
しかも、政権交代にあたり経済対策が無策であったことも、ようやくきちんと反省された。この素直な低姿勢が、いくら脱税をしても国民から愛想を尽かされない秘訣もあるのだろう。
これは違う。
初めから民主党への期待は低かった。
(しかし根拠のない楽観的期待は高かったが、これは宝くじの当選を夢見るのと同じ)
当Blogでは政権交代の当初から主張しているのだが、私は民主党の支持率が高いのは自民党政治への嫌悪感だと捉えている。
国民は民主党が不甲斐無いのは百も承知だが、もしここで民主党政権が瓦解してしまったら自民党に戻らざるを得ないが、それは選択したくないのである。
一部メディアも主張するように、民主党の高支持率は、積極的支持ではなく消極的支持によるものだ。
先日のアフガン小切手外交でも民主党は米国に言われたままの金額をエイと50億ドルに決めてしまった。密室でエイやと何兆何億というカネの使途を決まってしまうのは、さすがのリーダーシップと評価する向きもあるだろう。が、事業仕分けであれだけ連日多数で大騒ぎをして、埋蔵金を除けば0.6兆円しか出て来ず、しかもこれから削りすぎを修正することになる金額の10倍近い額が、エイと密室で決まる様は感動的でもある。
これも既定路線で、国民はよく理解している。
そもそも、事業仕分けを全面的に支持しているのはほんの一部の人達だけで、多くの人は全体設計の無さに対して不満を持っている。
それでも事業仕分けが支持されるのは、少なくても談合予算に一部風穴を開けることに民主党が成功したからだ。
それが意図したものか、意図せざるものだったかは別にして、数あるうちの一つの改革が実施されたから、その一つを評価しているだけである。
民主党が全体最適の観点から予算というものを把握できていないのは誰もが知っている。
当然その意味は、97兆円まで積み上げたマニフェストのバラの夢を16兆円分刈り込むということだし、民主党の掲げたマニフェストで予算のかかるものは消えてしまうということだ。この点ではなんとなく民主党内で合意が取れつつあるようだ。
民主党のマニフェストが完全実施されるなどということを、国民の誰が予測した、いや望んだのであろうか。
民主党のマニフェストが程度の低い各政策の寄せ集めでしかないことは、誰もが知っていることだ。
にも関わらず国民が民主党を選んだのは「政権交代」を望んだからであり、民主党そのものを政権与党として高く評価したからではない。
総選挙後、惨敗した自民党議員が発した「民主党に負けたのではなく、政権交代というフレーズに負けた。」というのは正しい解釈だ。
国民は民主党を選んだのではなく「政権交代」を選んだのだ。
それでも私は政権交代当初より「民主党がマニフェスト堅持の旗を上げ続けることには大きな意味がある」と主張するものであった。
それは、マニフェストを守らなくてもよいということが周知されてしまったら、政権与党としてはあまりにも防御力が低い民主党が数多の利権集団に飲み込まれてしまうと考えたからだ。
ゆえに民主党は防御陣形が整うまでマニフェストの旗を降ろすわけにはいかないのだ。
防御陣形を整える役目はひたすら小沢一郎が担っている。
彼が近代日本政界における稀代の戦略家だということの証でもある。
もちろん外国人参政権や夫婦別姓などの改革にはそれほどの予算はかからないから、そうしたことに今後民主党は注力していくことでマニフェスト達成ということになるのかもしれない。が、実質的には民主党のマニフェストは終了した。これで普天間飛行場の沖縄県外移設が達成できなければ、政権交代の意味もなかったということに終わるだろう。
民主党鳩山政権は自民党麻生政権のゾンビと化したのである。
これは表現上の誇張なので、いちいち取上げるのもfinalvent氏に失礼だが、政権交代の意味はあった。
先ほどから述べているように、民主党がマニフェストで公約した内容を完全実施できることなど国民の誰も考えていなかったし、誰も望んでいなかった。
民主党による政権交代の意味は、民主党による政策にあるのではなく、既存の政治制度に終止符を打つことである。
いや、終止符を打とうと民意が動いたことである。
これまでの日本の政治は民主主義の形式をとっていたものの、その効果をほとんど出せずにいた。
(民主主義の効果を引き出すことについては前回のエントリを参照)
政治に関わるのはひたすら一部のパワープレーヤーのみであり、そして政治は一部のパワープレーヤの意図するように動いた。
それが可能であったのは、日本経済が成長していたため富は自然と拡大し、国民が広く政治に参加する必要性を感じていなかったからだ。
だが、冷戦の終結やIT革命などによる経済のグローバル化が、この右肩上がりの日本経済を無力化し、大打撃を与えてしまった。
日本経済は成長できなくなるどころか、激しいグローバル競争にさらされ、現状維持すらままならぬようになった。
世界は1990年代より、海上戦から航空戦の時代へと移り変わっていったのだ。
だが、日本は過去の成功体験により合理的な現状認識ができないまま、艦隊戦力の増強に熱心になるばかりであり、根本的な解決の道をとらず、逐次的な処方箋ばかり施して経済構造を継接ぎされた温泉旅館のように複雑化していった。
この結果、日本は資源を無駄にするばかりか、誰にも崩せないような補完性の強い巨大なシステムとなってしまった。
経済が成長しているうちは、拡大するパイから配分することが可能なので配分量は増加する。
しかし、経済の成長が止まると配分は既にあるパイから行わなければならなくなる。
ただでさえパイの拡大が止まると配分量が減るのに、少子高齢化などの要因によって配分量を増やす必要性に迫られる状況に至った。
つまり、持てる者から持たざる者への富の異動がこれまで以上に起きることを意味する。
これは、持てる者には受け入れがたい要求である。
なぜなら、パイが拡大しない以上、市場は既にあるパイの奪い合いとなる。
持てる者は、いつ自分が持たざる者になるのか、その潜在的リスクに怯える状況に置かれてしまう。
このような状況下でパイを維持するためには相当の努力を要するが、国家によって富を収奪されてしまうということは、この努力を無に帰すごとき処遇なのである。
これでは誰が努力をするようになるのだろうか。
結局、今の日本ではパイの奪い合いが起きぬように規制を強化し、持てる者をそのまま持てる者に固定する声が大きくなり、政治がこれに迎合した。
このような談合体制がもたらす弊害は格差の固定化である。
近代における唯一の例外は小泉政権であったが、この政権を継承した安倍政権がわずか1年で終わると、日本の政治は逆戻りした。
談合体制、一部のパワープレーヤ重視の政治に戻った。
この後、「持てる者からとらずして持たざる者へ与える」と主張する集団が現れた。
「民主党」である。
その論理は単純であった。
「霞ヶ関という最大の持てる者に最大の無駄がある。その無駄を省けば持たざる者へ与えることが可能だ。」というものだった。
この論理が正しくあるための条件は「霞ヶ関に無駄があること」であったが、「無駄」という曖昧な価値基準を確からしめる裏づけはなかった。
民主党の主張は「無駄」という条件が崩れると、主張の全てが崩れるという非常に危険な論理であり、しかも論理崩壊に備えたバックアップ・プランらしいものすら持っていないようだった。
実際その危険性は再三にわたって指摘されたが、国民はそれを承知で民主党を選んだ。
国民は全てを承知で、明日の日本のために「政権交代」というリスクを取ったのだ。
これまでリスク回避ばかりしてきた国民が、リスクテイクしたのだ。
これを日本政治史における革命と呼ばずに何と呼ぶ。
与党・民主党に自浄作用が働いていない(中川秀直)
http://ameblo.jp/nakagawahidenao/entry-10407878615.html
今日の日経新聞社説は「政権交代のコストとしても程度を超えている。沖縄の米軍普天間基地の移設をめぐる鳩山由紀夫首相の迷走である」ではじまる。社説は指摘する。
[中略]
問題は、民主党内で自由な言論が抑えられているように思われることだ。与党・民主党に自浄作用が働いていない。政権長期化・次期選挙勝利の呪縛にとらわれている中で、日本国の対外的信頼が失われ、国家的危機が顕在化している。
次の選挙に勝つために国家的危機を放置するのでは、何のための国会議員か。
野党議員としては当然の見方であるが、中川氏ほどの人物ならもう少し大局的な見方ができてもよいのではないか。
(中川氏がその程度だとやっぱりもう自民党もだめかもしれない。)
確かに、日経新聞が指摘するように「政権交代のコストとしても程度を超えている。」という部分に反論する気はない。
しかし、「小沢一郎が政権長期化・次期選挙勝利に固執している」と考えるようでは、いつまで経っても小沢一郎には勝てまい。
中川さん、それは手段であって目的ではないのだよ。
小沢は民主党が素晴らしいなんてこれっぽっちも思っていないよ。
ただただ、彼は日本に本当の民主主義を実現しようとしている、唯一無二の政治家なのだ。
つづく。。
守銭奴・福田衣里子は、補償金名目で国から金を取り、製薬会社からも金を取り、議員として議員報酬を取る守銭奴なのだろう。小沢には守銭奴・福田衣里子も利用の対象である。
小沢一郎は来年1月召集の通常国に外国人に参政権を与える法案を提出し成立させると12日に祖国・韓国で語った。そして在日を民主党の支持母体にすると同時に、在日が日本を支配する条件を作り出すこととなる。
厳しいコメントありがとうございます。
在日民主党さんご指摘の様々な内容については私の方でも認識しております。
民主党は全くもって防御力のない(かといって攻撃力があるわけでもない)穴だらけの政党です。
しかしながら、全ての政治的活動から利害関係を無くすことは不可能でもあります。
(政治が社会・市場に対して社会的介入を行うシステムである限り)
それは、そもそも「政治」そのものが利害を伴なうものだからです。
簡単に言ってしまえば「誰かが損をして誰かが得をするのが政治」です。
ですから政治家の評価とは、その損失と利益とのバランスを社会と個人の両側から見てどのように取れるか、にかかっているのだと私は考えます。
政治は時として、誰かを怒らせ、誰かを喜ばすものです。
それが嫌だというのなら、我々は「政治に任せてはいけない」のです。
皆がそれに気づいたとき、真なる意味での民主主義が理解されるときだと思います。
ここからが多くの人と私の意見が一致しないところですが、
小沢一郎が固執しているのは「権力」ではありません。
なので在日民主党さんがおっしゃる「小沢一郎の謀略」は、私からみて「小沢一郎の戦略」です。
小沢一郎が選挙を重視するのは「権力」のためではありません。
勝手な造語で恐縮ですが、もし「選挙を戦う力」=「選挙力」というものがあるとすれば、民主党にそれを身につけさせるためです。
なぜか?
それは、これまでの日本の政治が、一部のパワープレーヤーにより動かされてきたからです。
自民党が自らの力を失っていったのは、社会や生活の多様化の中で、結局そこから抜け出せなかったからです。
だから、小沢は国会議員が一部の利益団体に屈しないように「選挙力」を身につける必要があると考え、前時代的な選挙活動を行っているのです。
しかし、それは前時代的な選挙をしたいがためではなく、組織を通さずに、より多くの人に訴えかける必要性を感じてのことです。
もっとよい選挙活動方法があれば、彼はそれを選ぶはずです。
政治家が己の信念を貫くためには強い選挙基盤がなければならない、というのは彼の持論です。
それは彼の主張する「どぶ板選挙」の本質的解釈と結びついてきます。
当Blogの主張ですが、彼は民主党が素晴らしいなんて思っていません。
こういっては怒られるかもしれませんが、彼自身、自分の言ってることが正しいなんて考えていないと思います。
しかし、彼は選挙で負けるわけにはいかないのです。
それは日本の政治を前に進めるためであり、政策を実現するためではないのです。
より多くのプレーヤーが政治に参加すること、それこそが彼の目的なのです。
本コメントの内容が次回のエントリをフライングしてしまいました。
在日民主党さんのコメントに引き出されてしまいました。
いやー、次回はもう少しお手柔らかに(笑)