前回のエントリが、あまりに適当だったので加筆しました。
AKBが統一ルール“過去の男友達”線引き (デイリースポーツ)
http://www.daily.co.jp/gossip/article/2011/09/08/0004447748.shtml
統一ルールを決めるらしいですね。
「過去の男友達」ってところが玉虫色っぽくて嫌いですが。
最も重要なのはプラットフォームとしての「信頼性」であるからして、信頼性を担保できるのであれば方法は問わなくていいと思いますが、本来ならば、各メンバーの自覚、認識するところにおいて、恋愛については抑制行動が取られるべきですよね。
だって、体制や運営に不満を持つメンバーをルールで抑え込むことはできませんからね。
現実的なところを行くなら、↓このくらいでいいんじゃないですかねぇ。
過去の恋愛事象はメンバーの商品特性の問題であり、処罰の対象にはしない。
ただし、混乱を招く状況がある場合には、事実関係の確認を行い、またそれを公表する時もある。
現役は実態を伴う恋愛活動を禁止する。
実態が伴わなければ、片思いか両思いかは問わない。
恋愛と関係がなくても誤解を招く行動はしない。
ファンとの特別な接触は禁止。
自己都合によって何かの会合や集会に出る場合には運営の許可を取る。
疑いがある場合には、徹底調査の上、事実であれば解雇、場合によっては営業損失を与えたとして業務妨害で訴える。
恋愛がしたければ、事後ではなく、事前に脱退する意思を運営に伝えること。
しかし、やっぱりいくら厳しいルールを決めても、それだけでは本質的な問題を解決できないので、形骸化する恐れが強いなと思います。
というのは、そもそも恋愛というのは幅広いもので、好きとか一目惚れといったポジティブなものから始まるものもあれば、もっとネガティブなものから始まるものもあるのです。
例えば、アイドルの仕事をしていく中で感じる矛盾や限界、自分の夢との間に生まれる葛藤に思い悩むこともあるでしょう。
自分だけで処理できずに誰かに相談することだってあるはずです。
相談といったって、誰かの悩みを抱え込むのは誰にとっても苦しいものですから、本当の意味で相談に乗ってくれる人というのは希少だったりするものです。
相談して意味を感じるタイプの人でないといけませんしね。
悩みを共有する関係性から、ひょっとしたら恋愛に似たようなものに発展することだってあるかもしれません。
相談でなくても、処理できない想いのはけ口としての恋愛だって有り得ます。
自分勝手と言われれば、そうかもしれないけれど、本人からしたら自己同一性(アイデンティティー)を保つ唯一の方法だったのかもしれません。
何が言いたいかっていうと、「何かアイドルという仕事をしながら恋愛なんか許せん!」なんて言うのは簡単だけど、実態はむしろ逆で「アイドルという現実と虚像の間で葛藤する職業だからこそ、恋愛という処方箋に頼ることだってある」ってことです。
どれだけ作りこまれた商品だとしても、結局は「人」ですから。
作りこもうとすればするほど、人からの乖離に悩むこともあるかもしれないのですよ。
アイドルであればあるほど、何かの形で人っぽいことがしたくなるものなのです。
それが、趣味かもしれないし、夢かもしれないし、家族かもしれないし、恋愛かもしれないというだけの話と思います。
だから、もし本当に恋愛禁止というルールを明確に打ち出すのであれば、ルールに実効性を持たせるために、それなりの体制を整える必要があると思います。
簡単に言えば、メンバー1人ひとりへのケア。
各メンバーの所属芸能事務所が分散している関係上、難しい面もあると思いますが、何のフォローもなしに恋愛禁止にしたところで無意味だと思いますね。
それが出来ないなら、メンバーを採用する段階で、悩みを解決できるタイプを選ぶことですね。
※
一般企業の採用面接で、面接官が趣味・特技を聞く理由の一つには、思い悩んだ時に解決する素地がその人にあるのかを確認する意図があるのです。
仕事をする上で悩まない人なんていないから、悩みに押しつぶされない人なのかどうか、これは人を採用する上では結構重要な観点なのです。
組織として各メンバーを支えていく仕組みなしに、恋愛禁止というのであれば、それは組織としての怠慢であると、私は思います。
組織の不作為で恋愛禁止条例を破るメンバーが出ても、それはメンバーだけの責任にはできない。
構造上、ルール違反が生み出される要因が内包されているのであれば、いくらルールを強化したところで無意味です。
ルールを作るなら体制もセットで構築しなければならない。
これはMustです。
あと、恋愛禁止条例の出口戦略をどう立てるかも難しいところですが、今日のところはこれにて終了とさせていただきます。
つらつらと書いたので最後に、これまでの当Blogの主張をまとめます。
恋愛禁止が理念に照らし合わせて重要なファクターならルール化はやってもいいし、やるべきかもしれない。
しかし、どれだけルールを厳しくしても実効性がなければ無意味だ。
組織の構造として、ルール違反が発生しない仕組みを構築することが大事。
そのためには、組織として各メンバーを支援していく体制を整えるべき。
恋愛禁止条例と支援体制はセットでなければならない。
AKB48がこれからも発展していくことを信じて、締めさせて頂きます。
★★★★★★
でも、考えれば考えるほど面倒なので、前にも主張しましたが、いっそのこと、宗教的アイドルグループを作りましょうよ。
処女信仰そのものが宗教なんだから、宗教アイドルしかないですよ。
処女で人を区別するという女性差別に真っ向から取り組むため、国際的世論の前に耐えうるだけの信仰を打ち立てることができるか、そしてこのようなある種の反社会的グループを運営していくだけの胆力を持った経営者がいるかどうかということが問題なのですが。
処女限定アイドル。
特別に設立された宗教法人に修身する形でグループへ参加が許される。
(宗教法人として認可されるのかとか知らないけど・・)
医学証明付き。
半年に1回、処女検査を行い、非処女確定で"破門"される。
ニッチ市場は開拓できそうですね。
マスメディアに露出できるかわかりませんので劇場中心でいきましょう。
案外、宝塚的に同性からの熱狂的な人気を獲得できたりしませんでしょうかね。
AKBが統一ルール“過去の男友達”線引き (デイリースポーツ)
http://www.daily.co.jp/gossip/article/2011/09/08/0004447748.shtml
統一ルールを決めるらしいですね。
「過去の男友達」ってところが玉虫色っぽくて嫌いですが。
最も重要なのはプラットフォームとしての「信頼性」であるからして、信頼性を担保できるのであれば方法は問わなくていいと思いますが、本来ならば、各メンバーの自覚、認識するところにおいて、恋愛については抑制行動が取られるべきですよね。
だって、体制や運営に不満を持つメンバーをルールで抑え込むことはできませんからね。
現実的なところを行くなら、↓このくらいでいいんじゃないですかねぇ。
過去の恋愛事象はメンバーの商品特性の問題であり、処罰の対象にはしない。
ただし、混乱を招く状況がある場合には、事実関係の確認を行い、またそれを公表する時もある。
現役は実態を伴う恋愛活動を禁止する。
実態が伴わなければ、片思いか両思いかは問わない。
恋愛と関係がなくても誤解を招く行動はしない。
ファンとの特別な接触は禁止。
自己都合によって何かの会合や集会に出る場合には運営の許可を取る。
疑いがある場合には、徹底調査の上、事実であれば解雇、場合によっては営業損失を与えたとして業務妨害で訴える。
恋愛がしたければ、事後ではなく、事前に脱退する意思を運営に伝えること。
しかし、やっぱりいくら厳しいルールを決めても、それだけでは本質的な問題を解決できないので、形骸化する恐れが強いなと思います。
というのは、そもそも恋愛というのは幅広いもので、好きとか一目惚れといったポジティブなものから始まるものもあれば、もっとネガティブなものから始まるものもあるのです。
例えば、アイドルの仕事をしていく中で感じる矛盾や限界、自分の夢との間に生まれる葛藤に思い悩むこともあるでしょう。
自分だけで処理できずに誰かに相談することだってあるはずです。
相談といったって、誰かの悩みを抱え込むのは誰にとっても苦しいものですから、本当の意味で相談に乗ってくれる人というのは希少だったりするものです。
相談して意味を感じるタイプの人でないといけませんしね。
悩みを共有する関係性から、ひょっとしたら恋愛に似たようなものに発展することだってあるかもしれません。
相談でなくても、処理できない想いのはけ口としての恋愛だって有り得ます。
自分勝手と言われれば、そうかもしれないけれど、本人からしたら自己同一性(アイデンティティー)を保つ唯一の方法だったのかもしれません。
何が言いたいかっていうと、「何かアイドルという仕事をしながら恋愛なんか許せん!」なんて言うのは簡単だけど、実態はむしろ逆で「アイドルという現実と虚像の間で葛藤する職業だからこそ、恋愛という処方箋に頼ることだってある」ってことです。
どれだけ作りこまれた商品だとしても、結局は「人」ですから。
作りこもうとすればするほど、人からの乖離に悩むこともあるかもしれないのですよ。
アイドルであればあるほど、何かの形で人っぽいことがしたくなるものなのです。
それが、趣味かもしれないし、夢かもしれないし、家族かもしれないし、恋愛かもしれないというだけの話と思います。
だから、もし本当に恋愛禁止というルールを明確に打ち出すのであれば、ルールに実効性を持たせるために、それなりの体制を整える必要があると思います。
簡単に言えば、メンバー1人ひとりへのケア。
各メンバーの所属芸能事務所が分散している関係上、難しい面もあると思いますが、何のフォローもなしに恋愛禁止にしたところで無意味だと思いますね。
それが出来ないなら、メンバーを採用する段階で、悩みを解決できるタイプを選ぶことですね。
※
一般企業の採用面接で、面接官が趣味・特技を聞く理由の一つには、思い悩んだ時に解決する素地がその人にあるのかを確認する意図があるのです。
仕事をする上で悩まない人なんていないから、悩みに押しつぶされない人なのかどうか、これは人を採用する上では結構重要な観点なのです。
組織として各メンバーを支えていく仕組みなしに、恋愛禁止というのであれば、それは組織としての怠慢であると、私は思います。
組織の不作為で恋愛禁止条例を破るメンバーが出ても、それはメンバーだけの責任にはできない。
構造上、ルール違反が生み出される要因が内包されているのであれば、いくらルールを強化したところで無意味です。
ルールを作るなら体制もセットで構築しなければならない。
これはMustです。
あと、恋愛禁止条例の出口戦略をどう立てるかも難しいところですが、今日のところはこれにて終了とさせていただきます。
つらつらと書いたので最後に、これまでの当Blogの主張をまとめます。
恋愛禁止が理念に照らし合わせて重要なファクターならルール化はやってもいいし、やるべきかもしれない。
しかし、どれだけルールを厳しくしても実効性がなければ無意味だ。
組織の構造として、ルール違反が発生しない仕組みを構築することが大事。
そのためには、組織として各メンバーを支援していく体制を整えるべき。
恋愛禁止条例と支援体制はセットでなければならない。
AKB48がこれからも発展していくことを信じて、締めさせて頂きます。
★★★★★★
でも、考えれば考えるほど面倒なので、前にも主張しましたが、いっそのこと、宗教的アイドルグループを作りましょうよ。
処女信仰そのものが宗教なんだから、宗教アイドルしかないですよ。
処女で人を区別するという女性差別に真っ向から取り組むため、国際的世論の前に耐えうるだけの信仰を打ち立てることができるか、そしてこのようなある種の反社会的グループを運営していくだけの胆力を持った経営者がいるかどうかということが問題なのですが。
処女限定アイドル。
特別に設立された宗教法人に修身する形でグループへ参加が許される。
(宗教法人として認可されるのかとか知らないけど・・)
医学証明付き。
半年に1回、処女検査を行い、非処女確定で"破門"される。
ニッチ市場は開拓できそうですね。
マスメディアに露出できるかわかりませんので劇場中心でいきましょう。
案外、宝塚的に同性からの熱狂的な人気を獲得できたりしませんでしょうかね。
将来的にはアイドルも恋愛アリってなれば良いなと思います。
でもこれって、社会が小中高生の恋愛・性的交渉を認めるかどうかっていう、今更な感じの問題が根強くある気が。
いつもコメントありがとうございます。
tuneさんがコメントする時を同じくして、エントリの内容を修正してしまいました(汗)
>でもこれって、社会が小中高生の恋愛・性的交渉を認めるかどうかっていう、今更な感じの問題が根強くある気が。
秋元康氏が教育機関としての役割を主張している点から考えると、アイドルグループとして、AKB48として小中高生のあるべき姿を、1つのコンセプトとして打ち出すという意味で、恋愛禁止条例は有りだと思っています。
実際に「10代には厳しくしている」と言っていますしね。
AKB48は、そういうグループだと言ってしまうのは有りかなと。
しかし、20代も後半にもなって、そういうルールを適用してしまうのはちょっと苦しいかなとも思っているので、何らかの出口戦略が必要だとも思います。
制度設計が難しいところですが、10代というところで線を引くのはイケてないと思いながらも、あくまで一つの意見として、例えば、20歳からは各メンバーの自己責任に任すとしてしまうのもありと思います。
各メンバーの営業努力としてどうするか決めてよいと。
(20歳に意味はないので、22歳でも24歳でも26歳でもよいのですが・・答え出ないですね)
う~ん、苦しい。
そうすると、20歳で卒業する制度に近いなって気もするしなぁ。
そもそもアイドルという仕事をするにあたって、プライベート空間で恋愛しているかどうかはプライベート空間から染み出てこなければ業務上(アイドルが提供するサービス上)関係がないので、これはやはり人と人との信頼の問題なのですよね。
人が人を好きになるってことと非常に深い関係があって、他の誰かを好きな人を好きになれるか、いや、もちろん好きになれるし、アイドルが提供するサービスは変わらないのだからファンが得るリターンは変わらないのだけれども、それでも応援する気が損なわれるのだとしたら、それはアイドルを応援したいということより、やはり自分がその人を手にしたいという欲求が根底にあるということと、もう一つは自分ではない他の男を選んだことに対する嫉妬なのだと思います。
親心ではなく、恋心であり、支配欲なのだと。
もちろんAKB48愛、前田敦子愛、大島優子愛、etc...というファンもいるのでしょうけれど、大多数のファンが愛まで昇華するのには時間とコストがかかりそうで、それでビジネスとして成り立つかどうか、は論点かなと。
いや、それがわかっているからこその恋愛禁止条例なのですが・・・
でも、AKB48って男性ファンだけでなく女性ファンも結構いるから、その辺も視野に入れると余計に難しくなるなって気もします。
女性ファンが恋愛禁止条例についてどう感じているかも調査する必要がありそうです。
まぁ、もうちょと考えて出直しますです。
有効なサポート策を打ち出せない理由の一つはここにあるのではないでしょうか。
そしてさらにその上まだ普通の学生だった頃の過去まで検閲されているくらいなのでより難しいですよね。
コメントありがとうございます。
旅人さんは本当に高校生なのですかっ?!
30歳前後の大手企業に勤める会社員みたいなコメントになってて、
とてもうそ臭いんですけど(笑)
やはり人は年齢や肩書きに寄らないということですね。
(いや、それとも私の高校生感があまりに稚拙なのかもしれない・・汗)
そうですね。
本エントリでは触れていない側面について意見を述べたいと思います。
仕事空間とプライベート空間の区別という話題は、政治家だとよくありますよね。
公人にプライベートはあるのかとか、プライベートでの発言にどこまで責任を持つかとか。
同様にアイドルにもプライベートがあるのかという無茶ブリするファンはいると思います。
プライベートを切り貼りして好感度UPに利用しているのに、都合のよい部分だけ隠すのか?とかいう人たちですね。
ソーシャルに振れば振るほど、この問題は先鋭化してくると思うのです。
極端な例だと、キャバクラ嬢はプライベートを餌に営業かけてくる場合もありますよね。
キャバ嬢にしてみれば営業だけど、本気にしちゃう人達はいるものです。
これは実態の問題ではなく信頼性の問題で、人は「裏切り」に強い反発感を持つんですね。
利用されたくないと思ってしまうのが人の性で、その心配をなくすことは営業活動として有り得ると思います。
ほかにも、例えばアスリート達はプライベート空間を制限されますよね。
減量とか、体調管理とか。
それが仕事空間で結果を出すために必要だから、運営も個人もお互い納得してやるのでしょう。
アイドルがアスリートと同じなら、営業のためにプライベート空間を制限することは有り得ると思います。
ただし、条件があって、お互いに納得していること。
だから、運営とアイドル本人がお互いに同じ方向を見てる時はよいんですよ。
でも、人生っていろいろあるから、気持ちが離れることもあるものです。
そうすると、お互いの了解が崩れるんですよ。
こんな時、どうするべきなのか考えるべきなのかもしれません。
同じ方向を見ることができなくなったのであれば、方向性の再定義、これをやるべきなのかもしれませんね。
要は、目指すべきところを変える。
そうしないで、これまで通りやるから、恋愛問題が顕在化してしまうのかもしれないと思ったりもします。
サポートとしては、とにかくメンバーを絶対に一人にしない。
これは必須ですね。
一人で悶々と悩みを抱え込むとネガティブな方向へ行くので、AKB48のメンバーとして採用した以上は、必ずAKB48内での役割や意味を感じ取れるように念入りに支援していくことです。
そこには絶対にコストをかけるべきです。
そういう余裕がないのであれば、そもそも採用しない。
これ以上、活動の戦線を延ばさない。
身の丈に合わないことはしない。
そういった視点から事業戦略を練り直すべきだと思います。
今や巨大アイドル組織になってしまったわけですから、当初とは異なるマネジメントスキルが求められていると認識すべきだと思っております。
性的不祥事に最も厳しいのは日本、寛容なのはメキシコ(ロイター)
http://jp.reuters.com/article/mostViewedNews/idJPJAPAN-23109720110909
確かに職業によっては公私をある種一体化させないといけない場合もありますね・・・
その場合は最大限バックアップをとるべきだ、ということなのですね。
コメントありがとうございます。
>ちょっとくたびれた会社員みたいな考えですかね?笑
くたびれた感を感じたわけではないです(笑)
ある程度安定した形での仕事をしたことのある人の考え方に近いなと思ったので、そこそこ社会的経験のあるという意味で、「30歳前後の大手企業の会社員」と表現したのでした。
これは厳密には経験の問題ではなく、その人それぞれの特性の問題なので、高校生でないと言いたかったのではなく、もし本当に高校生なのであれば、社会的経験の不足を補って余りある、ある種の洞察力の持ち主なのかなと思ったのでございます。
失礼をしました。
もともと「公私」という概念が、人間が作ったものなので、厳密に使い分けることはできないもので、だから悩むのですよね。
生産性やらを考えて公私一体化みたいな作業が必要になったりします。
アスリートや経営者でなくても、休日返上で仕事するサラリーマンも似たようなものです。
一般の方に理解しやすいフレームで考えると、従業員にプライベート空間で規律ある生活をしてもらいたかったら、経営者は何をするべきか、という視点も有りだなと思ったりもします。