goo blog サービス終了のお知らせ 

進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

ユニクロの世界戦略 二兎を追うユニクロ

2011-10-15 10:33:44 | ビジネス
ユニクロ、世界最大店オープン=賃借料15年で230億円―NY5番街
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111015-00000004-jij-int

15年で230億か~。
やはり単独店舗での利益云々ではなく「広告効果を狙う」と言わないと正当化できない投資だ。
この戦略について批判もあるが、クリステンセンの『イノベーションのジレンマ』でいうところの「下位市場から上位市場」への移動の構図に重ね合わせてみれば、NY5番街での出店は筋書き通りとも言える。

新興市場を攻めながら、高級ブランドの市場を食う戦略。
で、それがまた新興市場を攻めるのに相乗効果があると。
2兎を追うのだ。
教科書通りだ。

ただし、この戦略が成功するには、「NY5番街で成功すること」ことが重要なピースだ。
そこだけが問題であり、だからユニクロはなんとしてもNY5番街で成功を収めなければならない。


最新の画像もっと見る

2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
terasima@gold.ocn.ne.jp (noga)
2011-10-15 11:36:20
英語圏に行けば、片言の英語でも通じる。暮らしてゆける。
完全な英語でなくても、英語環境がととのっているから通用するのである。
英語環境がととのっている環境で生活していれば、そのうちに、英語も上達する。

我が国においては、どんなに英語が堪能であっても就職先に困る。
それは、人々が英語を使わないからである。これでは、暮らしそのものが成り立たない。

日本の学校で6年間英語の授業を受けてもまず話せるようにならないのは、英語環境が整わないからである。
一歩学校の外に出ると英語を使わないのでは、せっかく習った英語も錆ついてしまう。
日々の学習努力も賽の河原の石積みとなっている。

日本の学生のために英語環境を整えることが、語学力を増すことにつながると考えられる。
それには、英語を我が国の第二公用語にするのがよい。
国民も政治指導者も、英語の使用を日本人のあるべき姿と考えることが大切である。

国際社会において、我が国を代表する政治家にも英語の堪能さが見られない。
日本語のみを使用する社会において、実用にならない言語の学習は空しいばかりである。それにもかかわらず、我が国においては英語教育に名を借りた序列争いばかりが激しく行われている。
英語の学習を民間に奨励するだけでは充分ではなく、英語を習得したことに対する国家の強力な報奨(incentive)が必要であります。
英語を実用の言語とする政治指導者のさきを見据えた努力が大切です。
たとえば、公務員採用試験に英語の能力にすぐれた人物に優遇処置を施すなどの法的裏づけなどが効果的でありましょう。

英米人には、手先・目先の事柄に神経を集中する特技は得られないようである。かれ等は、生涯、歌詠みにはなれないでしょう。
日本人には、英語を使って考えることはきわめて難しい。しかし、これは不可能ではない。全員ではないが、知識人には為せばなる学習であると私は考えています。
わが国民の作る細工物は出来栄えが良い。なおその上、英米流の哲学にも良き理解を示す民族となれば、未来の日本人は鬼に金棒ということになるでしょう。
だから、英語を我が国の第二の公用語とすることには大きな意義があります。実現の暁には、我が国民のみならず、世界の人々に対しても大きな未来が開けることと考えられます。

一見我が国は教育大国を目指しているようであるが、大人の教育はない。つまり、子供が大人になるための教育はない。
我が国においては、教育といえば子供の教育のことを指している。目先・手先のことのみを述べる人は、子供のようである。
大人には考える教育が必要です。一人一人に哲学が必要です。
現実と非現実の間に区別を置くことなく語る人の内容には意味がない。だから、日本の知識人には価値がない。

「感情的にならず、理性的になれ」と国民に訴える指導者がいない。
「国民の感情に反する、、、、、」と言うのでは、主張の論拠にならないが、それのみを言う。
感性 (現実) あって理性 (非現実) なし。我が国は、一億総歌詠みの国にとどまっている。

大学生は入学しても、キャンパスで4年間遊んで過ごすことになる。
無哲学・能天気の大学生は、平和ボケ・太平の眠りの中にいる。
「入学を易しく、卒業を難しく」というような教育方針は現状を観察すれば空しい限りである。

日本人は、国連中心主義が好きなようだ。
国連の議場で世界の人々を説得するためには、自己の言葉が冴えわたる必要がある。
議論のできない人があえて国連中心主義を唱えるのは、自己の他力本願を表明するための手段ということになるのであろうか。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
返信する
一方では (advanced_future)
2011-10-16 23:29:15
>nogaさん
久しぶりのコメントありがとうございます。

英語を第二公用語にするというご提案ですね。
今後の世界情勢がどう動くか、私などにはわかりませんが、現状からみて合理的に考えれば、政策として選択肢に挙がってもおかしくないものだと思います。

この件について時間をかけて考えたことがないため、見当違いかもしれませんが、あえてもう一方の考えについても取り上げてみたいと思います。
議論を発展させるには指摘や反論などの多様性が重要です。

既に民間企業では英語への取り組みがはじまっています。
(それが是かどうか、ここでは判断しませんが)
社内制度だけではなく、採用基準にも「英語」が出てきます。
採用制度が変わると教育機関、とりわけ大学に影響を及ぼすので、徐々に大学のあり方も変わっていくと思います。
むしろ大学だけ変えても企業が変わらなければ影響力を持ち得ないとも思います。
行政は後追いになるかもしれませんが。

企業がグローバル競争下において生き残ろうとすれば、自然と英語のできる人材への需要が増すと考えられ、この波及効果によって教育も変わると思われます。

第二公用語化しても、使う環境がなければ、使われない予測も有り得ます。
現状を鑑みても、教育投資が十分に成果を生み出すか、と言われると少し懐疑的で、だとすると公用語化しても同様ではないか、という考えも有り得るとは思うのです。
一方で、使わざるを得ない環境は徐々に増えつつあり、これは不可逆な流れと思われます。

国が教育によって国民の教育水準をある一定以上にしたいとして、その最低要件として英語力を課すという考え自体に反対する気持ちはありません。
英語を使わなくても、英語学習によって得るものがあるわけですし、メリットはあるでしょう。
問題は、その分なにを削るかというお話になってしまいます。
他を大胆に削って英語にシフトするという考えもありだとは思いますが。

私個人としては、流れを作っていく、こちらの方が効果が大きいのではないかと思うのです。

>一見我が国は教育大国を目指しているようであるが、大人の教育はない。つまり、子供が大人になるための教育はない。

上記については深く同意します。
教育機会がないわけではないし、自ら進めば学ぶ場は数多くあると思います。
しかし、社会の安定化のために格差を是正するという意味で、機会が担保されていることは重要だと思います。
民間企業がグローバル展開するようになると、賃金からみても労働の質からみても2極化すると思います。
そうなるとその格差を是正するのに教育投資は必要ではないかと思ったりもします。

コメント頂いてから考えた程度の浅い意見ですが、上記のように思いました。
勉強不足なところなので、今後少しずつでも考える時間をとっていきたいと思います。
非常に深いご意見ありがとうございました。
返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。