この話は私の記憶を再構成したフィクションです。
決して学会の権威を貶めたいのではなく、人間社会を考察するためのケーススタディです。
小さい話だし、かっこつけた話なので、小話程度に思って頂けるとこれ幸いです。
◆◆◆◆◆◆
もうずっと前、私が修士1年だった時のこと。
私の学部時の卒業研究を元にした論文が、ある学会の査読付き論文誌に掲載されることになった。
私としてはどうでもよいことだったのだが、研究室には企業から共同研究の名の下に多額の資金が入ってきており、指導教官達にとっては査読付き論文を何本とれるかは重大な関心事であり、学部研究で1本稼いだ私は高い評価を得た。
しかし、私は非常に複雑な心境であった。
むしろ嬉しくなかったのである。
なぜなら、その論文のFirst Author(第一著者)は私になってはいたが、実際に論文を書いたのは2nd Authorの先輩院生だったからだ。
なぜ、先輩が私の名前で論文を書いたのか。
それにはわけがある。
まず第一に、論文の元になった研究成果の大部分が私の業績であること。
次に、指導教員は先輩よりも私の将来に期待しており、論文掲載を私の業績としたかったこと。
(研究者にとって論文数は非常に重要だからだ。)
そして何より、私が指導教員からの論文執筆要請を右から左へ流し続けたことがある。
(単純に忙しかったから。恋愛に・・。)
その先輩は、真面目かつ勤勉で、技術的なことは私よりずっと詳しかった。
しかし彼は少し不器用だった。
真面目すぎたのだ。
だから実質的な指導教員である助教からは評価されていたが、大御所の教授には認められなかった。
逆に、私はいい加減な性格で物事をきっちりこなすのが苦手な上、技術的なバックグラウンドは持ち合わせていなかった。
しかし、私はその適当な性格ゆえに細かいことを気にせずに大きな画を描くことが得意だった。
だから先輩とは逆に大御所の教授に認められていた。
私は自覚していた。
私が適当を通せるのは、技術を持った先輩や同期の友人達がいるからで、私に対する評価は、私をサポートしてくれる人々を含めた全員に対する評価なのだと。
私は全員を代表しているに過ぎない。
そう、つまり先輩は一人で勝負しているのに、私は周りを自分のところに引き込んで組み合わせて付加価値を生み出して自分の業績にしていたのだ。
もちろん意識的にである。
しかし、その後に起きたことが私を陰鬱とさせた。
なんとその論文の功績で学会から賞をもらうことが内定したのだ。
もちろん受賞者は私一人だ。
そして、2nd Author の先輩もその事実を知ることになった。
とても私事なことだが、当時、その先輩の母親は余命いくばくもない状態であった。
何かを意図してということはないが、ある時、先輩はぽつりと「母親に最期に賞を取ったことを報告したかった・・。」と漏らした。
先輩自身は何かを期待してということではなく、単純に自分の不甲斐なさを悔いて言った言葉であったと私は確信している。
今から死に行く母親にとって、息子のそのような後悔が何でもないことはわかっていた。
だが、先輩の気持ちを思うとやりきれなかった。
私の中で何かが動いた瞬間だった。
何も考えずに学部主任の教授の部屋へ行って、こう伝えた。
「賞を辞退したい。」
「私には資格がない。実際に論文を書いた先輩が賞を受け取るべき。」
「先輩を代わりに推薦して欲しい。」
もちろん、大説教をくらった。
「賞は私事都合で決まるものではない。」
「なんと身勝手かつ不謹慎な理由だ。」
その教授は私の直接の指導教員ではなかったが、人の良さでは知られていたので、少し期待していたのだが、やはり現実は甘くなかった。
しょぼくれた私は意を決して、自分の指導教員の教授のもとへと行くことにした。
指導教員は皆から恐れられる大御所で、下手をすると研究室にいられなくなる可能性があったが、自信はあった。
私自身が教授に特別に好かれていたこともあるが、教授の癖をうまく利用する手はあると考えたからだ。
「賞を辞退したい。」
「私には資格がない。実際に論文を書いた先輩が賞を受け取るべき。」
「先輩を代わりに推薦して欲しい。」
「こんな賞はいらない。他人の論文で賞をもらうなど自分が許せない。」
「私はこの論文に全く満足できていない。」
「次の論文でもっと大きな業績を得るつもりだ。」
「私ならそれが出来ると思う。」
いろいろあって、その教授は、次のように答えてくれた。
「君らしいな。」
「わかった。あれは所詮名誉賞みたいなものだから、本当に素晴らしい研究と認められたことを意味するわけではない。」
「私の方から言っておくよ。」
むしろ最後は笑顔で私の印象がさらにアップしたくらいである。
教授に気に入られることが、どれだけ研究生活にメリットがあるかは言うまでもない。
で、この話の中で、何が言いたいか。
日本の学会なんて適当だというところではない。
(これフィクションだから)
この話を聞いて、いい話と思うか、駄目な話と思うか。
その違いだ。
「先輩も受け取っちゃだめだろ」という突っ込みを聞きたいのではない。
要するに、この話の中で誰が損をして、誰が得をしたかという話なのである。
良いとか悪いとかではないところで、人間って何ができるだろうかって話だ。
そもそも「賞」がなかったら悩みもしなかったところに、「賞」が出てくることで問題が発生したわけだ。
賞なんて食べれないものに一生懸命になってしまう。
人は善意ゆえに傷つくのだが、そこの技術は何かなのです。
これも「人間の問題」。
電車の中で45くらいのサラリーマンの男性が「はぁ?キモッ」といわれて
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/e1c768d6bd9f572604a0c5de99262323
私がAKB48批判を批判する理由 究極の理論を教えてほしい
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/5d817115b717b669bb72f14467ecbeb7
このエントリを関係者が見ないことを祈ります。
◆◆◆◆◆◆
ちなみに、その後、私が賞をとることができなかったのは言うまでもない(笑)
より正確に言うと、本気で狙いにいった研究で見事に滑った。
はっはっは。
あくまでフィクションだ。
決して学会の権威を貶めたいのではなく、人間社会を考察するためのケーススタディです。
小さい話だし、かっこつけた話なので、小話程度に思って頂けるとこれ幸いです。
◆◆◆◆◆◆
もうずっと前、私が修士1年だった時のこと。
私の学部時の卒業研究を元にした論文が、ある学会の査読付き論文誌に掲載されることになった。
私としてはどうでもよいことだったのだが、研究室には企業から共同研究の名の下に多額の資金が入ってきており、指導教官達にとっては査読付き論文を何本とれるかは重大な関心事であり、学部研究で1本稼いだ私は高い評価を得た。
しかし、私は非常に複雑な心境であった。
むしろ嬉しくなかったのである。
なぜなら、その論文のFirst Author(第一著者)は私になってはいたが、実際に論文を書いたのは2nd Authorの先輩院生だったからだ。
なぜ、先輩が私の名前で論文を書いたのか。
それにはわけがある。
まず第一に、論文の元になった研究成果の大部分が私の業績であること。
次に、指導教員は先輩よりも私の将来に期待しており、論文掲載を私の業績としたかったこと。
(研究者にとって論文数は非常に重要だからだ。)
そして何より、私が指導教員からの論文執筆要請を右から左へ流し続けたことがある。
(単純に忙しかったから。恋愛に・・。)
その先輩は、真面目かつ勤勉で、技術的なことは私よりずっと詳しかった。
しかし彼は少し不器用だった。
真面目すぎたのだ。
だから実質的な指導教員である助教からは評価されていたが、大御所の教授には認められなかった。
逆に、私はいい加減な性格で物事をきっちりこなすのが苦手な上、技術的なバックグラウンドは持ち合わせていなかった。
しかし、私はその適当な性格ゆえに細かいことを気にせずに大きな画を描くことが得意だった。
だから先輩とは逆に大御所の教授に認められていた。
私は自覚していた。
私が適当を通せるのは、技術を持った先輩や同期の友人達がいるからで、私に対する評価は、私をサポートしてくれる人々を含めた全員に対する評価なのだと。
私は全員を代表しているに過ぎない。
そう、つまり先輩は一人で勝負しているのに、私は周りを自分のところに引き込んで組み合わせて付加価値を生み出して自分の業績にしていたのだ。
もちろん意識的にである。
しかし、その後に起きたことが私を陰鬱とさせた。
なんとその論文の功績で学会から賞をもらうことが内定したのだ。
もちろん受賞者は私一人だ。
そして、2nd Author の先輩もその事実を知ることになった。
とても私事なことだが、当時、その先輩の母親は余命いくばくもない状態であった。
何かを意図してということはないが、ある時、先輩はぽつりと「母親に最期に賞を取ったことを報告したかった・・。」と漏らした。
先輩自身は何かを期待してということではなく、単純に自分の不甲斐なさを悔いて言った言葉であったと私は確信している。
今から死に行く母親にとって、息子のそのような後悔が何でもないことはわかっていた。
だが、先輩の気持ちを思うとやりきれなかった。
私の中で何かが動いた瞬間だった。
何も考えずに学部主任の教授の部屋へ行って、こう伝えた。
「賞を辞退したい。」
「私には資格がない。実際に論文を書いた先輩が賞を受け取るべき。」
「先輩を代わりに推薦して欲しい。」
もちろん、大説教をくらった。
「賞は私事都合で決まるものではない。」
「なんと身勝手かつ不謹慎な理由だ。」
その教授は私の直接の指導教員ではなかったが、人の良さでは知られていたので、少し期待していたのだが、やはり現実は甘くなかった。
しょぼくれた私は意を決して、自分の指導教員の教授のもとへと行くことにした。
指導教員は皆から恐れられる大御所で、下手をすると研究室にいられなくなる可能性があったが、自信はあった。
私自身が教授に特別に好かれていたこともあるが、教授の癖をうまく利用する手はあると考えたからだ。
「賞を辞退したい。」
「私には資格がない。実際に論文を書いた先輩が賞を受け取るべき。」
「先輩を代わりに推薦して欲しい。」
「こんな賞はいらない。他人の論文で賞をもらうなど自分が許せない。」
「私はこの論文に全く満足できていない。」
「次の論文でもっと大きな業績を得るつもりだ。」
「私ならそれが出来ると思う。」
いろいろあって、その教授は、次のように答えてくれた。
「君らしいな。」
「わかった。あれは所詮名誉賞みたいなものだから、本当に素晴らしい研究と認められたことを意味するわけではない。」
「私の方から言っておくよ。」
むしろ最後は笑顔で私の印象がさらにアップしたくらいである。
教授に気に入られることが、どれだけ研究生活にメリットがあるかは言うまでもない。
で、この話の中で、何が言いたいか。
日本の学会なんて適当だというところではない。
(これフィクションだから)
この話を聞いて、いい話と思うか、駄目な話と思うか。
その違いだ。
「先輩も受け取っちゃだめだろ」という突っ込みを聞きたいのではない。
要するに、この話の中で誰が損をして、誰が得をしたかという話なのである。
良いとか悪いとかではないところで、人間って何ができるだろうかって話だ。
そもそも「賞」がなかったら悩みもしなかったところに、「賞」が出てくることで問題が発生したわけだ。
賞なんて食べれないものに一生懸命になってしまう。
人は善意ゆえに傷つくのだが、そこの技術は何かなのです。
これも「人間の問題」。
電車の中で45くらいのサラリーマンの男性が「はぁ?キモッ」といわれて
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/e1c768d6bd9f572604a0c5de99262323
私がAKB48批判を批判する理由 究極の理論を教えてほしい
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/5d817115b717b669bb72f14467ecbeb7
このエントリを関係者が見ないことを祈ります。
◆◆◆◆◆◆
ちなみに、その後、私が賞をとることができなかったのは言うまでもない(笑)
より正確に言うと、本気で狙いにいった研究で見事に滑った。
はっはっは。
あくまでフィクションだ。