粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

報ステ古館キャスターの捨てゼリフ

2015-04-17 17:44:37 | 反原発反日メディア

テレビ朝日「報道ステーション」の生放送中に元経済産業省出身のコメンテーターが自爆テロで政府や番組の批判をしたとき、このキャスター、ムキになって古賀氏に反論していた。しかし、昨日の番組ではこの人物特有の皮肉混じりの感想をつぶやくのが限界であった。

この夏の電力需給に関するニュースで今年の節電数値目標なしということを報じた時のことだった。

…政府は今年も節電の数値目標は設定しない方針だ。電力に余裕ができたのは、企業や個人の節電が定着してきたことも大きい。それでも政府は原発の再稼働を進めていく方針に変わりはない。菅官房長官は「老朽した火力発電所をフル稼働させたことなどの結果であり、予断を許さない状況であることは変わらない。輸入燃料費用という形で国富が流出していることも(原発の再稼働が必要な)大きな理由の一つだ」としている。

古館キャスターは菅長官の発言に敏感に反応した。特に「輸入燃料費用という形で国費が流出」「原発再稼働が必要」という部分にどうしてもナレーションの後に一言口を挟まずにはいられなかったのだろう。

「どうして再生可能エネルーを推進する選択肢はないのか」「これ(再エネ)では(原発再稼働推進派から)不安定だといわれる。でも原子力の方は不安だ」彼が「不安定」よりも「不安」の方が大問題だと言いたいことは図星だ。

しかし、さすがにそれを声を大にしていうほどの度胸はない。よくいえばテレビキャスターの分をわきまえている。結局菅長官の発言に対する不満をこんな捨てゼリフのような感想で締めくくるだけである。一息入れる間のなく番組は次の話題に変わっていく。

しかし、自分自身は古館キャスターの捨てゼリフがその後も余韻として残った。彼が言わんとしている「原発は不安」ということを実際、この番組こそ煽り続けてきたではないのか。

原発事故後も原子炉が再臨界して爆発が起こる、燃料プールが崩れ落ちて大量に核物質が放出される、福島の甲状腺がんの被害はチェルノブイリ並みの可能性、最近では鹿児島川内原発には県内のカルデラが大噴火して溶岩が押し寄せる、などなどこの番組で原発関連の「不安」報道は枚挙にいとまがない。まさに報ステは原発不安報道の宝庫といってよい。

そんな番組のキャスターから「原発の不安と比べたら、再エネの不安定の方がましだ」といった言い訳など聞きたくないし、その資格もないと思う。そもそも不安というのは個人の主観が大きく関係する。決して数値化できるものはない。その点メディアの影響力は絶大だ。原発事故以来、主要なメディアは事故での影響、特に被曝による健康被害をやたら煽ってきた。古館キャスターの捨てゼリフから「不安」が拡散されてきた。

 

樋口裁判長の曲解

2015-04-15 20:00:09 | 煽りの達人

昨日14日に福井の関西電力高浜原発3、4号機の再稼働に対して福井地方裁判所が即時差し止めの判決を下した。樋口英明裁判長はその主な理由として電力会社が原発の耐震設計で想定する最大の揺れ(基準地震動)を超す地震に2005年以降だけで福島第一など4原発が5回襲われていることを挙げ、想定そのものが信頼性を失っている」と述べた。

つまり、想定される最大の揺れ(基準値振動)の設定に関電は甘さがあり、過去に日本各地の原発でそれを超す揺れが現実に起きているというのだ。樋口裁判長は新聞の取材で入倉孝次郎教授(地震学の専門家で地震動の強さを推定する方式の提唱者が)述べたことを根拠にこの判断を下している。しかし、池田信夫氏のブログを読むと裁判長は教授の発言を曲解していると批判している。

池田氏が判決で問題があると指摘している箇所は以下の部分である。

基準地震動を超える地震はあってはならないはずである。[しかし活断層の状況から地震動の強さを推定する方式の提言者である入倉孝次郎教授は、新聞記者の取材に応じて、「基準地震動は計算で出た一番大きな揺れの値のように思われることがあるが、そうではない」「平均からずれた地震はいくらでもあり、観測そのものが間違っていることもある」と答えている。

これに対して池田氏は入倉教授自身が「裁判所は記事内容を曲解をしている」と述べている事実を指摘し、判決が教授の真意からかけ離れていることを強調している。

まず入倉氏は法廷で証言していないので、この新聞記者の伝聞には証拠能力がない。毎日新聞によれば、入倉氏は「新聞記事の内容が曲解され一部だけが引用されている。基準地震動は、私の考案した方法で算出した地震動に余裕を持たせて想定されるもので、裁判所は正しく理解していないのではないか」とコメントしている。

 入倉氏のでは、基準地震動とは「施設の寿命中に極めてまれではあるが発生する可能性のある限界的地震動」であり、「このような限界的地震動に対する安全性を達成しても、なおかつ地震によるリスクは残存する可能性があることを踏まえ、この残余のリスクを考慮して」耐震設計は行なわれる。

 つまり基準地震動とは「あってはならない地震動」ではなく、それが起こっても十分な残余リスクに耐えられるように原発は設計されているのだ。事実、仮処分決定もいうようにこれまで「四つの原発に5回にわたり想定した地震動を超える地震が2005年以後10年足らずの間に到来している」が、それによって破壊された原発は1基もない。福島第一も、基準地震動をはるかに超える地震動に耐えて停止したのだ(事故の原因は津波)。

要するに日本の原発は高浜原発を含めて、基準地振動をはるかに超える地震の揺れにも対応する耐震構造を持ち、結果的に運転が停止できる(暴発を押さえる)ようになっているのだ。そういう点で樋口裁判長の曲解は裁判官にあるまじき行為であり、非常に問題があると思う。

どうも、最初から原発は危険で再稼働許すまじの偏見に満ちているとしかいいようがない。つまり、原発にゼロリスクを要求し無限の安心を担保しようとする。最初から結論ありきの判決だ。

この裁判長は名古屋家庭裁判所に異動したようだ。池田氏は「左遷」としているが、さもありなん。しかし、こうした偏狭な裁判官が日本の裁判所に存在することは問題ではないか。上位の高等裁判所では妥当な判決が下されることを期待したい。

追記1:当初の記述に一部不正確な箇所がありましたので訂正しました。

追記2:この裁判長の曲解については、「農と島のありんくりん」というブログで詳細で明快な解説がされている。全く同意だ。それにしてもこうした放射脳裁判官、なんとかならないのだろうか、

 


張本勲の「暴言」

2015-04-13 21:31:22 | スポーツ

スポーツ解説者、張本勲氏の発言がネット上で非難囂々だ。12日のTBSテレビ「サンデーモーニング」でサッカーの三浦知良選手が最年長ゴールを更新したことを報じた。これにに対して張本氏がなんと三浦選手にずばり「引退勧告」を直言したからだ。

「カズファンには悪いけど、もうお辞めなさい」「スポーツマンとして、もう魅力もない」「野球で言えば(J2は)2軍だから、2軍で頑張ってもそんなに話題性もない」「若い選手に席を譲らないと。団体競技だから伸び盛りの若い選手が出られない。だから、もうお辞めなさい」「彼はあれほどの選手だから、(今後は)指導者としてね」「(現役に)しがみつく必要はない」

当然ながらカズあるいはサッカーを愛するファンから激しい非難がネットを中心にわき上がっている。

*「サッカーの『サ』の字も知らないアンタが言う資格はない、一生懸命頑張って結果残しているカズをけなすな」

*「張本よ三浦氏に陳謝すべき、 三浦氏は自分の信念でサッカーを行っている。張本はどの様な気持ちで言ったか判らんが、三浦氏は日本にサッカーを広めた英雄だ。

*張本勲氏はカズさんのゴールが海外でも大きな話題になったの知らないの? 大体、J2が二軍だなんてとんでもない勘違い。 今回の発言は、カズさんだけでなくJリーグでプレーする全ての選手に対する侮辱と言っても過言ではない。 若手に席を譲るべきなのは張本氏の方。

*張さんも三浦カズに辞め云うなら、中日の山本昌はどないする?…

 

自分自身、日頃この番組で張本氏が発言する内容にあまり同調できないところが多い。どこかスポーツを精神論で語る傾向が強いからだ。また今回についていえば、確かに張本氏は、J2をまるで野球の2軍のように扱っているのは大きな事実誤認だ。

しかし、それでもなぜか今回の張本氏の「暴言」に頷く自分がいる。意外と正論を吐いているのではないか、と。張本批判のなかに「中日の山本昌はどうする?」のがある。山本昌投手は三浦選手よりも1歳上の49歳。カズが48歳1月のゴールなのに対して山本は48歳4ヶ月の日本プロ野球勝利だ。わずか3ヶ月の違いだが、その意味は大分違いがあると思う。

サッカーと野球とも同じ団体競技ではあるが、野球の投手の勝利が当人の力量が大きいウエイトを占めているのに対して、サッカーのゴールはチームメートのサポートなどが大きく影響している。試合の状況にもよるが80%対10%ほどの開きがあるように思える。サッカーのゴールの際に味方の動きとともに相手チームのディフェンスやキーパーの防御の度合いが問題になる。仲間のアシストがどれだけ効果的かも重要だが、敵の対応が手薄ならば、簡単にゴールができる。

確かにマラドーナのように、自分たちのゴール付近から一人ボールを保持したまま敵の妨害をかわしながら相手方のゴールに攻め込んだことはあった。しかし、天才によって引き起こされた「奇跡」であって、普通のプロの試合ではあり得ない話である。一方、野球の投手の勝利は個人の力量が充実していれば十分可能だ。つまり野球の投手というのは団体戦とはいいながら、個スポーツの性格を十分兼ねているいえる。

個人スポーツならば、他人から年齢のことをとやかく言われても他の選手よりも成績が上であるとか、相手に勝つという結果であれば、選手生活を続ける資格はある。しかし、団体スポーツの場合は嘗ての名選手であって年齢的のわりに元気でもそれだけでは勤まらない。確かに三浦知良選手は2005年の秋にJ2の横浜FCに入団して目覚ましい活躍を見せて2年後チームをJ1に昇格させた。しかし、それもわずか1年で再びJ2に降格してその後チームは低迷している。

チームにとってはもちろんトップリーグのJ1に定着してサポーターの期待に応えることが至上命題のはずだ。カズの最年長ゴールもサポーターを喜ばせるだろうが、そちらだけが話題として先行するならば本末転倒といわざるを得ない。メディアが三浦選手のプレイだけを注目するようではチームの他の選手は正直と惑ってしまうのではないか。「カズさんがゴールするためにボールをうまく回す」ことに他の選手が気を使うとしたらチームとして最悪である。「試合に勝つ」という本来の目的が疎かにならないか。

三浦選手がいくら頑張っても往年の勢いでゴールに攻め込むのはもはや難しい。10年前の横浜FC入団当時の得点力は既になく48歳の年齢の衰えは如何ともしがたい。「自分の信念でサッカーを行っている」(ファンの声)のは普通はすばらしいことかもしれないが、それが空回りしてチームが低迷するとしたらその代償は侮りがたいといわざるを得ない。


ワシントンの桜は韓国が原木?

2015-04-12 13:18:56 | 厄介な隣国

現在、米国ワシントンDCポトマック河畔の桜が満開を迎えているが、この季節になると韓国のメディアではとんでもないデマが話題に上る。今年あるジャーナリストが、ワシントンの桜は昔日本の移植がうまくいかず、韓国済州島の桜が結果的に植樹された、といった珍説を披露したようだ。

ワシントンの桜は1912年に日米友好のために東京市長より荒川堤の桜が植えられたことは確かだ。明治初期に江戸の植木職人による交配で誕生したソメイヨシノが原産である。しかし、以前から日本の桜は秀吉治世下の文禄の役で日本軍が持ち帰ったということが韓国メディアで盛んに吹聴されていた。

このソメイヨシノの話は、韓国でよく登場する韓国起源説、いわゆる「ウリジナル」の一つにすぎない。柔道、剣道、生け花、果ては寿司に至るまで日本の独特の文化伝統をすべて韓国の起源にしてしまう悪しき国民性といえる。米国農務省でもワシントンの桜に対する韓国側の言いがかりに業を煮やしたとみえて、米国の桜をDNA判定したようだ。当然、日本のソメイヨシノと同類であり韓国の桜とは全く別物だということがわかったという。

ことほど左様に韓国は日本伝統の文化の細部にわたり、特に世界に流布しているものに対して異常ともいえる競争心を燃やしている。ウィキペディアによれば、これは韓国人の日本人への劣等感の現れだと指摘している。そして韓国起源を主張するときに、あるとんでもない正当化の論理をもちだすともいう。すなわち、日韓併合の時代に日帝が日本文化が韓国起源であるとするオリジナルを全て抹消してしまった。結果的に多くが韓国発祥の証拠が失われて日本起源を喧伝された、というものだ。

これが韓国では現在教育で徹底して教えられている。表向きの日本統治の屈辱以上に根拠のんし文化破壊に対して、韓国人が憎悪を持っているとしたら、これは由々しき話といえる。これが、ワシントンの桜のように日本と他国の関係に難癖とつける場合は、横から友好を害する行為である。米国西部に設置された慰安婦像はその延長である、ここまでくれば日米友好への破壊工作といってよい。

国民の劣等感がいつしかひがみ根性へと増幅していく。韓国人に満開の桜を愛でる心の余裕は期待できないのであろうか。

 

祝「龍柱」建設中止

2015-04-09 21:12:07 | 沖縄の虚像と実像

自分のブログでも昨年(7月20日)取り上げた沖縄那覇市の龍柱建設問題、意外にもこれが中止の方向のようだ。現在の翁長雄志沖縄県知事が4年前に那覇市長であった頃に計画されたもので、市内海岸部の幹線道路の両脇に高さ15メートル直径3メートルの大きな龍柱を2本立てるというものだった。

総事業費2億6千7百万円のうち8割は国からの一括交付金を利用するというものだが、必要以上に経費が多額であるという批判もさることながら、その発注を那覇市の友好都市である中国の福州市の業者に依頼していることにも疑念がもたれていた。

龍は古来中国皇帝の象徴であり、わざわざその柱の建設のために国の予多額の税金を中国人業者に払う価値はあるのか。(半額以下の工賃で済むという専門家の指摘がある)また市の計画内容は全くといってよいほど名は市民に開示されていず、建設目的が不明瞭である。

24年25年度では建設のための予算はなぜかわずかであり、26年度になって急に8千万円が交付金に充てられることになった。しかし未執行分があり、那覇市は27年度への繰り越しを申請していたが今年3月下旬にそれを取り下げたという。今年度市の単独予算だけで事業を継続する可能性はあるが、実際は困難と見られる。

それだけ、この計画そのものが不透明であり市民の理解が得られていないということだ。龍柱は翁長市長の悪しき置き土産とってよく、彼の後継市長もその扱いには苦慮したのに違いない。あるいは、現知事にとっても、過去の汚点として批判されることで県政に傷がつくことを心配して現市長に裏から建設中止を指示したのかもしれない。

一方で翁長知事は辺野古「新基地」反対を声高に主張して激しい政府非難を繰り返している。自分の立てた計画は市民の反発を気にしてこっそり中止するのに、敢えて「県民の民意」なるものを振りかざして政府を攻撃する。このご都合主義はどんなものだろう。

まだ確定とはいえないが、それでも龍柱そのものが那覇市に中止の方向であることは歓迎すべきだ。専門家の話では龍柱があることは、そこが中国の境界線であることを意味するという。そんな疑念がとりあえず解消されることは結構なことだ。

翁長知事は以前から中国との深い関係が取りざたされている。中国による尖閣諸島領海侵犯で彼が中国を批判したという話を聞いたことはない。自分の県の深刻な話なのに。中国は昨年の知事選では翁長氏が不利にならないように期間中は尖閣への侵犯を控えたといわれる。もっぱら東京都小笠原へのサンゴ密猟に専念していた。

今月にはあの河野洋平元官房長官らと中国を訪問するという。中国と沖縄の観光拡大が目的とされるが、どうも嫌な感じがする。接触するかもしれない習近平国家主席に「龍柱が立てられないで済みません」とはまさか詫びたりはしないだろうか。そのかわり中国の日本侵犯で新たな片棒を担ぐ密約を交わしたりするなんてことは…。