粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

樋口裁判長の曲解

2015-04-15 20:00:09 | 煽りの達人

昨日14日に福井の関西電力高浜原発3、4号機の再稼働に対して福井地方裁判所が即時差し止めの判決を下した。樋口英明裁判長はその主な理由として電力会社が原発の耐震設計で想定する最大の揺れ(基準地震動)を超す地震に2005年以降だけで福島第一など4原発が5回襲われていることを挙げ、想定そのものが信頼性を失っている」と述べた。

つまり、想定される最大の揺れ(基準値振動)の設定に関電は甘さがあり、過去に日本各地の原発でそれを超す揺れが現実に起きているというのだ。樋口裁判長は新聞の取材で入倉孝次郎教授(地震学の専門家で地震動の強さを推定する方式の提唱者が)述べたことを根拠にこの判断を下している。しかし、池田信夫氏のブログを読むと裁判長は教授の発言を曲解していると批判している。

池田氏が判決で問題があると指摘している箇所は以下の部分である。

基準地震動を超える地震はあってはならないはずである。[しかし活断層の状況から地震動の強さを推定する方式の提言者である入倉孝次郎教授は、新聞記者の取材に応じて、「基準地震動は計算で出た一番大きな揺れの値のように思われることがあるが、そうではない」「平均からずれた地震はいくらでもあり、観測そのものが間違っていることもある」と答えている。

これに対して池田氏は入倉教授自身が「裁判所は記事内容を曲解をしている」と述べている事実を指摘し、判決が教授の真意からかけ離れていることを強調している。

まず入倉氏は法廷で証言していないので、この新聞記者の伝聞には証拠能力がない。毎日新聞によれば、入倉氏は「新聞記事の内容が曲解され一部だけが引用されている。基準地震動は、私の考案した方法で算出した地震動に余裕を持たせて想定されるもので、裁判所は正しく理解していないのではないか」とコメントしている。

 入倉氏のでは、基準地震動とは「施設の寿命中に極めてまれではあるが発生する可能性のある限界的地震動」であり、「このような限界的地震動に対する安全性を達成しても、なおかつ地震によるリスクは残存する可能性があることを踏まえ、この残余のリスクを考慮して」耐震設計は行なわれる。

 つまり基準地震動とは「あってはならない地震動」ではなく、それが起こっても十分な残余リスクに耐えられるように原発は設計されているのだ。事実、仮処分決定もいうようにこれまで「四つの原発に5回にわたり想定した地震動を超える地震が2005年以後10年足らずの間に到来している」が、それによって破壊された原発は1基もない。福島第一も、基準地震動をはるかに超える地震動に耐えて停止したのだ(事故の原因は津波)。

要するに日本の原発は高浜原発を含めて、基準地振動をはるかに超える地震の揺れにも対応する耐震構造を持ち、結果的に運転が停止できる(暴発を押さえる)ようになっているのだ。そういう点で樋口裁判長の曲解は裁判官にあるまじき行為であり、非常に問題があると思う。

どうも、最初から原発は危険で再稼働許すまじの偏見に満ちているとしかいいようがない。つまり、原発にゼロリスクを要求し無限の安心を担保しようとする。最初から結論ありきの判決だ。

この裁判長は名古屋家庭裁判所に異動したようだ。池田氏は「左遷」としているが、さもありなん。しかし、こうした偏狭な裁判官が日本の裁判所に存在することは問題ではないか。上位の高等裁判所では妥当な判決が下されることを期待したい。

追記1:当初の記述に一部不正確な箇所がありましたので訂正しました。

追記2:この裁判長の曲解については、「農と島のありんくりん」というブログで詳細で明快な解説がされている。全く同意だ。それにしてもこうした放射脳裁判官、なんとかならないのだろうか、