粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

三味線が奏でる秋の虫の音

2015-04-29 11:48:24 | 音楽

最近パソコンでラジオを聞くことが多い。いわゆるradikoと呼ばれるネット放送が主だが、これはNHKを除く地域の民放である。NHKの場合は「らじる★らじる」というネットラジオで聞くことができる。自分自身、らじる★らじる」NHKFMでクラシック音楽を聴くことが多い。

ところでこのネットラジオのホームページを見ると「過去の放送」という欄外のコーナーがあり、過去に放送した一部の番組をいつでも聞くことができる。そのなかで「高校講座」というのがあって、NHKが毎週放送している高校性向けの通信教育の授業を自由に受けることができる。

40年以上前の学生気分で、なぜか授業を覗いてみたくなって、まず「音楽1」のジャンルをクリックしてみた。今週放送されている講座を聞いたらとても驚いた。。音楽の授業だから、主に西洋音楽の基礎的なものかと思ったら日本伝統の音楽についての話題だった。第3回「身のまわりの音を取り込む~日本の音」というテーマだ。これが予想外に面白かった。内容として下記のような解説がある。

自然音や生活音など、私たちの身のまわりの音と日本の音楽がどうつながっているのかを、おもに江戸時代に生まれた音楽から探ります。歌舞伎で情景描写に使われる音や、身近な音を三味線や箏の音楽に取り入れて洗練した表現の例を聴き、古い時代の身のまわりの音が、今も日本の音楽の中に生き続けていることを考えます。

放送ではまず雷雨の音、そして隅田川を船が行き交う際の波の音が、歌舞伎でどのように表現されいるかが紹介される。また雪がしんしんと降る情景や幽霊や怨霊が現れる様子など普通は音にならないものも、三味線や太鼓を使った歌舞伎特有の表現で巧みに奏でている。もちろん、写実性とはほど遠いが、だんだん聞いているうちになぜか情景がリアルに想起されてくるから不思議だ。

さらに「秋色種」(あきいろぐさ)という長唄の中の「虫の合方」という曲を聞いてその表現力に圧倒された。長唄とは「唄と三味線からなる歌舞伎には欠かせない音楽」だが、ここでは冒頭と最後に唄がはいるだけでほとんどは三味線のみの演奏だ。秋の松虫が、賑やかに鳴き散らす様子が生き生きと奏でられている。最後に「楽しき」と唄が入るように聴いていてうきうきさせる音楽だ。そのリズミカルかつ躍動的でしかもユーモラスの感じが、三味線だけで表現されているところに成熟し洗練された日本の伝統音楽のレベルの高さを感じる。

この曲は、江戸時代に大名の新築祝いの際に演奏されたようだが、果たして現在の大企業が自社ビルの落成式にこうしたお祝い用の音楽が演奏されるだろうか。そう考えると江戸時代の文化水準は現代人が想像する以上に高かったといえるのではないか。

一昨年日本の和食がユネスコの無形文化遺産として登録された。しかし、日本の伝統文化は和食に留まらず、こうした音楽もそれに匹敵するのではないかと思う。食事や音楽はとも日本の風土と密接に結びついている。そこには四季の移り変わりが日本人の感性を磨いたともいえる。今年は夏の蝉や秋の松虫の鳴き声が特別待ちこがれる。どんな三味線の音色を楽しませてくれるだろうか。