粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

ケテルビー「ペルシャの市場にて」

2015-04-05 17:25:58 | 音楽

クラシックの入門曲としてこの曲「ペルシャの市場にて」はよく演奏される。1920年にイギリスのケテルビーが作曲した代表曲でペルシャの市場の情景を音楽で描写したとても楽しい曲だ。シルクロードに点在するオアシスでの人々の様子が生き生きと描かれている。

出入りするラクダの隊商、物乞いたちの叫び声、一転して部族長の妃を乗せた荷籠の行列、あるいは市場での曲芸の様子など様々の情景が臨場感をもって迫ってくる。特に優美でのどかな妃たちの行進は、その美しく華麗な様が想像されて思わず聞き入ってしまう。反面、隊商の行進や曲芸人の披露は賑やかさや躍動感を感じさせ、妃の静かな行進とくっきりとした対象を印象づける。

そういえば、35年前に大ヒットした久保田早紀の「異邦人」のイントロはこの曲の冒頭のメロディーを連想させる。「異邦人」は家電メーカーのCMで流れていたが、CMで映し出されるシーンはちょうど中東の市場で、おそらくこのクラシック曲がモチーフになっているのではないかと思う。

それはともかくこの曲は、古代より延々と続くシルクロードの市場における日常が描かれていて、これこそ中東世界の原風景ではないかと察せられる。そこには、様々な民族や宗教、文化が交錯する世界がある。同時に通商という共通の目的で共存できる寛容さも感じられる。

そんなのどかなオアシスと思われる地域が今、混乱を深めているのはとても悲しいことだ。当地の主流であるイスラム教は異教には極めて寛大であった。あるいはスンニー派とシーア派の深刻な対立もなかった。砂漠から生まれた宗教とはいっても土俗化して素朴で日常的な規範となっていた。

アルカイダやイスラム国などの過激原理主義は本来のイスラム教とは異質なカルト宗教だと思う。はやくこうしたカルトが排除され従来の平穏な中東世界に戻ってほしいと願わずにはいられない。それこそ、こんなオアシスの市場のようにおだやかだが活気と人間味にあふれた世界を。