粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

国益優先の国際社会

2011-12-12 12:42:20 | 国際時事

地球温暖化防止の国際協力の枠組みを話し合う「第17回国連気候変動枠組条約締結の国際会議」いわゆるCOP17が一応の合意をみたが、内容は非常に緩いものだ。新しい枠組みの実効を2020年を「目処」にするだけでまだ具体的な中身は一切決まっていない。

要するに今回のCOP17も国益のぶつかり合いで特に経済的力関係が影響している。たとえば中国の場合、経済成長をしなければ国の統制が保てない厳しい現実がある。国際政治の上ではさらに軍事的な力学が加わる。

国連の安保理事会も常任理事国の意向だけで結局決まってしまうのが実情だ。日本の左翼勢力がよく「アメリカの隷属から脱却して国連第一主義でいくべき」と主張するが、国連の実態を理解しているだろうか。少しおめでたい人々ではないかと思う。

国連での国益優先の実態を象徴するものとして思い出すのは6年前日本、ドイツ、インド、ブラジル4カ国が共同して常任理事国入り」を提案をしたことがあった。しかしこれらの近隣諸国が揃って反対した。ドイツはイタリアが、インドはパキスタンが、ブラジルはアルゼンチンが反対した。日本は北朝鮮はもちろんだが中国そしてなんと韓国までが反対した。日本に関しては特に「日本が先の戦争の反省をしていない」という不可解なものであった。しかし要は日本の常任理事国入りで自国の国連での影響力が相対的に下がるのを恐れる自己的なものに過ぎない。

どうしても近隣諸国同志では利害が対立するものだ。これは地政学的な宿命といえるだろう。結局軍事的にあるいは経済的に優位に立って隣国を隷属させようとする力学が働く。以前鳩山元首相がアメリカと中国を対等の関係で築こうとして結局破綻した。彼は日本を完全な中立国にしようと考えていたのだろうか。思うにそんな中立国はありえないだろう。そのためには日本が軍事的にも経済的にも圧倒的に他国に対し優位に立っていなければありえない。それを考えると今はアメリカと同盟関係を維持するのが現実的だと考える。

ただアメリカとて結局は自国の国益で動いていいることは忘れてはいけない。日本の国益とアメリカのそれが大方のところで一致しているのに過ぎないことは認識すべきだろう。その証拠に日本の常任理事国入りに対してアメリカは当初賛成のそぶりを見せたが、いざ採決に進もうとしたときに協力せず結局梯子を外されてしまった。今回のCOP17の前提となる京都議定書にも不参加を決め日本を裏切った事実を忘れてはならないだろう。