粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

冬に聴きたいヴィヴァルディ「四季」

2011-12-11 12:02:27 | 音楽

12月に入れば街はクリスマスの電飾で夜が彩られる。この時期になると人の優しさ、ぬくもりが自然に恋しくなる。特に今年は大震災の災難でさらにその想いを強くする。この季節になると特に聴きたくなる曲がある。イタリアのクラシック作曲家ヴィヴァルディ(1678~1741)の「四季」だ。これはそれぞれの季節を音楽で描写したヴァイオリン協奏曲(各季節3曲計12曲)だ。特に春の第1楽章はクラシックをよく知らない人でも一度は聴いたことがあるほどあまりにも有名だ。春にこの有名楽章を聴くと春の訪れに心も浮き浮きして自分も大好きだ。でも冬(イ・ムジチ合奏団演奏)ともなると第2楽章(動画3分20秒辺りから)が魅力たっぷりだ。ヴィヴァルディはこの曲を当時の詩から楽想を得ている。「外は大雨が降っている、中で暖炉で満足そうに休息。ゆっくりしたテンポで平和な時間が流れる。」がその内容だ。

「冬第2楽章」を聴くと、厳しい外の寒さから逃れて暖かい部屋で憩いのひとときを送る家族のぬくもりが忍ばれる。あるいは一人でいると人恋しさにたまらなくなる。「冬第2楽章」は「春第1楽章」の次に親しまれている曲だが、自分自身こちらの方が好きだ。

ヴィヴァルディの四季はクラシックの「入門曲」のひとつとして必ず挙げられる。ただクラシックの通を自称する人からは「曲が外面的で深みに欠ける」と評価も今イチだ。しかし自分はそんな堅苦しい評価は不要だと考える。曲を聴いて美しく感じ心に染みればよいのではないかと思う。