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思い出のノーサイド

カメラがつなぐパス ラグビーを撮り続けて

ホームグラウンド

2006-07-10 19:40:12 | ラグビー・思い出話

雪のラグビー場

札幌月寒ラグビー場が家から近かった事で、救われました。

弟が卒業して競技から離れてしまっても 撮りに行くことができたからです。

はまなす国体の会場となったラグビー場は、完成して間もない状態。

ここで撮りなさいと 言われているような気がしました。

入り口に置かれた飾り棚つきのガラスケースには

国体のページを開いた雑誌だけが立てかけてありました。

このケースがたくさんのチームの思い出の品で埋まれば 

私も上手になれるかもと、足を運んでいました。

 その頃は今のようにインターネットも普及しておらず

いつどんな試合があるのかもわからず 、その疑問を誰に聞いたらよいのかも悩んでいて。

新聞と雑誌が情報の供給源。そして外出途中メインスタンドに 人がいるのを見て

「今日は試合がある。」と予定変更。 カメラを持ち出て行くこともありました。

 

撮った作品は所属する北海道支部の公募にも出品。

 チーム宛に送ってお礼の手紙や電話をもらえたりして

 嬉しかったです。試合後に感動を語れる人もいない

自分に お友達ができた気分でした。 でもこの時点では個展は夢の一つ。

いつかできれば良いものでした。 このあと思いもよらない失業が

私を個展へ走らせました。


思い出のノーサイド 月寒競技場に足を運んで

2006-07-09 18:15:12 | ポエム・ひとこと

肖像権の関係で作品をお見せできないのが残念です。

言葉から情景を思い浮かべてみてください。

94年 阿部典子写真展 札幌市中央区 札幌市写真ライブラリー

 

雪の競技場 春 やわらいだ陽ざしが シーズンへの時を刻む

90.6.24 日本代表 VS 関東代表 ジャパンが初めて来た日

 FB細川選手のP・G

91.7.6 ワールドカップ出場強化試合 

日本代表 VS プレジデント15 試合前のコミュニュケーション

キックオフ

SO松尾選手からWTB吉田選手へパス

WTB吉田選手の突進

接戦ラインアウト

SH村田選手の突進 ナイスタックル

91.9.29 関東大学対抗戦  明治大学 VS 東京大学 走る明大フィフティーン

キックオフ 

突進

ナイスキャッチ

光のパスアウト

戦い終えて

92.5.31 早稲田大学 VS 明治大学 五本の旗 

静から動へ

サイドをつくSH永友選手 

SO谷選手へ トライ!

明治の猛攻 

早稲田の反撃

ラン・パス

宙を舞うボール 

地をはうボール

ナイスタックル

明暗を分けたスコア

まほうの水 芝生にもあげよう

92.9.20 関東大学対抗戦 早稲田大学 VS 東京大学 雨あがりに 

モールの中で

水しぶきをあげて

突進

空気の澄んだ競技場

やわらかな芝生に

さまざまな色のジャージが溶けてゆく

楕円球を巡って

93.6.6 関東学院大学

93.9.5 9.12 東日本社会人リーグ 伊勢丹 NEC サントリー 東芝府中

 NO・SIDE

心地よい風が吹き

私はここで 季節をくり返す


原点

2006-07-09 18:05:41 | ラグビー・思い出話

撮影・個展活動を通じてできたつながりで、 写真・文章の掲載、

発言させていただける機会に 恵まれました。

自分でもスポーツとしてのラグビーの魅力を伝えるべく

作品を撮り続けてきたわけですが、 お声をかけてくださった皆さんに

お礼申し上げます。 ありがとうございます。 ラグビーを本格的に撮り始めたのは

25歳からですが、 実年齢より外見が若く見られたようで、

予想外の言葉を言われ 落ち込む時期もありました。

メディア関係者やプロであれば、見下されもしないのでしょうが

アマチュアで女性であったための風当たりは強かったです。

カメラ=追っかけという単純な発想を持つ方が多くて

私は作品作りがしたいのに・・・。と心の中で いつも思っていました。

 

さて良き思い出をひとつ。 93年札幌月寒ラグビー場にて開催された

東日本社会人リーグでは (トップリーグの前身・以前は社会人のリーグ戦が

東日本・ 西日本・九州に分かれていた)

私は初めて北海道ラグビーフットボール協会の 腕章をつけて撮影をしました。

間近で見た強豪社会人。 迫力に圧倒され、すごいものを見てしまったと思いました。

心臓が爆発しそうになりながら(笑)高校生の時愛用していた

「KIYOTA写真部」の腕章を思い出して とても嬉しかったです。

それまでメインスタンドが主な撮影ポジションだったので

特別に許可してくださった北海道協会の方に感謝です。

 

写真展を認めてほしくて大量の作品を持ち込み

計画案を聞いていただいたこともそうですが、アマチュアリズムがラグビーの大原則。

「お金を得る」「名声を利用する」「商業主義」 すべて否定されていた時代に

何も実績がないアマチュアの自分を信じていただいて。 長い間撮影を続けていて

良かったと思いました。 写真展会場をさがす時も、メーカー名がなく公共性が

強いギャラリーを考えて札幌市写真ライブラリーの選択。

大きな会場でひと苦労でしたけれど。そこでエピソードをもう一つ。

 

高校3年生の時、野球部の全校応援を撮影する機会に 恵まれました。

そこで私は担任の先生に申し出ました。

 「先生、お願いがあります。野球部の写真を撮るので

皆より早く行って準備します。スタンドで腕章つけて 撮っているから

見ればわかると思います。その時自分の出欠を確認してください。」と。

ずうずうしくも許可をいただきました。 この時の野球部は札幌支部では強く

何度か全校応援になり友達と二人ピッチに面した記者席から

撮影させていただいたこともあります。

普通であれば関係者以外立ち入り禁止の張り紙がしてある 記者席の扉。

猛暑で開け放たれていたのを偶然に見つけ、中にいる記者の方にお願いしたのです。

「写真部の者ですが、ここで撮影しても良いですか。ご迷惑はおかけしませんから。」

私はキャノンF-1、友達はコンタックスRTS。 プロが使う最高級機種を見て

「すごいカメラ持ってるね。 女の子なのに珍しいね。頑張って撮りなさい。」

快く接してくださったことで、私達は違うアングルから 撮る事が出来ました。

自動巻き上げもなく ピントも自分で合わせるマニュアルタイプのカメラで

よく恥ずかしくもなく話しかけられたと思います。 未熟な高校生でした。

 

その後私が撮った写真は、生徒会機関誌「双陵」の扉になり

全校生徒に配布されましたが、なぜかプレーではなくスタンドで 応援する仲間を

捉えた写真が掲載されました。 生徒の気持ちが一つになった場面を選んだ

生徒会の先生は 見る目が確かで、良く推せんしていただいたと思っています。

 「機関誌に載せる。学校祭で発表する。皆に感動してもらう。

そのための良い写真。だから近づく。」

自分の原点はそこから始まっていたのかもしれません。

もちろんカメラは自分で買ったものです。

ただし父親のペンタックスSPを下取りに出してもらって

高校1年の修学旅行前に 調達しました(笑)。


はじめまして

2006-07-06 19:53:37 | ラグビー・思い出話

つきつきの芝生にラッキーバウンド

弟に頼まれて撮り始めたラグビーが、今ではライフワークと なっています。

高校一年から写真部の活動をしてきた私が、

なぜこのスポー ツ写真にのめりこんでしまったのか不思議です。

94年の初個展以来、写真展会場では作品について、

ラグビー について多くの方たちとお話を楽しんできましたが、

日々 自分の気持ちを文章で伝える場所が欲しくなり

ブログを 開設しました。私が住む北海道ではシーズンが短く、

カメラを持たずに過ごし てしまった年月のほうが多い気がします。

それでも札幌のギャラリーで3度、 東京のギャラリーで2度、

豊平区民センターで1度、 月寒ラグビー場正面で2度の個展をして

出身校の札幌清田高校体育館で 講演できる機会にも恵まれました。

今まで共感しサポートしていただいた方たちに 心から感謝しています。

 

高校時代から今までの様々な思い出、人、感じたこと。

時々は競技から離れてとりとめもないことを

書いてしまうかもしれないけれど・・・。

つたない文章のパス。

一方通行の思いを受けとめてくれたら 嬉しいです。

どうぞよろしくお願いします。


感動を伝えるために

2006-07-06 19:51:30 | ポエム・ひとこと

写真とは言葉なしにすべてを表現できる 静止映像のような気がします。

でもそこに添えられた思い入れある一言が

作品の感動をより大きくしてくれることもあると思います。

 

私は美しい言葉、素直な言葉、温かい言葉が

作品を包み込むような写真展を目指しています。

「思い出のノーサイド」シリーズを進めるにあたり

様々な作品に言葉を組み合わせてきました。

次回から追って掲載します。 写真は肖像権の都合により載せられませんが

思いをめぐらせたポエムに 情景を思い浮かべていただけると幸いです。

 

89年から追い求めたラグビーの写真は あと3年で20周年を迎えます。

昔からの作品をすべて並べた写真展ができるよう 頑張りたいものです。