思い出のノーサイド

カメラがつなぐパス ラグビーを撮り続けて

3/11東日本大震災から10年

2021-03-11 20:47:28 | ラグビー・思い出話
10年前の震災。3月に入りテレビ局が様々な特集番組を放送、現地の方の思いを見ていました。
地震と津波は年月が過ぎても忘れない災害。でも前を向き日常を過ごしている姿に心打たれて
自分も新しい春に歩き出せたらと画像を編集する日が続きます。

当時の自分は「お金より物資。」と考え、交通機関が復旧したのを確認。
ラグビーを通じて交流があった現地の方に送りました。
2011年はラグビーワールドカップニュージーランド大会があった年。でも自分は
日本写真家協会の会員になったら取材に行くと決めて、撮影経費を考えておらず
北海道米、お水、お菓子、など日持ちする食品を中心に詰めました。

「かえって迷惑かな?自己満足にならないかな?無事なのかな?」

その後メールや電話をいただいた時には「助かっていて良かった。」
胸をなでおろしたのを覚えています。

今年2月地震があり、定点カメラが仙台空港の停電を映し出した時は「えー!」
その次の言葉がなく、寝付けず。北海道のブラックアウトも思い出しました。

私が住む豊平区も月寒断層があり、「冬場の直下型なら5000人死亡。」
3/11付け北海道新聞朝刊に載りました。
比較的高い位置にある豊平区は、地下に眠れるナマズが潜んでいると思えばこわいですね。
今はコロナウイルスも心配しなければならず、平穏を祈るだけです。

「3.11」その日何が起きたのか、数字の並びを生涯忘れることはありません。
震災で亡くなられた方々のご冥福と10年の経過に札幌から合掌します。



3月6日 帰りの便を待つ間 羽田空港の様子です


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