心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

「お正月に飾る書」

2007-12-12 | 年賀状・お正月
                

昨日は、某カルチャースクールで先月開催した年賀状教室に続き、
お正月に飾る書と題した一日教室を開催。

今回は100円ショップの素材を利用して、色紙、はがきにおめでたい一字を書いて
玄関やテレビの上あたりに飾りませんか~いうもの。

左のは竹の枠の額を利用。赤と金の和紙でアクセントをつけて。

真ん中のは杉の板切れに、同じく和紙でアクセントをつけて、これも
105円の造花の梅の花をあしらって。

右のは天ぷらをのせる籠(取っ手部分は立体的になる)を平面的に利用して、
和紙のコースターに福と書いて、バックは千代紙。

今どきは、ちょっとしたお正月飾りは100金で・・なんてことも。。
確かに何となく可愛かったり、コンパクトで便利ではあるけれど、せめてこんな風に
アレンジして楽しんでみてはいかがでせう。

たった一文字の筆文字があるだけで、和のお正月を演出できます。



まずは半紙に書きたい文字の練習。
福・壽・楽・喜・悦・夢・望・翔・吉・・などなど。
初めは遠慮して小さくて細かった文字も、おめでたいイメージでふくよかに~の
一声でイメージが膨らんだのか、皆さんあれこれ書きまくり。。
机の上はもうすごいことに・・

最後に100金の簾を利用して、色紙に書いた作品を赤や金の和紙とアレンジして
思い思いの作品が完成。

地元のタウン誌の方が取材に来て下さり、みんなで作品と共に記念写真を撮り、
今回も和やかで楽しい教室となりました。

ありがとうございました~。

次回は1月、書初め大会を計画中です。
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色の性格・人の性格

2007-12-11 | つれづれ


色で性格判断なんて本があるの知ってます?

好きな色によって、ある程度の性格がわかるらしいです。 
たとえば・・
赤が好きな人は情熱的で行動的。
青が好きな人は冷静で真面目、人からの信頼が厚く。
黒が好きな人はあまり自分を見せたがらず、紫が好きな人は感受性が鋭く芸術家肌。
緑が好きな人は平和主義で安定を求め、黄色が好きな人は前向きで元気・・・とか。

色についてあれこれ調べだすと、面白いことがたくさんたくさん。
逆に、色にも性格があるということがわかってくる。

暖かい色、寒い色、興奮する色、落ち着く色、主役の色、相手を引き立てる色、
危険を知らせる色、孤独を感じる色、優しさを感じる色・・・
単色と、それに組み合わせてできる色の世界はまた無限。

私達の生活の中は色がたくさん。
そして色から無意識に様々なイメージやメッセージを受け取っているんですよね。

たとえば、風邪薬のパッケージはだいたいがオレンジ系=あったかい系。
目薬や湿布はブルー系=すっきり系。
これが逆だったら、何となく買わないのかなぁ・・・?

ちょっと前に流行ったオーラソーマ・カラー心理診断(←クリック)ってご存知ですか?

たくさんの2色のボトルの中から、直感で気になった色のボトルを4つ選ぶだけで、
性格や今後の人生に必要なアドバイスを得られるというもの。
これ、結構当たってる気がします。 簡単だから、ぜひ~。

私が一番好きな色は、前は断然黄色だったけれど、今は日本画の色でいうと花白緑かな。
写真のまわりの枠の色に近い色。
もうちょっと薄いブルーがかった、南の島の海の色のような。

さて、その色が好きな私の性格はどうなんでしょうね。。
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からすだってほんとは一緒に遊びたい

2007-12-10 | つれづれ


からすを嫌いな人はいても、好きだって言う人は少ないでしょう。

色が黒いから?
大きくて怖いから?
頭が良くて、ゴミを荒らしたり人を襲ったりするから?

もしからすが、七色の羽を持っていたら。
もしからすが、かぁ~ではなくて、きゅ~んって鳴いたら。
もしからすが、人間の言うことを理解して犬のように従順だったら。

もしかしたら、からすだって本当は仲良くしたいのかも知れない。

確かに間近で見ると、予想外に大きくて黒光りしていて獰猛な印象は
否めないけれど、よく見ると目は優しそうで、話せばわかるような顔をしている。
鳴き声もそれぞれ個性があって、不器用そうなの、人懐こいのと色々。

つまりは一方の思い込みや勝手な都合次第で、その関係は決まってしまう
怖さがあるってこと。
せっかくこの地球に同じように生きるものとして、それは申し訳ない気がする。

人間だけの住みやすさを求めていて、いいんだろうか。。
人間が一番、一人では生きて行けない生き物なのに。

フランスの哲学者ヴォルテールの有名なことば・・
「私はあなたの言うことには反対だ。だがあなたがそれを言う権利を私は
命にかけて守る」

そんな風に一人一人が、凛として思えたら。
意見が違うから「はい、さようなら」としていたら、大事なものを守れなくなる。

大事なもの・・。
たくさんありすぎて、どこから手をつけたらいいのかと、ため息が出てしまう。
でも、結局何も手をつけず文句を言うばかり・・なんて、嫌われ者のからすより
寂しい気がする。

嫌われているなんて気にしないで、たくましく生きているからすに出会うたび、
心を揺り動かされている。

私だってほんとはからすと一緒に遊んでみたい。


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響く

2007-12-09 | つれづれ


最近ずっと忙しくて、いつも同じCDばかりを何となくかけていた。
疲労ぎみの心にはちょうどいい、静かでゆったりとしたお気に入りのCDではあるけど、
今日は体が欲したって感じで、久々にNina Simone(←クリック:視聴できます)を聴いた。

自然と目を閉じて、深呼吸してしまう。
その歌声が、ドキドキと胸の奥の奥に響いてきて、その響きが血液の流れと一緒に
体中に染み込んでくるのを感じる。。

はぁ。。。いいなぁ。。。 ため息。ため息。




彼女の歌のような人に出会いたい。
おおらかで愛に溢れていて、切なくて儚くて、可愛くて愉快で、強くて自由で
飾らず堂々としていて、生命力溢れるような・・・。

異国の会ったこともないたった一人の人間が、たまたまCDショップの視聴コーナーで
見つけた1480円の1枚のCDから、たくさんの「響き」を頂いている。

2003年4月21日、彼女は天に召されたけれど、今もこうして誰かの心を響かせ、
元気や勇気を分けてもらっていますよって、心の中で囁きながら聴いている。

音楽には叶わないって、いつも思う。ちっぽけな自信も失う程に。。

そんな時、昨日テレビのドキュメンタリー番組で。
それはイギリスのある高校で、全くの素人だった学生達にコーラスを教え、
世界大会まで連れて行った、指揮者の先生と生徒との9ヶ月間を追ったものだった。

先生の一言。
何かに「一生懸命」は、人を感動させることができるんだ。

感動・・それは、与えるものじゃなくて、響きあうことのような気がする。
だから、誰にでもその可能性はあるってこと。

生きるって響き合い。
どこかで・・たとえ会うこともない誰かであっても、響き合いたいものです。



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変わらないは変わらないままで

2007-12-08 | つれづれ


小学校の頃、本が大好きだった。

小3の頃担任だったT先生は文学青年だったらしく、よく私達に本を読ませ
感想文や作文を書かせていた。

たぶんそのお蔭で高校生の頃から日記というか、ひとりごとノートみたいのをずっと
書いていて、本棚のどこかを探せばたぶん20冊位はあるかな。。

大人になってからは書いていない時期もあるけれど、時々めくってみると
自分がちっとも変わってないことに、苦笑いしちゃう。

好きな作家、詩人、音楽、ことば。
興味のあること、場所、そしてこんな風でありたいとか、こんな風に生きたいとか。

17年前に書いた日記の一節・・

私が伝えたいことは
人間もっと自由に生きられる。
もっと楽しく過ごせる。
もっと本質的に豊かになれる。
その元の素のこと。
つまりは調和。統一ではなく調和。
つまりはハーモニー。
人と人のつながりには指揮者なんかいらない。
自然に誰かが歌い出せば、誰かが手や足でリズムを刻み、その横で誰かが踊りだす。
そんな自然な流れの中で、信頼という温もりの中で暮らしたい。


今まで折にふれて目標や夢を掲げノートに書いてきたけれど、そのどれもが
書くことだけで消化して終わっていたことに、情けないやらでため息も出ちゃう。



だけど、私は私でしかないわけで。
変わらないは変わらないままで、下ごしらえはそろそろ終えて、
ぼちぼち人生の味付けにかかりたいものです。

今日は真珠湾攻撃開戦の日、そしてジョン・レノンが銃殺された日。
一日中ジョン・レノンを聴きながら・・・まだまだ熟成中の私です。


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しあわせは近きにありて思うもの

2007-12-07 | つれづれ


どこまでも人の良心を信じたいなぁ。
どこまでも人は皆同じだと信じたいなぁ。

NHKとBSで放送していた「関口知宏 中国鉄道大紀行」という番組、
見たことあります? もう終点になってしまったけれど。

残念なことに我が家はBSが観ることできないのと、実際に観たのはごく最近、
ほんの数回しか観なかったのだけど、すっかり関口さんに心奪われてます。

確か先月10日の放送では、中国のローカル列車の中の人々との交流を紹介してて。
関口さんは、長旅の疲れもそのまま出していて、髪もくしゃくしゃのまま、
観光客ではなく旅人といった風貌で、ごく自然にそこに居て会話し、笑い。

たまたま途中の駅から隣に座った、ほっぺの赤い女性が、
「外国人は特急しか乗らないから、会ったことないの。日本人と話をしたのは
生まれて初めてよ。うれしいわぁ。」と言って、照れくさそうに嬉しそうに笑ってた。

あぁ・・いいなぁ。この感じ。胸がほわんと温かくなる。
そんな小さな出会いにさえ、心のまま素直に喜びを感じ、かっこつけることもなく
すぐにことばにして相手に伝えられるなんて・・素敵。
その女性の本当にしあわせそうな笑顔に、もわっと涙が出た。

関口さんの旅の様子が知りたくなって、ブログ(←クリック)を見つけた。
その中にあったある日の日記。


知らない人のことは怖いもの
知ってみれば愛おしくなるもの

旅で知らされるのは、この
人々を知らなかったこと


しあわせは遠くにあるのではなく、そんな身近にあるもののような気がした。
しあわせはどこからかやってくるのではなく、自分がいらっしゃ~いって両手を
広げていたら、風に乗ってふんわりといつの間にかこの手の中にあるような気がした。

私はどこまでも人の良心を信じる。
どこまでもどこまでも。

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枯れるは始まり

2007-12-06 | つれづれ


今年の秋はいつだったんだろう。。
もう師走という頃になって、家のそばのイチョウは今、見事な黄色並木。
こんな季節は車を降りて、空の青と樹々の赤・黄色・緑を仰ぎながらゆっくり歩く。

ふと思い出した・・大好きな八木重吉の詩。

<落葉>
葉がおちて
足元にころがっている
すこしの力ものこしてもっていない
すこしの厭味もない

<秋>
草をふみしだいてゆくと
秋がそっとてのひらをひらいて
わたしをてのひらへのせ
その胸のあたりへかざってくださるようなきがしてくる

<冬>
葉は赤くなり
うつくしさに耐えず落ちてしまった
地はつめたくなり
霜をだして死ぬまいとしている


朽ちる。枯れる。
そのことばの響きは、つい寂しく儚く、終わりを連想してしまう。

けれど自然界では「枯れる」は終わりではなく、古くなって硬くあるいは
脆くなったものを捨て、新しい芽が生まれるための通過点に過ぎないわけで。

きっと私達人間も同じ。
大事なのは、枯れることを嘆き恐れるのではなく、今の自分を淡々と生き抜き
次の世代に何かを繫ぎ、何かを残せるか・・なのかな。

だから、枯れるは終わりではなくて、始まりなんだ。
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来年の事を言えば鬼が笑う

2007-12-05 | つれづれ


辞書によると・・
明日のことさえ不確かなのに、来年のことなどわかるはずもない。
先々のことをあれこれと考えてみても結局あてにならないし、わからないということ。

禅のことばにも似たのものがある。
「念起こる これ病なり。継がざる これ薬なり。」

人は「今」よりも過ぎたことや、明日やその先のことに気をとられて悩み不安を抱き、
そのストレスからいろんなことが起きたり。。

かく言う私も、たまにはストレスの只中ってこともあります。
特に疲れていたりするとだめですね。。

同じ場面でもそのタイミング、その時の言い回しで感じ方も違ってしまったり。

新聞で読んだかテレビで聞いたか忘れたけれど、今の人は「忙しそうですね」と
言われることに喜びを感じる人が多いらしい。

そのことばは褒めことばであって、忙しい=多くの人や仕事関わっているという系図を
思わせ、充実した生活を送っているというイメージを持つとのこと。

はぁ・・
私は・・のんびりしたいです。つくづく。

来年の事を言えば鬼が笑う。
心からそう思えたら、もっと楽になれるかな。。。

念起こる、これ病なり。
継がざる、これ薬なり。

たまには何にも考えない時間も大事なのかもしれないですね。。

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人生は切なくないよん

2007-12-04 | つれづれ



昨日なんとなく、ふと、人生について語り合うひと時があった。

あと何日かで50歳を迎えられるS先生が、
「もう50歳なんですよね。なんだか年取ったなって思ったり、自分の人生って
こんなもんだったのかなと思ったり。もちろんしあわせな毎日なんだけど、
人間ってなんだか可哀想ですよね」って。 ふと。 ほんとにふと・・。

20代、30代はまだまだ人生これからだっていう自信や、見えない未来への期待も
あって、無駄に過ごす時間があっても、大して気にもせず。

40代になると体力の変化を感じたりしながらも、仕事や家庭、それぞれに充実
していたり悩みもあったりしつつ、ひたすら走り続け。

愈々自分が50歳?というなんだか信じ難い思いは、なんとなく想像できる・・かな。

だけど。。 男の人と女の人の違いもあるかもしれないけれど。。
こんなものだったのかなって切なく思うより、だいたいみんなこんなもんでしょって
気楽に思って過ごしたいなぁ。。

誰かが言ってた。
「人生は何を成したかが大事なのではなく、何を成そうとしたのかが大事なのだ」

あの伝説のロックシンガーミック・ジャガーも言ってた。
「僕は死ぬまで引退なんてないのさ」

人生は永遠に、探しものを探し続けるものだと思いたい。

だから、年を重ねたことだけで答えを見つけようとするのではなく、
探しものをそれ以上探せなくなった時に、ふっ~と深呼吸をして、自分に笑顔で
「お疲れさまでした」って言える人生でありたいなぁ。

どんな道のりでもいい、自分や家族、周りの人たちと重ねてきた時間や経験を
いとおしく振り返られる人生でありたいなぁ。

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なんでも食べてみないと・・

2007-12-03 | つれづれ
              
                      「悲」 二種



なんだか最近ニュースはため息をつくような事件が多いですね。。
気がつくと「悲」って文字を何度も書いていた。

でも気持ちが暗くなるので、別な視線で文字遊びを始めた。
そうそう・・

たとえば「悲」「怒」といった感情、あるいは、「空」「雨」などの自然、
「冷」「温」といった温度を意味するもの等々、文字の持つ意味を借りながら
表現してみると、そこには空間の捕らえ方、墨の色、筆使いなどによって、
無限の可能性がある。

ただ書き手に常識に囚われない心の自由さがないと、つい同じところをグルグル。
筆はこう持たなきゃいけないとか、書き順は、ヘンとツクリのバランス云々と
決まりごとの中にいては、結局「お習字」から抜け出せない。

それは不思議と人間関係にも言えるような気がする。

一度話してみて自分とは違うなって思ったらそれっきりとか、外見だけで
元より敬遠したり、自分の小さな「決まりごと」にがんじがらめで
せっかくの出会いをふいにすることもあるかもしれない。

料理だって食べてみないとわからないし、調理法によってはキライな食材も
美味しく頂けるかもしれない。

色々な音楽を聴く、食べたことのないものを食べてみる、話したことのない
タイプの人と話してみる、着たことのない色の服を着てみる、
そこに新しい発見と感激と工夫が生まれるんだと思うんだけどなぁ。

料理と一緒で、普段料理していると、どこかのお店で食べたお気に入りの料理を
調味料はだいたいこれかな?とか、自分の感覚で再現できるのと同じで、
書も絵も、なんでもそうだと思うけど、まずは味わって体験してみないとね

書はわからないって思わないで、ぜひ味見してみてくださいね





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