「水清ければ魚棲まず」 (はがき)
原文は後漢書の「水至清則無魚 人至察則無徒」
水に至って清ければ即ち魚無し。人至って察しなければ則ち徒なし。
つまり、あんまりきれいな水には、餌となるプランクトンもいないし、
危険な時の身を隠す場所もなくて魚は棲めないし、人もあんまり潔白すぎて
正しいことを求めすぎると仲間もいなくなりますよ~という意味。
またまた、御誕生寺の和尚さんのことばにも、同じようなことばをみっけ
← 「正義をかざすと争いになる」
人間なんて、きっとだいたい同じようなもの
多少の違いと言えば、たとえば几帳面な人もいれば、大雑把な人もいて。
強く前向きな人もいれば、弱く控えめな人もいて。
けれど、どちらが正しいなんてないわけで。
それなのに人は、時には「正しいこと」のサンプルをかざして
どんな場合にも当てはめようとしてしまったり。
正しいことも、相手や時と場合によって違ってくるのに。。
その人、その時、その場面で、何となくちょうどいいっていう感覚を
みんなで共有できたらなぁ・・とふと思う。
原文は後漢書の「水至清則無魚 人至察則無徒」
水に至って清ければ即ち魚無し。人至って察しなければ則ち徒なし。
つまり、あんまりきれいな水には、餌となるプランクトンもいないし、
危険な時の身を隠す場所もなくて魚は棲めないし、人もあんまり潔白すぎて
正しいことを求めすぎると仲間もいなくなりますよ~という意味。
またまた、御誕生寺の和尚さんのことばにも、同じようなことばをみっけ
← 「正義をかざすと争いになる」
人間なんて、きっとだいたい同じようなもの
多少の違いと言えば、たとえば几帳面な人もいれば、大雑把な人もいて。
強く前向きな人もいれば、弱く控えめな人もいて。
けれど、どちらが正しいなんてないわけで。
それなのに人は、時には「正しいこと」のサンプルをかざして
どんな場合にも当てはめようとしてしまったり。
正しいことも、相手や時と場合によって違ってくるのに。。
その人、その時、その場面で、何となくちょうどいいっていう感覚を
みんなで共有できたらなぁ・・とふと思う。