心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

感受したものを隠さずに

2008-04-23 | 書の話
                  龍門造像記 節臨 (半紙大 和紙)



臨書は古典ありきで、その書き手との「対話」が魅力。
臨書とは、古典や手本を見ながら書くこと。(節臨は一節を臨書したこと)
絵でいうところのデッサンかな・・。

臨書は、逆に一切のことから解放されて、自由に生きられる場所が
そこにあるという、無限の創造の世界が広がっている。

臨書は、技術だけでは表現できないものだと思う。

古典の書の、点画の位置や長さ、角度をいくら研究して同じに書けても
それは、マニュアル通りに注文を繰り返す、どこぞやの店員さんと同じで
感激も体温も感じない。

ソツなく書かれたものには、ふ~んって思うだけで、きっと震えない 

古典と向き合ったとき、どんなものでもいい、心の底からの感動の
リズムを発見できなければ、本物の臨書にはならない。

感受する、そして感じたものを、包み隠さずさらけ出せたとき、
「個性」が見つかるのかもしれないですね。

それはたぶん、書だけに限らず、人との関わりも同じ。

今の若い世代(20代位?)は、争いたくないから、
人と深く関わることを避けるらしいです 

でも人に興味がないから、自分も見つけられないんじゃないかな。。
人は人の中にいて初めて、自分を知るんだと思うから 

臨書をしていて、ふとそんなことを考えた。
かく言う私も、まだまだ、隠しているのかもしれないけれど。。
コメント (6)
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