近年、耐性菌の出現によって、抗生物質が効かない結果うが増加したり、SARS(重症急性呼吸器症候群)が世界各地で感染拡大をみせたりするなど、新たな感染症の脅威に対しては、楽観を許さない状況が生まれています。
過去の歴史を振り返る限りでは、医学は抗生物質の発達に助けられ、人命を奪ってきた感染症の多くを克服しました。
又、麻酔薬の発達、無菌操作(手術の際に使用するピンセットなどの道具類、手術を行う部位、手術を行う手などの滅菌状態を保ち、病原体を患者に移さないようにすること)や手術法の進歩によって、医学や怪我ややけどなどの外傷に対しても威力を発揮してきました。
現代医学の発達史の中では、薬が果たしてきた役割はあまりに大きなものがあります。 それゆえ、“病気は、薬で治す“という「方向性。」が医療の中で、自然に出来上がっていきました。
皮肉なことに、薬に依存するこうした医療の在り方が、病気を治せない原因になっているのです。
病気になって現れる痛みや発熱・かゆみなどの不快症状は、体が治るときに生ずる「治癒反応。」ですが、患者さんにとっては、辛く苦しいものにすぎません。
また医師からも、こうした治癒反応は、悪玉としてみなされて、症状を薬で抑える「対症療法。」が行われます。
これで、患者さんはいったん楽になりますが、治癒反応を抑えられた体は治るチャンスを失ってしまいます。
その結果、病気の治りは悪くなり、さらに医薬を足していくという悪循環が始まるのです。
対症療法は昔から行われていましたが、戦前は抗生物質や免疫抑制剤、抗ガン剤のような強い薬はありませんでした。
作用の弱い役は効き目もそこそこで、治癒反応もさほど阻害されずにすぎました。
対症療法を行っても、治癒のプロセスをたどることが出来たのです。 現代医学は、薬学と二人三脚で歩みを進めてきました。
消炎鎮痛剤、ステロイド剤、免疫抑制剤など、症状を劇的に改善できる薬が開発されるようになると、対症療法の世界も『一変』しました。
これら作用の強い薬を使えば、激しい炎症『治癒反応』もたちどころにおさまります。
不快な症状が治まると、患者さんは治ったような気になり、医師も治療がうまくいっているように錯覚し、ますます熱心に症状を抑え込むようになります。
その結果、病気の治療は臓器ごとに分かれ、医師は個々の症状にだけ目が向いて、眼の前に現れている現象(症状)を「取り去る。」ことばかりにエネルギーを注ぎ込むようになります。
ここに、次々と開発される作用の『強い』薬が加わって、対症療法に拍車がかかるというわけです。
しかも、そこで使用される薬は、「交感神経。」の『緊張』を促すものがほとんどです。
これでは、体に「治って!」という方が、『無理』でしょう?
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