考えてみれば、中国から、中近東・西欧にいたる社会は、大多数の人間が、蛮族による皆殺しの恐怖によって、高い城壁で囲まれた、不潔で、非衛生的な都市に住むことを、強制されてきた歴史が、数千年続いた後、たかだか2、3百年だけ、城壁を取り払われた、出入り自由な都市に住んできたという、生い立ちなのであります。
ふだんは、開明的な言辞を弄する欧米人が、『都市』問題となると、突然、先祖がえりをして、プラトンが夢見た、『哲人王』が、無知な大衆を、どこに住まわすかという議論でしかない、『都市』計画などという、しろものを振り回すのは、無理は無いのかもしれないのであります。
そして、その都市計画を振り回す際に、錦の御旗になっているのが、城壁都市後遺症の、もうひとつの表れである、都市と郊外との間に、「はっきり分かる境界線が、ないこと。」に対する、漠然とした『不安』感であります。
第2次世界大戦後の極度に混乱した世相の中で、ドサクサに紛れて、ロンドン周辺にグリーンベルトが導入されました。
このグリーンベルトは、それでなくとも、凋落が続いていたロンドン周辺部の製造業に致命傷を与え、現代イギリス経済が、あまりにも過度に、金融業に依存するきっかけとなりました。
だがこれもまた、先史時代から、中世末期までつづいた、ヨーロッパ都市民の籠城心理を反映しているだけなのであります。
つまり、命をかけて、立て篭もるべき場所である都市と、その周辺の見殺しにしても良い連中が住んでいる場所との間には、一目で、分かる障壁がなければ不安だ、というわけであります。
驚くべきことに、いまだに、欧米人の多くが、日本に来ると、例えば、ナリタ・エクスプレスや東海道新幹線の車窓から、風景を見ていて、「いったいどこまでが都市で、どこから郊外が始まるのか、分からない。」といった感想を口にするのです。
もっと驚くべきことは、欧米と日本に違うところがあったら、つねに欧米は優れていて、日本は劣っている証拠だと信じている日本の『知識人』は、この漠然たる不安感が美的感覚の問題、しかも自分たち日本人より、優れた美的感覚を持った西欧人からの、「有り難い忠告。」だと、思い込んでいることであります。
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