<水野さんの知(8)。『蒐集』の終わり、欧米型近代化との『決別』>
近代ヨーロッパ人の本質は、コレクション、蒐集だと思うのです。
「蒐める。」ということに最も適していたのが、『近代』でありました。
古代は、軍事力で、『領土』を蒐集する。
中世は、十字軍によって、『魂』を蒐集する。
もちろん、土地も蒐集したかったのでしょうけれど、オスマントルコのほうが、強いから蒐集できない。
それで、古代、中世ともに、蒐集の『限界』がくると滅びてしまいました。
具体的には、古代ローマ帝国は、徴税能力が落ちたらしい。
『国家』というものは、いつも、税の蒐集能力が落ちてくると、システム全体が、おかしくなる。
中世は、最後に、免罪符による蒐集を、ルターに攻撃されて終わってしまった。
そして、『近代』になると、市場や資本主義のシステムを通じて、ありとあらゆるものを蒐集する。
さらに、産業革命の後は、エネルギー革命が加わって、飛躍的に蒐集が、進むようになりました。
この、蒐集の歴史が、『9・11』と『9・15』と『3・11』で終わったということを、もう認めないといけないということであります。
『9・11』(2001年)は、米国同時多発テロ。
先進国が、途上国から、富を蒐集するということに対して、オサマ・ビンラディンが、攻撃を加えました。
『9・15』(08年)は、リーマン・ショック。
「電子・金融空間。」を作って、マネーを極大化、蒐集してきました。
それが、外からの攻撃ではなく、自分のレバレッジの『重み』で崩壊した、『自爆』であります。
そして、『3・11』(11年)の原子力事故。
エネルギーは、生産するために、必要な『中間』投入物だから、石油危機の後、安全神話を作り出して、原子力に切り替えてエネルギーを収集してきたが、この安全神話が『崩壊』しました。
(続く)
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