<水野さんの知(8)。資本主義とデモクラシーの『終焉』>
20世紀は、『アメリカの世紀』であり、『石油の世紀』、つまり「モータリゼーションの時代。」であった。
1971年のニクソンショック(金とドルとの交換停止)と1973年の第1次石油ショック(石油の固定相場制終了)によって、「成長が、すべてを癒やす。」時代は終わった…。
この2つの事件は、オランダ、イギリス、アメリカの3つの覇権国が石油を支配してきた時代が終わり、ドル変動相場制となり、売り上げと仕入れ(エネルギー)が毎日変動する時代となったのでありますよ。
そして、成長(付加価値の増加)は、市場まかせとなり、近代の「成長メカニズム。」が崩れ始めた…。
『成長』と『進歩』は、近代になって誕生した概念であるが、『成長』において、ドイツは精神面を重視したが、英米は物質面を重視し、成長と『技術』の一体化が進み、その経済的な成長の成果を測る指標が、「付加価値。」(いわゆるGDP)であります。
その付加価値は、貨幣で測るので、神を追放して人間を主役に据えた『近代』の頂点に、『貨幣』が君臨することになりました…。
資本主義とは、「貨幣を『資本』に転化させることで、資本を自己増殖させるシステム。」であり、このシステムが社会生活や経済活動全般を、覆い尽くしていきました。
資本の自己増殖を測る尺度が、利子率(利潤率)でありますが、これが最も低かったのが、17世紀初頭のイタリア・ジェノバの1.125%であり、これが、「中世の終わり。」と「近代の始まり。」でありました…。
投資先がなくなれば、資本は自己増殖できなくなるわけで、ジェノバの超低金利は、「地中海資本主義。」に『止め』を刺したのでありますよ。
21世紀の現在、日本とドイツの10年債利回りは1.0%を下回り、17世紀をはるかに凌ぐ「21世期利子率革命。」の真っただ中にいます…。
「世の流れは、大きく(良い方向へ)変わる。」と表されていますが、中世から近代へのシステム移行期が『長い16世紀』(1450~1640年)であったように、現在は変化する『21世紀』にあるとするならば、『成長戦略』は失敗する運命にありましょう。
資本主義が『終焉』を迎えているとすれば、『デモクラシー』のあり方も変わらざるを得ないでありましょう。(ジョン・キーン『デモクラシーの生と死』)
つまり、デモクラシーも生と死をくり返す、それは政治と経済は常にコインの表と裏の関係にあるからでありますよ…。
そして世の中(社会・世界)は、『物質世界』(物余りの社会)から、『精神世界』へと変化していくのでありましょう。
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