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平治師匠が大名跡襲名へ(落語2―44)

2011-05-29 22:34:16 | 日記
▼平治師匠が11代目桂文治へ
 私たち落語の学校「花伝舎」の講師、桂平治師匠が、11代目桂文治を襲名する。「桂文治」と言えば落語界屈指の大名跡である。正式な襲名は来年だが、落語芸術協会(桂歌丸会長)挙げての大イベントになることは間違いない。何はともあれ、慶賀の至りである。

 襲名に当たっては、師匠である先代の10代目文治、その前の九代目文治の遺族の了解がいるそうだ。さらに、落語協会(柳家小三治会長)や上方落語協会(桂三枝会長)の“了解”も得たい。幸い関係者すべてから「快諾」を得ることが出来、めでたく襲名の運びとなった。

▼「文治」は桂一門の宗家
 このブログをご覧の落語通のみなさんは、既にご承知の通り、「桂文治」は、元は上方落語の名跡。そんなところから江戸、上方双方の桂一門の宗家に当たる。宗家とは、茶道や華道の家元と同じで、一門の要(かなめ)。落語界の大名跡である。

 これだけの名跡は、欲して得られるものではない。万人から力量、技量を認められて、初めて推挙され、実るものである。それだけに大看板を背負う責任は重い。先導役として、単に個人の技を磨くだけでなく、常に落語界全体を見渡しての言動が求められるからである。

▼独自の芸風で笑いの輪
 襲名に当たって平治師匠は、「文治と言う名前は、大変大きな名前。うちの師匠(10代目)のように、明るく陽気な滑稽噺を得意としていきたい」と抱負を語った。「源平盛衰記」「長短」など先代の十八番の噺だけでなく、平治師匠は「だくだく」「禁酒番屋」など滑稽噺でも、独自の芸風で笑いの輪を広げている。

 10代目は江戸言葉へのこだわりが強かった。江戸弁と東京弁の違いに厳格だった。平治師匠も、兄弟子の小文治師匠も、その流れを汲んでいるだけに、言葉の使い方には格別こだわった。稽古で「何を言やがるんでえ」と言ったところ、平治師匠は「何を言やがるんでえ」ではなく、そこんところは「何をいやんでぇ」と修正。

▼東京弁と江戸弁の違い
 別の日の稽古で、「ちょいと、近くのお湯屋に行って色男に」、とやったら今度は小文治師匠がダメ出し。「“色男”は上方の言葉。江戸は“いい男”と言わなきゃあ」とアドバイス。この時、江戸弁と東京弁の違いを初めて知った。なるほど、東京弁では江戸落語の「切れの良さ」は出ない。

 聞くところによると、10代目は噺家になってからは、普段もずっと着物姿で通したほどの「こだわり屋」。趣味も多彩で、特に南画はプロ級の腕前。「籬風」の雅号を持ち、1号数十万円というから半端ではない。

▼待ち遠しい襲名披露
 そう言えば、平治師匠の洋服姿も見たことがない。真冬でも着物の上にとんびコートを羽織り、鳥打帽子、首には襟巻姿で楽屋入り。もちろん足元は雪駄である。また、この姿がよく似合っているから悔しい。

 師匠の11代目襲名。何度も稽古を付けてもらった身としては、実に誇らしい気分である。来年の襲名披露が待ち遠しい。

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