扇子と手拭い

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「花巻」に「しっぽく」(落語2ー67)

2011-11-16 00:55:33 | 日記
▼「花巻」に「しっぽく」
 日ごろ、あまり落語を聴いたことがない人でも「時そば」ぐらいはご存じだろう。次の落語会にかけようと目下、稽古に励んでいる。歩きながら、スポーツジムで自転車をこぎながら、自宅で湯舟につかりながら、反復練習をした。やっと噺だけは何とか腹に入った。後は仕草がついていくかどうか、である。

 「何が出来る」と尋ねる客に、「出来ますもの、花巻にしっぽくでござんして」と答える蕎麦屋の親爺。「時そば」には天麩羅そばも、月見そばも出てこない。「花巻」に「しっぽく」。この2つだけだ。ところが、「花巻」も、「しっぽく」も、現在の蕎麦屋の品書きにはほとんど登場しない。どんなそばなんだろう?

▼チクワだけの「時そば」
 曖昧なままで落語をやれば、聴いている方は尚更、分からないだろうと調べてみた。「花巻」というから、てっきり岩手から広まったそばかと思ったら、そうではない。「花巻」は、かけそばに数枚の焼きノリを乗せたもので、ノリの磯の香りと、そば本来の味を楽しむのだそうだ。薬味はおろしワサビだけ。ネギは入れない。江戸で獲れた浅草ノリを磯の花に例えたことから、「花巻」の名が付いたという。

 「しっぽく」と言えば、大きな皿に盛られた長崎の卓袱料理を思い出す。そばの「しっぽく」は、そこからヒントを得て、昔はクワイ、シイタケ、麩、セリなどの具が入っていたという。ところが、江戸落語の「時そば」には、なぜかチクワしか登場しない。

▼小腹が空いて手繰る
 噺をスッキリさせるために、チクワに限ったのかどうかわからない。先日、稽古をつけてもらった桂米福師匠は、「時そば」は箸で2、3度手繰ったら食べ終わる程度で、今のファーストフードのようなものだった、と話していた。小腹が空いた時、チョイトつまむ、あの感じだ。

 師匠の話を聞くまでは知らなかったものだから、てっきり丼に入ったそばを連想して、何度もそばを手繰る仕草を重ねた。「時そば」が少量だということをご存じの方が、あたしの「時そば」を聴いたら、「あの野郎、時そばも知らねえのか」と思うに違いない。

▼客の心境で演じてみたい
 江戸時代の時の数え方。これがややこしい。子・丑・寅・卯・辰などという十二支で時を数える呼び方と、時鐘の数で時刻を言う呼び方の両方が使われていたからだ。鐘の方は、日の出(明け六つ)から日没(暮れ六つ)までを六等分し、これを昼の一刻(2時間)とした。同様に、日没から翌日の日の出までを六等分したのが夜の一刻だった。

 落語に出てくる「いま何時だい」「ヘイ、九つで」の「九つ」とは、午前零時ぐらいを指すのである。そうした背景がわかると、冬の深夜に屋台で食べる立ち食いそばだ。底冷えがする中、「熱くしてくれ」、と注文を付ける客の気持ちがよく分かる。そんな客を思い浮かべながら演じてみたい。

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