豊田玉萩新体詩集「野ばら」。日本現代詩歌文学館が開館した際、地元北上の生んだ詩人を掘り起こし顕彰するために復刻した本を、著者のご親戚に貸してもらいました。
レトロなフォントが素敵な表紙。タイトルを囲んでいるかすれのある飾り罫を見ていたら、佐々木活字店(東京都新宿区)を見学した時に見せてもらった活版を思い出しました。下の写真は、その時撮らせてもらったコーナー飾りなどの母型です。
さて「野ばら」の中身はこんなふうになっています。格調高い文体ですね。
最初にこの詩集が発行された明治40年は、こうした文語定型詩がもてはやされていた時代。
この年川路柳虹が初めて口語自由詩「塵溜」を発表しましたが、激しい拒絶反応にさらされてしまいました。
ヨーロッパ詩の翻訳ではない日本人が著したものでは、島崎藤村「若菜集」がこの時代の詩集の代表格です。
豊田玉萩は明治8年岩手県黒沢尻町(現北上市)生まれ。詩以外に小説、短歌、俳句、童謡も書いたマルチな地元の文学者。
「若菜集」が出た明治30年にこの詩集が現れていたなら有名になっていたはずと、栞に書かれています。
年譜によると、晩年近くには口語プロレタリア詩も書いていたそうです。
資料を寄贈した関係で会員になっているので、北上市を訪れる機会があったら日本現代詩歌文学館会員証を忘れず持っていこうっと!
レトロなフォントが素敵な表紙。タイトルを囲んでいるかすれのある飾り罫を見ていたら、佐々木活字店(東京都新宿区)を見学した時に見せてもらった活版を思い出しました。下の写真は、その時撮らせてもらったコーナー飾りなどの母型です。
さて「野ばら」の中身はこんなふうになっています。格調高い文体ですね。
最初にこの詩集が発行された明治40年は、こうした文語定型詩がもてはやされていた時代。
この年川路柳虹が初めて口語自由詩「塵溜」を発表しましたが、激しい拒絶反応にさらされてしまいました。
ヨーロッパ詩の翻訳ではない日本人が著したものでは、島崎藤村「若菜集」がこの時代の詩集の代表格です。
豊田玉萩は明治8年岩手県黒沢尻町(現北上市)生まれ。詩以外に小説、短歌、俳句、童謡も書いたマルチな地元の文学者。
「若菜集」が出た明治30年にこの詩集が現れていたなら有名になっていたはずと、栞に書かれています。
年譜によると、晩年近くには口語プロレタリア詩も書いていたそうです。
資料を寄贈した関係で会員になっているので、北上市を訪れる機会があったら日本現代詩歌文学館会員証を忘れず持っていこうっと!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます