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575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

句を描く

2020年09月19日 | Weblog


与謝蕪村<よさぶそん>。前記していますが、書き
きれなかった事柄を追記してみます。

蕪村は江戸で俳諧を学びます。しかし、当時、江
戸の俳壇はひどく低俗化していたようです。江戸
に嫌気がさした蕪村は、尊敬する芭蕉の奥州の足
跡を辿る旅に出ます。

「五月雨を 集めて早し 最上川」<芭蕉>

「さみだれや 大河を前に 家二軒」<蕪村>

正岡子規は、この2句を並べ芭蕉を絶賛。しかし、
子規は「集めて」が巧み過ぎると評価を一変させ
ます。芭蕉と比べ自然を強調しない淡々とした蕪
村の句。蕪村の句に水墨画のような淡い味わいを
見つけたと子規は記しています。

蕪村は、句を描くように詠んでいたのかもしれま
せん。こうした過程を経て「俳画」が生まれます。
ちなみに、絵画は独学といわれています。

俳諧は、俗語を用いつつ、俗と離れることが肝要。
万巻の古書を読破し、千里の野を歩み、精神の気
韻を高く置くべし。と弟子に伝えています。蕪村
の、句や画は勉学と気高い精神の果てに生み出さ
れたものかもしれません。

蕪村は、松尾芭蕉と小林一茶と並ぶ江戸俳諧の巨
匠。低迷していた江戸中期の俳諧にビジュアルを
加え「俳画」という新芸術を生み出しています。

意外なことに、蕪村の評価は明治以降のこと。子
規が蕪村に注目し「俳人蕪村」を発表するまでほ
とんど無名だったようです。さらに、萩原朔太郎
が「郷愁の詩人・与謝蕪村」を出版。俳諧師とし
て世間に知られるまで、実に150年という長い年
月が流れています。与謝蕪村。代表句のようにゆ
ったりとした俳壇へのデビューとなった感。

「春の海 終日<ひねもす> のたりのたりかな」<蕪村>

写真と文<殿>
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圧迫骨折  遅足

2020年09月19日 | Weblog
先月の下旬、ぎっくり腰に。またまたかと、高を括っていました。
ところが一向に良くなる気配はなく、逆に痛みが強くなる一方。
パーキンソンの先生から、整形外科医に診察を、と言われ
慌てて近くのかわな病院へ。
あいにくの雨の日。タクシーに乗ろうとして転倒。右肋骨骨折。
レントゲン、CT検査の結果、第4腰椎圧迫骨折と判明。
ハードコルセットの装着までに、1週間待たされ、いま付けています。

痛みはひどくなることはありませんが、一向によくはならず。30日に検査予定。
そんなこんなで俳句のことは全く考えられない状態です。
皆様にご迷惑をおかけしました。特に麗子さん、郁子さんにお世話になりました。
これからもお世話になります。よろしくお願いいたします。   遅足

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