
与謝蕪村<よさぶそん>。前記していますが、書き
きれなかった事柄を追記してみます。
蕪村は江戸で俳諧を学びます。しかし、当時、江
戸の俳壇はひどく低俗化していたようです。江戸
に嫌気がさした蕪村は、尊敬する芭蕉の奥州の足
跡を辿る旅に出ます。
「五月雨を 集めて早し 最上川」<芭蕉>
「さみだれや 大河を前に 家二軒」<蕪村>
正岡子規は、この2句を並べ芭蕉を絶賛。しかし、
子規は「集めて」が巧み過ぎると評価を一変させ
ます。芭蕉と比べ自然を強調しない淡々とした蕪
村の句。蕪村の句に水墨画のような淡い味わいを
見つけたと子規は記しています。
蕪村は、句を描くように詠んでいたのかもしれま
せん。こうした過程を経て「俳画」が生まれます。
ちなみに、絵画は独学といわれています。
俳諧は、俗語を用いつつ、俗と離れることが肝要。
万巻の古書を読破し、千里の野を歩み、精神の気
韻を高く置くべし。と弟子に伝えています。蕪村
の、句や画は勉学と気高い精神の果てに生み出さ
れたものかもしれません。
蕪村は、松尾芭蕉と小林一茶と並ぶ江戸俳諧の巨
匠。低迷していた江戸中期の俳諧にビジュアルを
加え「俳画」という新芸術を生み出しています。
意外なことに、蕪村の評価は明治以降のこと。子
規が蕪村に注目し「俳人蕪村」を発表するまでほ
とんど無名だったようです。さらに、萩原朔太郎
が「郷愁の詩人・与謝蕪村」を出版。俳諧師とし
て世間に知られるまで、実に150年という長い年
月が流れています。与謝蕪村。代表句のようにゆ
ったりとした俳壇へのデビューとなった感。
「春の海 終日<ひねもす> のたりのたりかな」<蕪村>
写真と文<殿>