ブログには荻原先生のコメントも紹介されており、
いくつかこころに残ったことがあります。
一つが①俳句は1番言いたいことを隠すこと。
その結果、いくつもの解釈が生まれるが、それをよしとする。
ここからはだれも来ぬみち花空木
なぜ誰も来ないのか、ここはどこなのか?
まったく言っていません。
季語である「空木の白い花」に解釈をゆだねています。
②その場合、句の中の謎は1つにする。
読み手をさまざまに迷わせては句として失敗です。
③また、それは「説明的」という批判があります。たとえば
銀紙を星形に切り聖夜来る
の句について「に切り」を
銀紙を星の形に聖夜来る
とすると焦点が絞られる、先生のアドバイスが心に残っています。
この他に575ではなく5445というリズムの句
まっすぐに春立ち仔犬は耳立てり
読んで気持ちの良くなる句です。それが良い句です。
仔犬が効いています。
という感想があり、中七というのは絶対ではないのだとも知りました。