575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

蘇る古関メロディー  竹中敬一

2020年05月07日 | Weblog


古関裕而をモデルにしたNHKの朝ドラ「エール 」を楽しみに見ています。
今でも、ふとついて出る軍歌の殆どは、作曲 古関裕而のものでした 。
「 若鷲の歌 」「 暁に祈る 」(後者は、同郷の新聞記事 野村俊夫の作詞)
こんな軍歌をどこで覚えたのでしょうか 。
両親が歌っていたところを見たことはありません。
多分、村の若い衆から影響を受けたのでしょう 。
小学生の頃には、毎年 お盆を前に村の小学校のグランドの片隅で
「六斎」(カネ 、タイコ)の練習がありました。
夜間、一燈の裸電球の下に集まりした。
いつ召集令状がきてもおかしくない村の若い衆から教えてもらったのですが、
その際 、先輩達は練習そっちのけで軍歌を歌っていました。

この少年時代に知らず識らず覚えた古関メロディー。
今日に至るまで頭の片隅に残っていているようです 。
今のコロナ禍よりはるかに厳しい統制のもと、飢餓状態にあった
私達の世代を古関メロディーは潤してくれました。
私は、不思議に今でも織井茂子の「 君の名は 」を聞くと、
故郷の情景、昭和の雰囲気が蘇ってきます。
この「 君の名は 」の作曲も古関裕而でした。

少年時代に覚えた歌はいつまでも心に残っています。
軍歌ではありませんが、こんな歌も意味がわからないまま、
今日でもつい口ずさんでしまいます。

 天勾践を空しゅうすること莫かれ
 時に范蠡 無きにも非ず
 
南朝の児島高徳の詩句。
中国春秋時代、范蠡が呉に敗れた越の王 、勾践を助けた故事に
由来することをインターネットで知りました 。

最近、足腰の衰えは著しく、毎朝夕3000歩の日課。
狭い庭をまるで檻の中の動物のように歩いています。

コメント (3)
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