575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

父、竹中 皆ニの短歌から ~琵琶湖へ①~竹中敬一

2018年10月07日 | Weblog


父の歌集「しらぎの鐘」(昭和57年)より


 逝く夏の木草の青の衰へを云ひつつわれ等保坂超え来ぬ


 季(とき)の移ろひ最もあはれを覚ゆるは年年にして夏の逝くころ


 夏は逝く 中山三郎と共に来て近江今津の鰻を喰らふ


 近江路へバス下るとき 山峡の柿の古木に柿すずなりぞ


父は平成6年、92歳で亡くなるまで、生涯で7冊の歌集を自費出版しています。

どの歌集にも琵琶湖へ行った時に詠んだ歌が数首 出てきます。

若狭から琵琶湖へ行くには、若狭街道で水坂峠 (280 m) の分水嶺を越えて

保坂 ( ほざか )の集落を通り、近江今津へ出るコースが昔から開けていました。

今は若狭と近江を遮る山々にトンネルが貫通して、便利になりましたが、

以前は" 保坂越え " と言って、難所が待ち受けていました。

国鉄バス (今はJ R バス) がこのルートを小浜から近江今津まで走っています。

父は第4歌集「永遠と木草 」 ( 昭和59年 )の後記で琵琶湖へ行った時の

思い出を記しています。

「 …余りバスを利用して用事も無さそうな私を、バスの運転手に怪しまれた

事もある。私一人では心もとないので中山三郎さんに来て貰って保坂を越え

近江今津に行き、更に琵琶湖畔、木ノ本、更に余呉のうみあたりまで出かけた

事も一度や二度では無い。」

父の歌友、中山三郎さんは大正3年 (1914)、福井県大飯郡高浜町のお生まれ、

19歳の時、若山牧水の短歌結社「 創作社 」に入会。96歳で亡くなられるまで

農業を営みながら短歌の道を歩まれました。

夏場は海水浴客で賑わう若狭和田の公園には 歌友によって、中山三郎さん

の代表作を刻んだ歌碑が建てられています。


 若狭湾 奥まりに吾れの八十年 農のくらしの春夏秋冬


父と中山さんは近江今津でバスを降りると、これといった当てもなく、あたりを

散歩したようです。


 写真は滋賀県高島市を流れる安曇 (あど) 川 。
 上流の果て 遠くに見える山々を越えれば、もう若狭。
 望郷の念しきり。筆者撮影

         

竹中さんからお見舞いをかねて御父上の歌が送られてきました。

とくに 

  季(とき)の移ろひ最もあはれを覚ゆるは年年にして夏の逝くころ

この歌のような季節の移ろいを捉えた微妙な感覚が身にしみます。

               ありがとうございます。遅足
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする