祖原山にある碑
鎌倉時代、日本が初めて外国からの攻撃を受けたのが元寇です。
文永の役と弘安の役。
2度の戦いの場となったのが、福岡だったなんて
うっかりしてたわぁ~~
“元寇防塁”と言われる石築地は何度も目にしていたのですが、
そのお蔭で、元軍を退けることができたんだろう~~ぐらいに思っていたんですよね。
最初の文永の役の時に、上陸されて、さんざんな結果になってた・・・なんて知らなかった。。。
最初の文永の役の時に、元軍が陣をひいたのが、この祖原山。
標高33メートルのちょっとした丘なんですが、
登ってみると、確かに博多湾が一望できたはず。
(マンションがいっぱいで、現状では海そのものは見えなくて)
800年も昔、ここが戦場だった・・・なんてね。。。
神風が吹いた・・・というのは、正確な史実ではなく、
第二次世界大戦中に作られたお話のようですが、
元軍が撤退中に暴風雨にあった・・・というのはどうやら本当のようです。
7年後、またまた攻めてくるわけですが(弘安の役)
それまでにひたすら作られたのが、元寇防塁と言われる石築地。
博多湾の中、広範囲に作られていて、今でもしっかり見ることができます。
この時は本当に台風がきたようで、
最近、鷹島沖から当時の船が引き揚げられて、ちょっと話題になっています。
水中考古学と言う学問分野になるようですが、
琉球大の先生が自ら潜っていらっしゃるのを、テレビでも何度も目にしました。
その後、三回目の日本侵攻を目論んだ“元”ですが、
当時、ベトナム軍との戦況悪化で、実現できませんでした。
異国からの侵略はなかったものの、鎌倉幕府はこれが原因で滅亡へと進むわけです。
歴史のヒトコマ、我が家のすぐ近くのお話です。
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