江戸東京博物館で、後藤新平展を開催しています。
後藤新平なんて、そういえば教科書に名前があったような…程度の記憶なんですが、
なかなか幅広く、いろんなことをなさった方のようです。
明治・大正の政治家なんですが、元々はお医者様。
岩手県の下級武士の家に生まれ、医学校を卒業後、
愛知病院(今の名古屋大学医学部)の院長になり、内務省衛生局長。
日清戦争帰還兵の検疫に成功し、その業績を買われて台湾総督府民生局長に。
植民地だった台湾のインフラ整備に、力を尽くしたそうで、
現地の状況を把握した上での政策だったため、
台湾の人からも好意的に見られていたとか。
その後、あの満州鉄道の初代総裁として、満州の都市建設、インフラ整備に従事。
逓信大臣、初代鉄道院総裁、内務大臣、外務大臣などを歴任し、第7代目の東京市長に就任。
独自の都市開発プラン・市制改革プランがあったそうですが、
当時はあまりの壮大な計画(8億円!)に、あえなくボツ。
ところが、その後関東大震災に直面した内閣が、
このプランを元に帝都復興計画をたてたというから、オドロキです。
焼失した市街地を区画整理することで、幹線道路、大小の公園など、
現在にも通じる東京のインフラ整備は、
この時に行われたといってもいいそうです。
先見の明があったということなんでしょうね。
晩年は、東京放送局(現NHK)の初代総裁、ボーイスカウトの初代総裁などを務め、
昭和4年72歳で亡くなったとのこと。
なんだか、すごい人だったようです。
常に新しいことを考え、時代を先取りしていた感じですが、
予算を考えないそのあまりにも壮大な計画から
『大風呂敷』というあだ名があったとか。
あの時代にも、こういう人がいたんだなぁと、ちょっと感動しました。
幕末から明治、大正にかけての歴史って、あまり得意じゃないんですが、
人物を中心に考えてみるというのも、興味深いものかも知れません。
後藤新平が、愛知病院時代に、暴漢に襲われた板垣退助を治療していたとか、
新渡戸稲造と家族ぐるみの付き合いだった、
新渡戸の奥さんと後藤の奥さんが一緒にアメリカに旅行に行った…なんてエピソードも、
ちょっと面白い気がしました。
人との出会いというのも、大切なんですね。
後藤新平なんて、そういえば教科書に名前があったような…程度の記憶なんですが、
なかなか幅広く、いろんなことをなさった方のようです。
明治・大正の政治家なんですが、元々はお医者様。
岩手県の下級武士の家に生まれ、医学校を卒業後、
愛知病院(今の名古屋大学医学部)の院長になり、内務省衛生局長。
日清戦争帰還兵の検疫に成功し、その業績を買われて台湾総督府民生局長に。
植民地だった台湾のインフラ整備に、力を尽くしたそうで、
現地の状況を把握した上での政策だったため、
台湾の人からも好意的に見られていたとか。
その後、あの満州鉄道の初代総裁として、満州の都市建設、インフラ整備に従事。
逓信大臣、初代鉄道院総裁、内務大臣、外務大臣などを歴任し、第7代目の東京市長に就任。
独自の都市開発プラン・市制改革プランがあったそうですが、
当時はあまりの壮大な計画(8億円!)に、あえなくボツ。
ところが、その後関東大震災に直面した内閣が、
このプランを元に帝都復興計画をたてたというから、オドロキです。
焼失した市街地を区画整理することで、幹線道路、大小の公園など、
現在にも通じる東京のインフラ整備は、
この時に行われたといってもいいそうです。
先見の明があったということなんでしょうね。
晩年は、東京放送局(現NHK)の初代総裁、ボーイスカウトの初代総裁などを務め、
昭和4年72歳で亡くなったとのこと。
なんだか、すごい人だったようです。
常に新しいことを考え、時代を先取りしていた感じですが、
予算を考えないそのあまりにも壮大な計画から
『大風呂敷』というあだ名があったとか。
あの時代にも、こういう人がいたんだなぁと、ちょっと感動しました。
幕末から明治、大正にかけての歴史って、あまり得意じゃないんですが、
人物を中心に考えてみるというのも、興味深いものかも知れません。
後藤新平が、愛知病院時代に、暴漢に襲われた板垣退助を治療していたとか、
新渡戸稲造と家族ぐるみの付き合いだった、
新渡戸の奥さんと後藤の奥さんが一緒にアメリカに旅行に行った…なんてエピソードも、
ちょっと面白い気がしました。
人との出会いというのも、大切なんですね。