3連休、暑いけれど、ちょっとお出かけ・・・・
福岡市東区にある『香椎宮』まで行ってきました。
仲哀天皇、神功皇后を主神として、8世紀に作られた・・・と説明があるのですが、
定期的に天皇からの勅使をお迎えしてお祭りをする
全国十六社の一つなんだとか。
16社ってどこさ・・・と思っていたら
京都の石清水八幡宮、平安神宮
奈良の春日大社、橿原神宮
島根の出雲大社に愛知の熱田神宮
靖国神社に明治神宮・・・などなど有名どころばかり。
あら~~そこに並ぶようなところだったのね。。。。。

まずは参道。天皇の使者が通るので勅使道と呼ばれています。
大きな楠の並木道になっていて
日差しを遮ってくれるので涼しいこと。

鳥居

楼門をくぐります。


本殿はあいにく秋の勅祭をひかえて工事中でしたが、
屋根はしっかり見ることができました。
本殿の建築様式は
入母屋造を基本とし、複雑な屋根の形や車寄の特徴から
独特の「香椎造」と呼ばれているそうです。

菊御門の扉もありました。

起源の地「古宮」
仲哀天皇が下向された地といえば、西暦200年。
事実なのか伝説なのか・・・・

霊泉 不老水
仲哀天皇・神功皇后の家臣、武内宿祢がこの水を飲んで300歳まで長生きした・・・
という話にちなんだもの。
とりあえずオットと二人で飲んできました。
(そこまで長生きするつもりはないですが・・・
)
他にも御神木「綾杉」
神功皇后が三韓から帰還した時に剣・鉾・杖の三種宝を埋め
そこに植えた杉枝が成長したものなんだとか。
西暦200年頃の話ですよねぇ。。。
その後太宰府に新任された人は、必ず香椎宮に参拝し、
この杉枝を冠に挿すことが儀式として行われていたそうです。
菅原道真もここに来たのかも・・・なんて考えるだけで楽しくなってしまう。
(ちなみに夏目漱石も訪れたようです)

いろいろ名所もある格式高い香椎宮。
そうだったんだ・・・・と改めて見直しちゃった。
仲哀天皇と神功皇后については、実在説と伝説がごちゃ混ぜになっているけれど
香椎宮で仲哀天皇が急死した後
神功皇后が妊娠したまま玄界灘を渡って朝鮮半島に出兵。
新羅・高句麗・百済の三韓を征伐したという話。
ちょっと嘘っぽいですが、それで安産の神様になった・・・というのも
微笑ましい話です。
ちはやふる 香椎の宮の あや杉は 神のみそきに たてる成けり
詠み人知らず・・・とはいえ新古今和歌集に残されてもいるし、
なかなか歴史あるお宮だったようです。