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旅行 社寺

長崎 崇福寺

2017-12-12 09:34:20 | 寺院
 2017.11.28 崇福寺は竜宮門が印象的な唐寺。明の僧.超然が黄檗宗の独特な建築様式で創建し、

        中には国宝はじめ貴重な文化財が揃っています。









  崇福寺 三門  重要文化財 嘉永二年(1849)建立。



  同上 門扉に付けられた「獣環」と呼ばれる獣の装飾は、日本で唯一の例といわれる。  



  案内図 (諸堂配置図)











  第一峰門 国宝  正保元年(1644)創建。元禄9年(1696)改築。

         寧波(ニンポー)で切組み唐船で輸入して組み立てた。

         軒下の複雑な斗栱と、即非禅師の扁額「第一峰」で有名です。



  第一峰門から三門と市街を見る。

         崇福寺が立つのは、長崎市の繁華街.思案橋にほど近い風頭山麓の急坂地。
    
         門扉を飾る青い蝙蝠(こうもり)の意匠は中国人が好む吉祥文様のひとつ。







  大雄宝殿(本堂) 国宝 正保三年(1646)創建。当初は単層であったが、

           天和元年(1681)頃に上層が増築され、

           下層は純中国風、上層は和風が中心の、日中合体の現在の形になった。



  同上  扁額「海西法窟」 即非の弟子の千獃(せんがい)が、元禄7年(1694)に掲げたもの。





  同上  本尊は釈迦如来。脇侍は迦葉(かしょう)と阿難の釈迦三尊が中央祭壇に安置。

      左右の壁面祭壇に並ぶのが十八羅漢。

      18体の造像が完成したのは延宝5年(1677)。 









  護法堂 重要文化財  享保16年(1731)再建。

      中国人工匠によるもので、黄檗天井など、細部に黄檗寺院の建築様式を伝えている。

      前廊部の柱の礎石にある梅や唐獅子の彫刻が珍しい。



  同上 堂内は三つの殿堂にに分かれる。左の韋駄天像 足の速いことで知られ、

     仏法や伽藍を守る神とされる。



  同上 右の関帝像(写真中央) 関帝こと関羽は「三国志」で有名な蜀(しょく)の武将。

      義に厚く、弱者の味方で、神格化された。武神.財伸として中国出身者の信仰は厚い。







  媽祖堂門 重要文化財  文政10年(1827)再建。

       媽祖堂との間の石畳は寛文11年(1671)の敷設で、長崎最古の石畳という。



  同上  媽祖堂に対する門と仏殿と方丈を連絡する廊下を兼ねている。

      石敷きの中庭に面した大雄宝殿まで続き外部に開いた構造。

      黄檗宗寺院ならではの蛇腹アーチ形の「黄檗天井」が見られる。









  媽祖堂 長崎県指定史跡 

      往時唐船主たちが海上安穏を祈願して生みの神様媽祖を祀ったものです。





  媽祖像  堂内の千里眼と順風耳は共に媽祖を守護する従者。

       手をかざして雲を見、陸地を見る千里眼、耳に手をあて風の音を聞く順風耳。







  鐘鼔楼  重要文化財  享保13年(1728)の再建。

       楼上に正保4年(1647)開創時の檀越たちの名を連ねた梵鐘がかかっている。





  大釜  天和2年(1682)飢饉に際し、

      三千人分の粥が炊けるこの大釜を鋳造。民衆へ粥を施したという。





  開山堂  建築年代は不明。媽祖堂の北側、同じ基壇の上に並んで立っている。

       中央祭壇には中興開山の即非像を中心に、その後を継いだ千獃像と大衡像が

       並ぶ。他歴代住持の塑像や位牌を安置する廟堂で、

       貴重な扁額や柱に掲げられた柱聯(ちゅうれん)も数多い。





  崇福寺 三塔。  即非の舎利塔、隠元の髪寿塔、千獃の寿塔。



  高台の唐人墓地から、伽藍の屋根越しに長崎市街、稲佐山などが一望される。



  唐人墓地  中国式の寝墓で、墓碑の正面、はるか西方は故国の中国である。

           次に興福寺に散策しながら向かう。