HARD HEAD

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薩埵峠 ウォーキング

2015-01-13 12:26:38 | 旅行
 2015.01.09 薩埵峠は興津宿と由比宿の間にある全長3kmの峠で、東海道の難所。

    歌川広重の東海道五十三次「由比」にも描かれており、今も往時と同じ

    富士の絶景が見ることができます。興津宿から峠越えをすればいつも

    富士を見て進む事が出来るように計画しました。



  前日興津駅から夜間歩き興津川の河畔に宿をとりました。宿を8時40分旅立ち

    興津川に架かる新興津橋を渡り静清バイバスの橋下を潜り渡り旧道に出て

    JR東海道線の踏切を渡り、東海道薩埵峠中道を登り始めます。



  海岸寺 急な坂の途中左手に断崖にへばりつく様に建っています。江戸時代の初期に

    波除け観音堂が建てられ、本堂の阿弥陀如来(別名波除け如来)を中心に左右

    50体ずつ100体の観世音があります。1636年朝鮮通信使の一行が立ち寄り、

    紫峰が扁額を残しています。



  興津駅から55分、薩埵峠迄33分の所まで登って来ました。回りはミカン畑です。





  お墓の中を通り過ぎると薩埵峠の急坂が始まります。



  林の中の切通しを抜けると海原が目に飛び込んできます、さらに急な階段を上ります。



  坂の途中 梅の花が少しほころんでおり、先には昨日見学した三保松原が見えます。



  薩埵峠(西端)





  同上から眺めた富士山



  同上から西を眺めると三保半島が見える。





  歩き進む道の先にはいつも富士の山がある。







  牛房坂に着く 道標には薩埵峠まで0.5km(10分)、興津駅まで3.7km(70分)とある。





  今では水仙が咲き、ミカンが実るのどかな峠道であるが、

  旧東海道中(なか)道は険しい断崖を削って作った細い山道であった。





  薩埵峠展望台





  薩埵峠(先端) ここで東名高速道路はトンネル(さったトンネル)となっている。

     国道1号線が海蝕崖の下の海岸伝いを走っている。古来は下道として使われてた

     「親知らず子知らず」の難所です。安政の大地震で2m程隆起してからは常時通行

     できる様になりました。現在、JR東海道線のあたりです。





  同上 JR東海道線電車の通過を待ち写す。日本の大動脈、東名高速道、国道1号線、

     JR東海道本線と重要な交通網が集中して通っています。





  薩埵峠(頂上)興津駅より4.2km(80分)、由比駅より3.5km(65分)

  同上より駿河湾と富士山。



  同上 ポンカンと青島みかんの無人販売所どちらも一袋100円と安く美味しかったです。



  同上 「山の神」(鞍去神社)遺蹟跡がある。



  薩埵山合戦場跡 薩埵山は重要な戦略地点のため、たびたび戦場となっています。





  由比の宿に向かって下ります。道の周りはみかん畑やビワ畑がずっと続き富士も見えます。



  よほど温かいのかビワの実がもう膨らんでいます。木の中で音がするので熊かと吃驚すると

        枇杷の摘花作業中の装束の農家の人でした。



  薩埵峠もあと少しで終わりです。休憩し買ったみかんで喉を潤し富士に別れをつげる。





  薩埵峠の東側登り口の間の宿、西倉沢の集落まで急坂を下りる。ここには一里塚跡がある、

      日本橋より40番目の一里塚(約160km)です。 薩埵峠まで1.3km、

      由比駅まで2km、由比宿まで3.6km。

  薩埵峠の道 薩埵峠には4つのルートがありました。

     1 薩埵地蔵道 由比、蒲原の人が東勝院にある地蔵へお参りに行く為の道。

     2 上道    1654年幕府が朝鮮通信使を迎える為に開いた道。

              参勤交代の大名も通りました。(現在は消失)

     3 中道    1682年東海道として整備した道。現在の峠道として歩いている道。

     4 下道    海岸を浪の合間を縫って、岩伝いに通り抜ける難所。

              安政の大地震で2m程隆起してからは常時通行できるようになる。

   次は由比駅に向かいます。