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旅行 社寺

福岡城

2015-11-30 14:19:44 | 
 2015.11.15 九州13の名城巡りのツアーに参加して、羽田空港を9:10分発で福岡空港から

       観光バスで福岡城に到着したのが12:00頃でした。





  福岡城 国指定史跡 日本百名城 大大名黒田氏の革新的巨郭

      慶長5年(1600)の関ケ原の戦いで徳川側の戦勝功労大なりとして、黒田家は

      豊前中津十二萬三千石から五十二萬石の太守となって筑前の国へ移封された。

      黒田如水.黒田長政親子は、博多湾の中央部にあった福崎の地に、

      慶長6年(1601)から7年の歳月をかけて、城地総面積約800,000㎡(約240000坪)

      の平山型の巨大な城を築城した。



  案内図



  福岡城 模型



  東御門跡 藩主を支える家老職の屋敷があった三の丸から、二の丸、本丸、天守台と、場内を

       登っていくためのメインルートでした。



  二の丸跡





  本丸表御門跡 表御門は、大正7年(1918)に黒田家の菩提寺である崇福寺に移築され、

         同寺の山門として使用されている。





  祈念櫓 県の有形文化財に指定。 本丸の北東隅に鬼門封じのために建てられた櫓。





  本丸跡 天守台の石垣の北面に広がる本丸の広場には本丸御殿があった。









  天守台跡 5重、6層、地下一階で石垣天端上の高さ約27mで白漆喰壁に腰下見板張りの

       「黒の天守」を想定している。







  天守台からは大濠公園、福岡市北側の風景が広く望める。



  埋門跡



  武具御門跡



  本丸裏御門跡



  桐木坂御門跡





  南丸多門櫓 国指定重要文化財 総延長40間(72m)の櫓は両端に二層の櫓を持ち、

        多くの小部屋に分かれ、防御ないし倉庫としての実戦的な機能を持つ。



  二の丸 石垣



  下ノ橋から見た内堀(車中より)。



  鴻臚(こうろ)館跡  国指定史跡  発掘調査中

       福岡城内三の丸東方の一画、旧平和台球場のあたりは、古代、大宰府政庁時代に、

       日本国の外交.交易施設であり、迎賓館となった鴻臚館(当初は筑紫館と呼ばれた)

       のあった所である。7世紀からなら.平安時代にかけ11世紀まで、

       唐や新羅などとの交流最前線の機関だった。平安時代には鴻臚館が

       平安京、難波、筑紫に置かれたが、発掘調査でその実態がはっきりと

       してきたのはここだけである。北館、南館の存在が確認され、それぞれ東門があり、

       太宰府までほぼ直線の古代官道で結ばれ、早馬で連絡を取っていた。 

         (時間の関係で伝潮見櫓や下ノ橋御門等見学できませんでした。残念!)

          13:20分 大野城へ向かう。